傷・夏・言葉

 夏のある日のことです。


 キリギリスが野原で陽気に歌を歌っていると、ぞろぞろとアリの行列がキリギリスの前を通っていきました。キリギリスは歌うのをやめ、アリたちの様子をじっと眺めることにしました。どうやらアリたちは、せっせと餌を運んでいるようです。


「やあアリさん。そんなに汗をびっしょりとかいて、大変そうだね」


 行列の一番後ろを歩いていたアリに、キリギリスは声をかけました。


「ああキリギリスさん。今はね、皆で巣に餌を運んでいるんです」

「こんなに沢山餌があるのに、どうして家まで運ぶんだい? その場で食べてしまって、あとは歌を歌って呑気に過ごせばいいのに」


 キリギリスは辺りを見渡しながら、アリに尋ねました。この野原には、餌となるものが沢山あります。それをせっせと運び込んでいるアリたちの行動が、不思議でたまらなかったのです。


「今は夏だからいいですよ、餌は沢山ありますから。けど冬になったら、どこを探しても餌はなくなってしまうでしょう? だから僕たちは、今のうちに餌を巣に持ち帰って、冬に備えているんです」


 アリが言ったその言葉を聞いて、キリギリスは大きく口を開けて笑いました。


「冬のことなんて、冬がきたら考えればいいじゃないか。今は夏だぜ、今を楽しまなくっちゃあ損ってもんさ。おいらは歌を歌ってのんびり気ままに過ごすとするよ」

「そうですが。ただ、忠告はしましたよ。冬になって食べ物に困っても、僕は知りませんからね」

「お気遣いどうも」


 後先考えずに呑気を決め込むキリギリスに、アリはムッとしながら忠告しましたが、キリギリスはそんなこともお構いなくへらへらと笑っていました。

 はあと大きな溜息をついたあと、アリは仲間たちを追いかけてキリギリスの下を去っていきました。アリの後ろ姿を眺めながら、キリギリスは歌を再開したのでした。


 それからしばらくして、秋になりました。

 アリは毎日休むことなく餌を運んでいます。今年の夏はあまり餌が多くなく、こうして秋までせっせと働かなくてはならなかったのです。餌を求めて遠くまで行き、体にも傷が増えてきています。


 けれどもこれも冬を越すためだと自分に鞭を打って、毎日仲間たちと餌を運んでいました。すると、夏に出会ったキリギリスが再びアリの目の前に現れました。


「やあ、アリさん。また会ったね」

「キリギリスさん。まだ歌を歌ってのんびりしているのですか? 本当に冬を越せませんよ?」

「はっはっは、まだ秋だぜ。ちょっと遠くまで足を延ばせば餌もある。冬のことは冬に考えるさあ」


 夏に出会った時と変わらず、キリギリスは毎日歌を歌いながらのんびりと過ごしている様子でした。他人事ながら少しイラっとしたアリでしたが、『最後に笑うのは地道に働いていた僕たちさ』と自分に言い聞かせて、餌運びに戻りました。


 後ろからは、キリギリスの歌が聞こえてきます。今に見ていろ、冬になって泣きついてきても知らないぞ、とアリは心の中で思うのでした。


 そしてとうとう、冬がやってきました。

 今年は餌があまり多く取れず、アリたちは節制を心がけていました。けれども、体に多くの傷を作ってまで餌を運んだ甲斐もあり、なんとか冬を越すことはできそうです。


 そんな時、巣に一匹の客がやってきました。


「やあやあアリさん、冬は越せそうかい?」


 それは、あのキリギリスでした。きっと餌をわけてもらいにきたのだとアリは考えました。夏も秋も、ずっと歌って自由気ままに生きてきたキリギリスです。今はきっと飢えに苦しんでいるに違いありません。


 それみたことかと、アリはキリギリスを冷たくあしらうことにしました。


「キリギリスさん。僕たちもこの冬を越すので精一杯なんです。悪いですけれど、餌を分けることはできませんよ」

「餌? 何か勘違いしているかもしれないけれど、餌は十分足りているよ。今日は単純に遊びにきただけさ」


 アリの言葉を聞いても、キリギリスはすっとぼけた様子です。餌が足りているだなんて嘘に決まっていると、アリは警戒心を強めます。

 ですが、確かにキリギリスの体は丸々としていて、どうも飢えているようには見えません。それどころか、秋に出会った頃よりも元気に見えます。


「そんな馬鹿な。遊び呆けていたあなたが、餌に困っていないだなんて。まさか盗みでも働いているんじゃないですよね」

「そんなまさか。言ったじゃないか、『冬のことは冬に考えればいい』ってさ。だからおいらは考えたのさ」


 キリギリスはそう言うと、一枚の紙きれをアリに手渡しました。そこには、何やら見慣れぬ文字列が綴られていました。



「これはね、おいらが流行りの歌をカバーして歌った動画のURLだよ。『歌ってみた』って動画が今は巷では流行っていてね。夏も秋もずっと歌ってたからか知らないけれど、ファンも沢山できたんだ。そのファンの虫たちが、おいらに色々と送ってくれるのさ。お陰様で、何不自由ない生活を送っているよ。いやいや、『芸は身を助く』とは言ったものだね、あははは」



 アリがあんぐりと口を開けているのを他所に、キリギリスは笑いながら去っていきました。


 しばらくして、アリの心には、黒くおぞましい嫉妬の感情が沸々と生まれていきました。なんで汗水垂らして働いている自分たちよりも、歌を歌っているだけのあの虫の方がいい暮らしをしているんだ。世の中不公平ではないか。正直者が馬鹿を見るだなんて、ひどい話だ。こっちは体に傷を作ってまで働いていたのに、どうして呑気して歌っていた奴が成功するんだ。ふざけるなよあのキリギリス――といった具合です。


 それからというもの、アリはキリギリスの『歌ってみた動画』に低評価をつけ、心ない批評のコメントを書くことに精を出し、冬を過ごしたそうです。



 このアリのように、特定の人間を批判する人たちを『アンチ』と呼びますが、その言葉の語源となったのは――『Antアント』であるとか、でないとか。

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