ガラス・目を閉じる・それなら僕は

 北関東にある山奥、鬱蒼とした木々の中、ぽつんと一軒の家がある。随分古くに建てられたその家は山道から離れた位置にあり、まるで世間からその姿を隠しているようにも見える。


「神羅万象、有象無象。汝は無垢なる魂の息吹――」


 そこに住まうのは、一人の男。

 陽の光が遮られた、ただでさえ薄暗い部屋の中、何やらぶつぶつと呟きながら男は目を閉じる。


「柔軟にて堅牢、堅牢にて柔軟。汝は邪なる死の吐息――」


 固く目を閉じた男の手の内には、玉のように丸い岩が握られていた。なんてことはない、先日男が山肌から削ってきたただの岩である。男の両手にすっぽりと収まる大きさのそれは、男の言霊に共鳴するよう、黒く鈍い光を放ち始めた。


「――黒鉄、白銀。無色、有色。汝の姿は彼方から、汝の姿は此方へと」


 そこまで言い終わると同時、男は目を見開いた。その動作に合わせたかのように、黒く鈍い光はその輝きを増していく。


 まるで死の世界から降り注いだかのような光は、次第に明るさを帯び、透明かつ眩いものへと変貌していった。目まぐるしく変化していく光の中、球体であった岩から突如として枝のようなものが無数に生えてくる。それは植物の枝のようにも、昆虫の触手のようにも見えた。


 その無数の枝は次第に複雑に絡み合い、何かひとつの形になろうとしていた。無骨な岩肌でしかなかった物体の表面は、部屋を覆い尽くす光のように透き通っていく。


「よし。まあこんなもんだろう」


 光が収まり、かつて岩だったものへと帰っていく。男の手に握られたそれは、小さく透き通った馬の形へと変貌を遂げていた。精巧なガラス細工のようにしか見えないそれがかつて単なる岩であったなんて、誰が信じるだろうか。


「ああ、頭が痛い。形成魔法は疲れるよまったく」


 男が今しがた行ったのは、物質の性質や形状を別の物へと変える魔法。先ほど呟いていた言葉は、その呪文である。


 山奥にぽつんとあるこの家屋で暮らす男は、魔法使いである。随分昔までは魔法使いという存在も一定数以上いたらしいが、現在の日本では両手で数える程度しかいない。


 『魔法』という特異なものを生業としているため、魔法使いのほとんどは俗世から身を離し、誰にも見つからぬようひっそりと生活している。魔法の鍛錬をしていることろなぞ、一般人に見つかってはたまらないからだ。


「あの資産家とかいう男から依頼されてたものは、これで全部かな。いやあ、くたびれたくたびれた」


 男は背伸びをすると同時、ゆっくりと背後へと倒れていった。するとすぐさま、部屋の片隅に置かれていたソファがずずずっと動き、彼の体を受け止めた。言わずもがな、彼の魔法によるものだ。


 魔法使いの存在は、政治家だったり資産家だったり極道だったり、とにかく金と権力を持った一部の人間のみが知っている。そういう一部の人間に対して、彼ら魔法使いは商売をして、なんとか食い扶持を稼いでいる。


 とはいうものの、その報酬は大した金額ではなく、魔法使いはいつだって金欠である。世間から身を隠し、ひっそりと仙人のような生活をしながら、ひもじい生活を送る。しかも魔法を使うには、それなりの体力がいる。魔法使いが廃れていったのも頷けるなと、ソファでまどろみながら男は思った。


 ――ジリリリリ


 男が一息つくのも束の間、時代錯誤も甚だしい黒電話の音が部屋に鳴り響いた。この電話番号は、一部の人間にしか教えていない。そしてこの電話が鳴るのはつまり、仕事の依頼がある時だ。


「はあ……」


 貧しい生活を送るこの魔法使いにとって、仕事とは天からの恵である。男は基本的に、仕事はなんでも引き受けることにしている。


「これで四日連続だよ……」


 だが男の表情は暗く、何度も溜息をついている。


 四日前、どこで男の家の電話番号を手に入れたのかわからないが、突如として見知らぬ人間から仕事の依頼があった。男へ舞い降りてきたこの仕事は、これまでの仕事とは格段に報酬が違う。もちろん、いい意味でだ。そして、その仕事を行うにあたっての労力も、これまでにないくらいに少ないのだ。


 しかし、どうしてもこの仕事だけは、引き受けることはできなかった。

 憂鬱な気分で、電話を魔法で手元へと手繰り寄せ、これまた魔法で受話器を取る。


「あのですね、それなら僕は――」

「ええ、ええ。お断りの言葉を頂戴いたしました。けれどもですね、我々としても諦めきれないのです。どうか、どうかそこを何とかお願いできないですか」


 昨日も断りましたよね――そう言いかけるも、男の言葉を遮るように電話の向こうの相手はまくしたてた。電話口から喧しい声が聞こえる度に、男は断りの言葉を口にしたが、相手は一歩も引き下がらなかった。


 思わず苛立ちが募り、先ほど生成したばかりのガラスの馬に亀裂が走る。それを見て、男はさらに憂鬱となってしまう。


 ガラスの馬を作って得られる報酬は、ごくわずかだ。

 その何倍もの額が、電話口の相手と仕事をするだけで得られるというのに。



「そんなことを言わずにい、お願いしますよお。我々としてもね、最近はネタも減ってきて大変なんです。あなたの家のような場所を探すのにも一苦労してるんですよお。だからお願いします、ちょおっとお家にお邪魔させてもらって、話を聞かせてもらえれば。僕たちの番組――『ポ〇ンと一軒家』で取材させてくださいよお」



 魔法使いは、人目についてはいけない職業だ。

 ましてやテレビ出演など、もっての外である。


 今以上に、自らが魔法使いであることを後悔したことはない――男は大きな溜息をつくと同時、ゆっくりと目を閉じた。

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