緑色・影・いけにえ

「我は魔王軍四天王がひとり! さあ『影の勇者』よ! どこからでもかかってくるがよい!」


 ゆらゆらと揺らめく炎の化身が、ひとりの青年の前に立ちはだかる。

 この青年は、世界を闇の雲で覆わんとする魔王を討伐するために立ち上がった正義の使者――勇者である。


 彼が『影の勇者』だなんて呼ばれているのは、暗い影を落とすような過去があるからでもなく、影のように暗い人柄であるからでもない。むしろその逆で、彼はとある貴族の一人息子で何不自由なく育ったし、明朗快活・品行方正・文武両道と絵に描いたような好青年だ。


「さあ、影よ! 僕に力を貸してくれ!」


 青年が勇者の称号に『影』だなんて空恐ろしいものを冠しているのは、彼の使う魔法の特性による。


「今日のいけにえは、大好物の握り飯だ。頼むよ」


 勇者はぽつりとそう呟くと、懐から取り出した握り飯を手放した。握り飯はゆっくりと落下していき、地面へ叩きつけ――られなかった。

 炎の化身が光源となって作り出した勇者の影に、それはずぶずぶと飲み込まれていく。


『――――』


 そのすぐ後に影は地面からせり上がり、立体となり、実体を持った。

 影が形どった姿は、勇者のそれと全く同じであった。


「これが自らの影を操る魔法か。ハッ、実に奇怪なものよ。『影の勇者』とはよく言ったものだ」

「食費がかさんで仕方ないけどね」


 彼が自らの影を使役するには、『いけにえ』が必要である。

 本来『生贄』とは生きた動物を指すのだが、勇者の影はそれを欲しない、影は非常にグルメなのだ。使役の代償は、食べ物以外受け付けない。影の味覚は勇者に似通っているようで、与えたものが彼の好物であるほど、影の力は増すのだ。


 言葉の意味で言えば正確には『生贄』でないのだが、それ以外にいい言葉が見つからず、勇者はこの食べ物を『いけにえ』と呼んでいる。


『――――』

「さあ行くぞ、僕の影!」

「小癪な、どちらもまとめて消し炭にしてくれる!」


 ただでさえ一騎当千の強さを誇る勇者であるのに、それと同等の力を持つ影を使役できるのだから、彼の強さは折り紙付きだ。


 四天王を名乗る炎の化身もあっという間に風前の灯となり、あっという間に吹き消えた。


「勇者様! 炎の化身を倒してくださったのですね!」

「万歳! 勇者様万歳!」

「さすがは『影の勇者』様だ、いやあお強いなあ」


 炎の化身の脅威に脅かされていた村へ勇者が戻ると、歓喜の声でもって住民たちは勇者を出迎えた。


「負傷者が出なくてなによりです。皆さんの笑顔が、僕の原動力ですから」


 住民の歓声に酔いしれることなく、勇者はにこやかに笑ってみせた。

 その強さに驕り高ぶることなく、謙虚で慎ましい性格であるから、勇者は魔物以外に敵を作ることもなく誰からも愛されていた。


 彼に罵声を浴びせる者などいないし、陰口を叩く者すらもいない。


「勇者様、この村で取れた新鮮な野菜です。こんなものしかありませんが、どうぞ食べてみてください」


 そんな彼であるから、このように施しを受けることも少なくない。勇者が使う魔法の特性も皆が知るところであるので、その施しはもっぱら食物が多い。断ることも失礼に値するし、純粋にありがたいので、勇者は必ずそれらを洩れなく頂戴する。


「見事ですね」


 村人に手渡された野菜を手に取って、じっくりと眺める。

 深い緑色に染まった野菜は、まるで果実であるかのように瑞々しい。丹精込めて作られたのであろう、一点の曇りもない緑色の表面は、まるで鏡のようであった。


「食べていいですか?」

「勿論。ささ、どうぞどうぞ」


 このような青々しい野菜は、生で齧るに限る。

 大きく口を空けて一口齧ると、それは小気味よい音を奏でた。


「これは美味しい!」


 土臭くなく、口いっぱいに甘みが広がる。いい意味で野菜らしくないそれは勇者の好みにピタリとはまり、彼はすぐにひとつ食べ終えてしまった。


「影にも、いいですか?」


 これはきっと、いい『いけにえ』になるに違いない。

 村人の許可を得て、輝かしい緑色を放つそれを、影へと落としてやった。


 緑色が、あっという間に闇に呑まれていく。

 するとどうだろう。実体化した勇者の影は、彼の体よりも一回り大きく、筋肉質ですらあった。戦わずとも、姿だけで強靭な影であるとわかる。


「これはすごい。恐縮ですが、売っていただけるだけ売ってくださいませんか」

「何を言うのです。勇者様からお金などいただけません。あるだけ持って行ってください。この野菜は長持ちしますし、いくら持っていっても大丈夫ですよ」


 これはありがたいと、勇者は村人に何度も頭を下げた。

 彼の誠実な性格は、回りまわってこのような幸運をもたらしたりもする。施しを受ける勇者が笑顔なのは勿論、施しをした村人も笑顔である。


 彼に罵声を浴びせる者などいなし、陰口を叩く者すらもいない。

 しかし数週間後、勇者は初めてそれを経験することとなる。


「ケケケ! 勇者一人なら、俺たちで袋叩きだぜ!」

「覚悟しやがれ『影の勇者』よお!」

「ほらほら、影を出してみやがれ!」


 あれから幾度となく魔物との戦闘を行ったが、緑色に輝く野菜の効果は絶大であった。並の魔物であれば影が一捻りにするし、強敵相手でも苦労することなく撃破することができた。


 村人から貰った野菜は、まだまだ沢山ある。

 これを与えた影と共に戦っていけば魔王討伐も近いだろうと、勇者は確信していた。


「お望み通り出してみせよう。さあ、頼んだよ僕の影!」


 魔物の群れに囲まれても、勇者は怯まない。こちらには美味な野菜と、それを『いけにえ』として君臨する最強の影がいるのだから。

 そう確信した勇者は、懐から野菜を取り出す。村人が言っていたようにそれは長持ちするようで、緑色の輝きは健在であった。


 ゆっくりと野菜を落とすと、それを影が呑みこむ――ことはなかった。


「え?」


 ポトリ、と野菜は地面へと落下して、そのまま転がっていく。

 一体どうしたことだ。こんなことは初めてだ。何が起こっている。


『――――』


 勇者と魔物とが共に困惑する中、勇者の耳に微かな声が聞こえたような気がした。足元からうっすらと聞こえたそれの正体を探るべく、勇者は跪いて自らの影に耳を当てて、神経を研ぎ澄ました。



『何日も何日も同じ野菜ばっかり寄越しやがって。いくら好物でも、毎日食べたら飽きるってんだよ。もう今日はこの野菜じゃ戦ってやんねえぞ。肉か魚、それじゃないと出て行ってやらん』



 勇者が初めて経験したのは、影がこぼした愚痴――まさに『影愚痴かげぐち』であった。

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