抱え込む・カレーライス・淡い

 この船が港を出発してから、何日が経っただろう。

 長い航海を続けていると、曜日感覚が狂ってきてしまう。今日が何日で何曜日で、出航してから何日経ったのか、今日は何をすべきなのか、休日はいつなのか。


 ただ、今日だけは別だ。

 若手の軍人二人は、自らのテーブルに置かれた料理を見て、『ああ、やっと金曜日がきたんだと理解する。


「元々はな、白米中心の生活で脚気かっけが流行っていたのをうけて、きちんと肉と野菜も取れるカレーライスをメニューとして採用したのがきっかけだそうだ。そのお陰か、ジャパンの海軍は世界的に見ても脚気を患う人間が少なかったらしい」


 まるで自らの胸元に抱え込むかのように、二人は料理を掻っ込んでいく。

 金曜日の定番メニュー、カレーライスを。


「ジャパンには『肉じゃが』って料理があってな、調味料以外はカレーライスと同じなのさ。共通した具材が使えて都合がいいってのも、ジャパンにカレーライスが定着した理由の一つだな」


 先輩の方の軍人は、あっという間にカレーライスをぺろりと平らげ、無造作にスプーンを皿へ放り投げる。カシャン、という金属同士がぶつかる音が響き渡るが、他の仲間たちがそれに気づく様子はなかった。


 それもそうか、と後輩の方の軍人は自らの手元にある料理に視線を落とした。ジャパンだけでなく、二人の国でもカレーライスは人気料理で、この船に乗る人間は誰も彼もが金曜日を楽しみにしている。食べるのに夢中で、周囲の音など聞こえていないように見えた。


「んで、長い海上任務の間でも曜日感覚を忘れないようにってんで、金曜日には必ずカレーを食う習慣がついたらしい。ジャパンの港町じゃあ、『海軍カレー』だなんてもんが人気らしいぜ。あの国、平和主義だか何だか知らんが普段は軍隊を毛嫌いしてるくせに、そういう時だけ調子いいよな」


 自らがもう食べ終わったのをいいことに、先輩軍人はげらげらと下品に笑いながら、後輩軍人に話しかける。正直なところカレーライスに夢中で先輩の話なぞ聞いていなかった後輩であったが、ようやく自分も食事が終わったので、仕方なく先輩軍人の話に耳を傾ける。


「ま、いいじゃないですか。そのジャパンの文化がこっちにも流れてきて、金曜日はカレーが食べられるんですから」

「そうだな。ジャパンでは、家庭料理の定番であるカレーは『母の味』だなんて言うらしいんだがよ、俺たちからしたら『一週間の締めの味』だよな」


 それは違いないと、後輩軍人は大きく首を縦に振った。

 長いこと海の上にいると、曜日感覚は狂ってくる。何日働いて、あと何日で休みが来るのか、本当にわからなくなるのだ。だが夕飯にカレーが出てくると、今が金曜日であることを思い出し、『ようやく休日が来るんだ』と心から安堵する。


 カレーライスとは、彼らにとってそういう節目の食べ物なのだ。


「なあ、上司の奴らもよ、曜日感覚って狂ってのかね」


 後輩軍人がようやくやってきた休日へと思いを馳せている中、悪そうな笑みを浮かべた先輩軍人がそんなことを呟いた。


「さすがに上の人たちは把握してるでしょう」

「いいや、俺はそうは思わん。あのアホ上司、さっきカレーが運ばれてきたのを見て、『あ、今日は金曜かあ』みたいな顔してたぜ」

「まさか」

「だからよ。ちょっとした実験をしてみたいと思うんだ」


 にぃ、と口角を吊り上げ、先輩軍人は意地の悪い表情で後輩軍人へずいっと顔を近づける。先輩軍人がこの表情になった時は、ろくでもないことを考えている時であると後輩軍人は理解していたので、はあと大きな溜息をついて言葉の続きを待った。


「ちょっと料理担当の奴に金を握らせてよ、来週は木曜日にカレーライスを作らせるんだ。アホ上司が曜日を把握してなけりゃ、あいつはその日が金曜だと思うはずだ。そしたら、いつもより一日早く休日がくるぜ。この作戦が上手くいけばよ、毎週四日間の勤務で済む。どうだ、面白そうだろ」


 なんと無謀な作戦だろうと、後輩軍人は頭を抱え込む。だがその一方で、成功した際のリターンがあまりにも魅力的すぎた。この厳しい労働が、一日でも減るのだ、馬鹿馬鹿しくてもやってみる価値はあるかもしれない。


 結局、後輩軍人も誘惑に負け、先輩軍人の甘言に乗っかることとした。早速、次週の料理担当に事情を説明し、協力を仰ぐ。あっさりと協力は得られ、その作戦は木曜日に実行された。


