ネジバナのせい
~ 七月四日(木)
緑=青海苔 黄色=錦糸卵 ~
ネジバナの花言葉 思慕
テスト前。
誰もが足早に校門を抜けて帰宅する中。
連日の雛ちゃんよろしく。
俺も。
この言葉を口にすることになりました。
「もうテスト前なので勉強させてください!」
こんなでかいリムジンを校門へ横付けにして。
木曜日恒例、会社見学のお誘いに来た穂咲のおばあちゃん。
でも、いくら抵抗しても。
この方が手を軽くあげるだけで。
凄腕のメイドさんトリオに、あっという間に車へ押し込まれてしまいました。
そして執事さんの運転により。
まったく揺れない車で移動すること二十分。
やって来たのは……。
「いやいや。ここで職業体験と申されましても」
見覚えがあるどころか。
なんなら今朝も顔を出して。
新作の試食をしたばかり。
俺たちのバイト先。
ワンコ・バーガーじゃありませんか。
「ここなら移動時間も節約できますし、文句はございませんね?」
「いえ、おおありです。だって、ここの仕事ならほとんど把握していますし」
職場体験の名のもとに。
ただ働きさせられるだけなのです。
文句を言いながら逃げようとする俺を。
おばあちゃんの言葉が引き留めます。
「そんな道久さんだからこそ、ここを選んだのです」
「え? どういうこと?」
「道久さんは、ご自宅というものが存在して当たり前とお考えですか?」
……質問の意図が分かりません。
あれこれ考えて、答えあぐねる俺をよそに。
おばあちゃんは続けます。
「家という物は購入するにあたり借金をし、月賦のかかるが当たり前。その金額たるや莫大なものです」
「はあ。……大抵、人生で一番大きな買い物と言いますしね」
「そして固定資産税がかかり、長期間暮らせば修繕費が必要となります。さらには三十年ほどで建て替える必要も出てきましょう」
おお、なるほど。
その辺はおぼろげに知ってはいましたけど。
詳しく把握していなかったのです。
と、いうことはつまり。
「ええと、バイトの目線では全く見えていなかった、経営的なものを学べという事なのでしょうか?」
「察しの良いことですね。その通りです」
「でも、カンナさんをお店から引きはがすわけには……」
「御心配には及びません。そのために精鋭を連れてまいりました」
言うが早いか。
おばあちゃんが、手をポンと一つ打つと。
先ほどのメイドトリオがお店に入って。
カンナさんの案内で、更衣室の方へ向かうのでした。
「さあ。あなた方も入りなさい」
そして、おばあちゃんに導かれて。
俺の前をしぶしぶ歩くこの人の名は
軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして。
髪の結わえ目に、細い穂にねじのようにぐるぐるとピンクの小花をつけるネジバナをわんさかと挿しているのですが。
今日は一日、これを目にしているせいで。
なんだか、目が回る心地です。
さて、そんな俺たちが休憩室へ入るなり。
目に飛び込んできたのはピンクのノートパソコン。
カンナさんが、たまに操作しているのを見かけたことはありますが。
そう言えば、こいつで何をしていたのかは知りません。
「やれやれ、いつもは夜中にやってる仕事だから調子狂うぜ」
そんな文句を言いながら。
休憩室へやってきたカンナさん。
おばあちゃんが慇懃にお辞儀をするので。
俺たちもしぶしぶそれに倣います。
「本日は、この子達へ貴重な知識を頂戴する機会を作っていただき、感謝の言葉もございません」
「いやいや、いいって。もともと秋山には教えてやるつもりだったし、バカほ……、おっとっと。お孫さんにも見せておいた方がいいだろうしな」
そんなことを言いながら。
ノートパソコンを開いたカンナさん。
目で、画面を見るよう促してきたので。
穂咲と一緒に顔を寄せると……。
「ふにゃあ。数字ばっかなの」
「これは、材料ごとの仕入れ量?」
「そうだな。ほんとはもっと細かいデータを使ってるんだが、初心者向けに、一番簡単な奴で説明するぜ」
授業で習ったことのある表計算ソフト。
たしか授業では、売り上げ金額の合計を計算したような気がするのですが。
カンナさんが、慣れた手つきでパソコンを操作すると。
あっという間にグラフが画面に現れます。
「これが最近一年の、玉子の消費量だ」
「……なるほど。玉子の消費は上がり調子なのですね」
「そうなるな。だから、今後一ヶ月の予想消費グラフはこうなる」
そして、マウスで『予測』と書かれたボタンを押すと。
予想消費量が、さっきのグラフの先に淡い色で現れます。
