地獄・幻・伝説の大学

 聞くところによると、『伝説の大学』なるものが存在するらしい。

 その学校について受験生たちが話しているところを、予備校の廊下で耳にした。


『伝説の大学な、就職率は最強だからな』

『みたいだな。伝説の大学と呼ばれるだけはあるぜ』


 伝説という言葉の響きにひかれて彼らの話を盗み聞きすると、どうやらその『伝説の大学』とやらは、普通の四年生大学であるそうだ。なんら変哲のない大学なのに、伝説の文字を冠しているとなれば、これはもうとんでもない学校に違いない。


「なに、進路希望を変えたいだって。もう十月だぞ、えらい急じゃないか」


 善は急げだと、俺はその足で予備校のチューターのもとへと駆け出していた。


「第一希望を、『伝説の大学』にします」

「なんだって、『伝説の大学』に?」


 チューターは大層驚いた表情を見せ、俺の発した言葉をオウムのように繰り返した。彼の様子を見るに、伝説の大学は眉唾物ではないと確信した。


「お前、文系じゃないか」

「え、『伝説の大学』は理系大学なんですか」

「それも知らずに希望するなんて。そもそも、これから理系に転向だなんて無茶だ」


 勢いそのままで進路を変えようとしている俺は、伝説の大学について何も知らない。これから数学やら物理やらを勉強しなければならないと思うと頭が痛いが、それでも俺は引き下がれない。


「俺は伝説になりたいんです」


 小学校からの夢だった。ただの一般人であることにうんざりとしていた俺は、何かこの世界に爪痕を残したいと、未来永劫語り継がれる人間に、言うなれば伝説の男になりたかったのだ。


 それが今、叶おうとしている。

 それを易々と見過ごせるはずがない。


「そうか。お前、伝説になりたいだなんて、そんな夢が」

「そうです。これから地獄のような勉強が待っているのは覚悟の上です」

「そこまでの決意があるなら、僕は止めないよ。伝説になる夢、どうか叶えてくれ」


 それからというもの、俺は理系クラスへと移り、猛勉強の毎日を送った。

 文字通りそれは地獄の日々で、これまで捨ててきた数学や物理といった分野を一から学ばなければならず、毎日血の吐くような思いをしてきた。


 伝説の大学だ。それはもう、夢のようなキャンパスライフが待っているに違いない。サークルはどうしよう、コンパとかには誘われるのかな、就職にも強いというし、受かれば人生薔薇色だろうか――という妄想が膨らみに膨らみ、俺は勉強に没頭した。


「あった!」


 それから数か月後、俺は合格発表の掲示板の前で自らの受験番号を見つけた。

 これは幻だろうか。いや違う、現実だ。俺は伝説の大学に、見事合格したのだ。


『すごいじゃないか。伝説になる夢、どうか叶えてくれよ』


 震える手で予備校のチューターに電話をすると、彼も涙ながらに俺の努力と成功を讃えてくれた。その声を聞いて、今までの地獄の生活が思い出され、俺も思わず涙してしまう。


 これから俺の伝説がはじまる。

 その伝説は、この学校で為されるのだ。


 それから二か月ほど経って、学科のガイダンスがあった。

 俺は勇み足で伝説の大学へと足を踏み入れ、大教室の一番前の席へと腰掛けた。


 辺りを見渡してみると、学生には男が目立つ。いや、目立つというレベルの話ではない。ほとんどが男ではないか。理系大学だというから覚悟はしていたが、それにしても少なすぎる。この学校で本当にサークルやらコンパやらのキャンパスライフが遅れるのだろうか。


 そんな一抹の不安を抱えながらも、ガイダンスが始まった。

 教壇に立った初老の男性がマイクを握り、この伝説の大学について語り始める。



「えー皆さん。合格おめでとうございます。この電気工学科は、就職率が非常に高いことで有名です。卒業生のほとんどが、電気設計のエンジニアとなっていることから、通称『電設でんせつの大学』なんて呼ばれていたりしますね。ただその分、学業は忙しいです。サークルやコンパなどの、世間一般で言うところのキャンパスライフとは程遠いですな、はっはっは。まあ、この大学を選んできたのですから、皆さん承知の上でしょうけど――」



 俺のキャンパスライフは、幻となって消えた。

 承知の上でなくこの大学を選んだ間抜けな俺はこの先『伝説』として語り継がれるのだが、それは別の話だ。

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