雨と狐

@chip0917

第1話

雨が降ると思い出す。嘘みたいに綺麗で、笑うと狐に似ているあの子のことを。


ざあざあざあざあざあざあざあざあ。雨音が響いてる。


その日はとことんついていない日だった。放課後に担任の先生の雑用を押し付けられ、やっとのことで雑用を終わらせ、帰ろうと思ったら。傘立てにあるべき自分の傘がすっかりなくなっていたのだ。ああ、ついてない。誰もいない昇降口でがっくりと肩を落とす。

「はあ、まじかよ……」

外は土砂降り。夏に近づき日が伸びたとはいえ、悪天候のこともあり辺りはどんよりと薄暗かった。おまけに誰もいない校舎はしん、としていて不気味だ。昇降口の前に生えている大木がざわざわと揺れていて化け物みたいだった。ああ、一刻も早く帰りたい。

どうしたものか、と途方にくれていると、後ろから「ねぇ」と声をかけられた。急に感じた人の気配に驚き、肩をビクつかせながら振り向く。するとそこには見かけたことのない少女がいた。僕の学校の制服を着ている。

「あなた、こんな時間にどうしたの」

コロコロと鈴の転がるような細い音。なのに耳にすっと入ってくるような、とても、綺麗な、声をしていた。

「傘を盗まれてしまって……」

「ああ、そうなの。かわいそうね」

少女はいかにも哀れそうな口ぶりで言う。だけど、その顔はちっとも哀れそうとは思っていなさそうで、僕はちょっぴりムッとした。

「あなたこそこんな時間に何してるんですか」

少女は可笑しそうに細い眉を上げて、目をキュッと細めて微笑む。あ、なんだか狐に似ているかも。

「雨宿りしてるの」

「……そうですか」

「あなた。雨が止むまで私の話相手になってくれない」

あまり人と話すのは得意ではない。ましてや女子なんてもっと苦手だ。だけど今ここにいるとは彼女と僕の二人だけ。断るのもなんだか気まずくて僕は「僕でよければ」と了承した。


「あなた。名前なんていうの」

「3年の阿部です」

「阿部くんね。私は硝子」


それから、お互いにたわいもない話をした。好きな本とか、好きな食べ物とか。僕も緊張が解けてきて、軽い冗談を言ってみたりして。女子と話して楽しいと感じたのは初めてだった。

「ねえ、阿部くん。君はいじめられているの、傘を盗まれるなんて」

「いえ、たまたまです。ただのビニール傘でしたし。名前も書いていなかったので」

「ふーん、そう」

質問してきた割に、つまらなそうに相槌を打つ彼女にまたムッとする。すると、そのことに気づいたのか、硝子さんは僕の顔を見てまた狐みたいにキュッと微笑んだ。その顔があまりにも綺麗で、僕はどきりとしてしまう。 照れ臭さを隠すように僕はぶっきらぼうを装って硝子さんに問いかける。

「そういう硝子さんは傘を忘れたんですか」

「うーん。そうね、雨宿りと、実はちょっと行きたくない用事があって、大人から逃げているの」

女子と話すのは難しい。話題がころころ変わるし、何より僕は「空気を読む」というのが理解出来なかった。前に、姉が言っていた。女というものは「言葉」だけでなく、仕草とか表情とか空気とか、そういうのもふくめてコミュニケーションを取るらしい。硝子さんの言う、行きたくない用事。とても気になる。だがしかしこれは聞いてもいいのだろうか。そもそもこれは話を聞いてほしい、というフリなのだろうか。ぐるぐると僕が悩んでいると硝子さんはポツリと僕に問いかけた。

「ねえ、阿部くん。きみは大事な人を救うために赤の他人と結婚できるかしら」


ざあざあざあざあざあ。雨音が響いている。


硝子さんはあいかわらず狐みたいな顔で微笑んでいた。だけど細い瞳の奥はとても真剣だった。

「結婚でき、ま、す、多分」

「なに、その微妙な言い方は」

急に投げかけられた真面目な質問に、僕はぎこちない返答を返す。硝子さんは可笑しそうに、はははと笑う。むむ、なんだ失礼な。

「結婚なんてただの契約です。大事な人を救えるなら喜んで結婚します」

笑われたのが悔しくて僕は真っ直ぐ硝子さんの目を見て言った。どうだ。すると硝子さんは目を丸くてして、眉をきゅぅと下げて、なんだか、傷ついたような顔をしていた。予想外の硝子さんのリアクションに思わず僕も目を丸くする。どうしよう。しまった。返答ミスったか。


ポツポツポツ。雨音が響いている。


「そっか。そっか。阿部くん、君はとても優しいね」

少しの間の後、硝子さんがそう言った。僕は恐る恐る硝子さんの顔を見る。するとさっきまでの傷ついたような顔はすっかり消え、お決まりの狐顔で微笑んでいた。よかった。僕は少し安心して「ありがとう、ございます」と、褒められたことに対して礼を言う。


あっと硝子さんが声を上げた。視線の先を見ると空の雨雲の隙間から太陽が見えている。雨はまだ降っているが先ほどよりは小雨になっているようだ。こうゆうのって、確か


「狐の嫁入り、ですね」

僕はそう言って隣を見た。いない。


あれ、おかしい。誰もいない。その代わりに、硝子さんがいた場所に、盗まれたはずの傘が立てかけてある。


ポツリ、ポツリ。雨音が響いている。


外に出てみる。ばさり、とその傘を開いてみると何かが落ちてきた。手に取ってみると小さな葉っぱだった。緑色でツヤツヤしてて、先がキュッと尖っている。硝子さんが笑った時の瞳とそっくりだ。


どぉおおおん。がしゃん。


突然背後から地鳴りのような鈍い音が聞こえて振り返る。するとさっきまで硝子さんと話していた場所に木が倒れていた。下駄箱が倒れ、ガラスが、飛び散っている。わらわらと先生たちが集まって大騒ぎしている。もし、もしも僕があの場所にいたらきっと大怪我をしていただろう。そう考えるとヒヤリと背筋が凍った。思わず傘を持つ手に力が入る。僕が呆然と立ち尽くしていると先生から声を掛けられた。


「おい、おい、大丈夫か。怪我はないか。どうした。そんな狐につままれたみたいな顔して」


驚きのあまり声が出ない。喋ろうとしても口がパクパク動くだけで、ちっとも言葉にならなかった。


しとしとしと。雨音が響いていた。


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