「そうか、もう金曜日か。なんだか今週は早かったなあ、あはは」


 運ばれてきたカレーライスを見た上司が呟いた言葉を聞いて、先輩と後輩の二人は作戦の成功を確信し、心の中で大いに沸き立った。きちんと曜日を数えていた仲間も勿論いて、彼らはしきりに首をかしげていたが、その作戦が仲間内で共有されるやいなや、誰もが二人を英雄だと囃し立てた。


 こうして彼らは一日早い休日を獲得し、堪能した。


 それから、カレーライスは金曜日に出すものではなく、『四日働いたら出てくる料理』へと変貌した。彼らの一週間は、四日勤務の二日休暇――計六日間となったのだ。


「なあ、実は俺さ、今週すごい体調悪いんだ。なんとか、三日勤務にできねえかなあ。この『一週間六日生活』も大分経っただろ。あのアホ上司ならいけると思うんだ」


 そんな生活がしばらくつづいたある日、仲間の一人がそんなことを言ってきた。さすがに三日は気づかれるだろうと、後輩軍人は即座に却下しようとしたが、『面白いじゃん』という先輩軍人の鶴の一声で、作戦は結構された。


「今週は忙しかったからかな。一週間が早く感じるぞ、もう金曜日か」


 さすがに無理があるだろうと後輩軍人はひたすらに怯えていたが、上司はどこまでも抜けていて、実にあっさりと作戦は成功した。

 こうして、彼らの一週間は三日勤務の二日休暇――計五日間となったのだ。


「なあ、ここまできたらいけるところまでいこうぜ」


 なんだかハイになってきている先輩の強い意思もあってか、作戦は徐々にエスカレートしていった。カレーが提供されるスピードはどんどんと上がり、二日勤務の二日休暇、終いには一日勤務の二日休暇となったのだ。


 さすがに気づけよと誰もが思ったのだが、『歳を取ったからか一週間がまるで三日みたいだ』と上司は相も変わらず阿呆なことを言っている。実際に一週間が三日となっていると知ったら、どんな顔をするのだろう。


 こうして彼らはとんでもない労働環境を獲得したわけだが、この『一週間三日生活』がしばらく続いてくると、大きな問題点が二つほど浮き彫りとなった。


「なんだか最近のカレー、色が淡いですね」

「色が淡いだけじゃねえよ、ちゃんと味も薄い」


 普段の倍以上の間隔でカレーが提供されるのだから、勿論カレーの具材が減るスピードも倍以上となったのだ。

 かといって『カレーの具材だけなくなったので補給しにどこか寄りましょう』だなんて不自然なことを言えるはずもなく、なんとかカレーを薄く薄くして難を逃れていた。


「というかよ」

「ええ。いい加減飽きましたね」


 そして二つ目の問題点の方が、彼らにとって深刻であった。

 三日に一回、色が淡く味の薄いカレーを食べなくてはならないのだ。カレーが美味しいと言えども、さすがに飽きがやってくる。


 あれほど楽しみで仕方なかったカレーライスが、今や彼らにとって苦痛でしかなくなってきているのだ。何の疑問も抱かず『美味い美味い』と食べているのは、上司くらいなものであった。



「よし。港が見えてきた。ここで燃料や食料を調達する。今日はカレーだったから金曜日か、明日は休日だな。各自、自由に行動して構わんが、羽目は外しすぎないように」


 そんな中、救いの声が船内に轟いた。

 この淡いカレー地獄からようやく抜け出すことができると、軍人たちは心の中で歓喜の声を上げる。ろくに働いていないから肉体的には問題ないのだが、誰もが精神的に疲弊してしまっていたのだ。


 船が港に着くやいなや、先輩軍人と後輩軍人の二人は、港町の定食屋へと仲良く転がり込んだ。


「旦那、俺たちすげえ腹減ってるんだ。船の中の料理は味が薄くってよお。濃ゆいのを頼むぜ」

「あいよ!」


 息も絶え絶えといった様子で、先輩軍人は定食屋の店主にそう声をかけ、そのあとはぐったりと机に突っ伏してしまった。これでようやくまともな料理にありつけると、後輩軍人も気が抜けてしまい、先輩と同じように突っ伏した。


「お二人さん、お疲れだね。これでも食べて精を出しな!」


 それからしばらくして、ゴトリ、と机に何かが置かれる音と店主の声が彼らを現実へと引き戻した。


 鼻腔をつく、料理の香り。

 すっかり嗅ぎ慣れたその匂いに、まさか――と二人は勢いよく顔を上げる。



「今日は金曜日だからね、やっぱり海軍さんたちにはこのカレーライスがいいだろう! 一週間ぶりに、それも陸で食べるカレーもオツじゃないか? さあ、一週間ぶりのカレー、たあんと召し上がってくれ!」



 一週間が三日となった彼らには、もう曜日感覚などない。

 だがしかし、目の前で存在感を放つそれは、否応なしに本日が金曜日であることを主張してやまなかった。


 これまで飽きるほど食べてきたそれの姿を見て、二人は頭を抱え込んでしまった。


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