指輪・動物・正義の目的

 『正義』とは、何だと思うかい?


 読んで字の如く、正しき義だ。人道的な、人として踏み行うべき正しい道を進むことこそ、まさしく『正義』と言えよう。野性的かつ本能的に生きている動物、獣や畜生の類には備わっていない気高き精神だ。理性で生き、倫理観に従って生きることのできる人間にのみ、正義という概念が存在すると僕は思う。


 では、『正義の目的』とは一体何だろう。


 さっきも述べたと思うが、正義とは人間にのみ備わっている気高き精神だ。とすれば、それを行使する目的はただひとつ。人間が人間らしく、人間が人間的に、人間が人間であろうとすることが、『正義の目的』と言えるのではないだろうか。


 自らが人間らしくあろうとすれば、理性的かつ人道的に生きようとする。それはすなわち、正義を執行することに他ならない。正義という言葉を人々が使う目的は、『我々は獣とは違う、我々は人間である』と自らを律することではないだろうか。


 『正義の味方』だなんて言葉がある。

 児童向けの特撮番組などでよく使用される単語だが、僕はこの使い方があまり好きではない。悪の秘密結社を名乗る者たちから世間を守る、正義の味方。


 確かに悪の秘密結社は、文字通り『悪』であると言えよう。理性や人道を投げ捨てた蛮行を繰り返す秘密結社は、確かに『正義』とは真逆のところにいる。彼らの行為には正義はなく、動物や獣の類と同等であると言えるだろう。これは『悪』だ、間違いない。


 では『正義の味方』と呼ばれるヒーローたちはどうか。

 武力で悪を挫く様は、どうにも僕には人道的な解決法であるとは思えないのだ。話をしても無駄な相手であるのだから武力行使でしか平和は保てない、それは違いない。描写がされていないだけで、当初は話し合いの場を設けようとしていのかもしれない。

 だがそれを『正義の味方』であると、その行為が『正義』であると子供に見せつけるのは、あまりに一方的すぎると思うのだ。洗脳行為と呼んでもいいと僕は思う。


 僕はそうはしない。

 僕はいつだって、人としての『正義』を貫く男でありたい。

 『正義の目的』を忘れず、人らしく生きていく。



 だから、この指輪をどうか受け取って欲しい。

 

 そして、幸せな家庭を築こうじゃないか。そうだ、子供の名前は『正義まさよし』なんていいんじゃないかな。きっと僕や君に似て、正義を貫く素敵な人間になるに違いない。家はどうしよう。子供部屋はどうしようか。間取りはどうしよう。いやその前にまず結婚式の日程だよね。お互いの両親にも紹介しないといけないし――



「私たちまず付き合ってもいないじゃない、気持ち悪い。なにが正義よ、さっきから横でずっとブツブツと、鬱陶しいたらない。私からしたら悪そのもだわ、毎日毎日付きまとわれて。それに私、チョイ悪系が好きなんだけど」



 正義に、闇落ちは欠かせない。

 明日から僕は、獣のように本能で生きよう。

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