「へえ! 表計算ソフトって、そんなボタンもついてるんですね!」
「なに言ってんだ? これはあたしが作ったんだよ」
「は?」
思わず頓狂な声を上げてしまいましたが。
なに言ってるのかしら、この人。
「作ったって何のこと? 作れるはず無いのです」
「お前の父親、プログラマーだって言ってたよな? そんな人と比べられたらこっぱずかしいが、経営者を名乗る以上、これぐらい作れねえと話になんねえ」
そう言いながら、カンナさんが何やら操作すると。
プログラムがずらりと現れたのですけど。
「……え? カンナさんのお仕事、プログラマー?」
「なわけねえだろ。看板娘に決まってんじゃねえか」
「いえ、そんな冗談はいらないので……、いたいいたい!」
久しぶりにヘッドロックをされましたが。
いやはや、驚きました。
「グラフの傾きをそのまま延長しているのですか?」
「いや? 正規分布って習ったろ?」
「誰が?」
「ふざけんな、てめえだよてめえ。……まあ、平たく言えば気温とか天気とか去年の実績とか、いくつかの予測方法から、それなりこうなるんじゃねえかって数字を弾き出してるわけだ」
……うそ。
いつも、減った分だけ注文してると思ってた。
「じゃあ、これをもとに発注をかけていたのですね。……尊敬しました」
「ああ、尊敬するがいい。もっとも、バカ穂咲が勝手に材料使うから予想外のもんが足りなくなったりするんだが。……ん? その迷惑女はどこ行った?」
あれ?
今の今まで部屋にいたはずの穂咲が。
気付けばどこにもいないのです。
慌てて探しに行こうとしたら。
廊下から、扉をお尻で開きながら帰ってきたのですが。
その手に乗るのは。
大量の目玉焼き。
「……暇だったから、おやつ焼いてきたの」
「クッキーみたいに言いなさんな。君のおかげで英知の結晶が無駄になる」
このグラフ。
きっとおやつに関しては考慮されていないのです。
「何の話か知らないけど、この多国籍料理を食べながら聞くの」
「……使い方が間違ってますけど、まあ、いろんな国で食べますよね」
「そうじゃなくて。こいつで国旗にするの」
妙なことを言いながら。
目玉焼きの上に青のりを振って。
そこに錦糸卵を並べると。
「はい。モーリタニア」
「……知りません」
目玉焼きを青のりで埋め尽くして。
黄色い月と星を描いたお皿を出してきましたが。
「国旗?」
「そうなの。バングラデシュも作るの」
「それは知ってます。黄色じゃないです」
人の忠告も聞かずに。
緑に黄色い丸を書いた目玉焼きをカンナさんの前に置きます。
「……それは、白身の上に青のりを振れば済んだのでは?」
「おばあちゃんの分は、サウジアラビア」
そして携帯とにらめっこしながら。
錦糸卵を並べていますけど。
「シャハーダでそういうことしちゃダメ! 禁止なのです!」
「だから。錦糸なの」
「同音異義語じゃないのです。だめったらダメ」
膨れる穂咲からお皿を取り上げた俺に。
カンナさんはノートパソコンを閉じながら。
にっこりと微笑みます。
「……いいじゃねえか、多国籍」
「ダメなのです。これは聖なる文言なのです」
「そっちじゃなくてさ。この店、もっと金貯めてさ、いつか多国籍料理を出すレストランにしたいんだ」
そう言いながら天井に目を向けるカンナさん。
いつもなら、馬鹿な話と一蹴するところですが。
俺の知らない、大人の仕事。
そんなものを目の当たりにした後では。
真剣に、夢を追いかけているのだということが伝わって来るのです。
「……カンナさん、そんな夢を持っていたのですね」
「いや?」
「え?」
「あたしじゃないよ。店長の夢なんだ、多国籍レストラン」
……ああ。
なるほど。
だったらやっぱり。
カンナさんの夢じゃないですか。
しかし、店長の夢と聞いた俺は。
大きな問題に気付いたのですが。
「こんなプログラム、店長にも作れるのですか?」
「あのあほんだらに、こんなことできると思ってるのか?」
「ですよね」
でも。
だとしたら。
「俺が自営業になるとして、こんなの作れる自信ありません。例えばカンナさんのような、しっかり者の奥さんがマネジメントしてくれるとかじゃないと……」
「呼んだ?」
多分わざとじゃなくて。
生まれ持った笑いの才能がささやくままに。
黄身と青のりで口の周りをベットベトにした穂咲が。
俺の顔を、ぼけっと見つめます。
「…………カンナさん」
「なんだ?」
「それ、一から全部教えて」
ええ。
俺は、一人ですべてこなしますとも。
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