兎の魔神編

第6話 兎の魔神

 ある満月の夜、夏目彩香なつめあやかは通学路を歩いていた。部活の友人と別れ、流行りのJ-POPを聴きながら鼻歌混じりに進んでいると、交差点に真っ白に薄く光る何かが横切った。

 不思議に思い、交差点を曲がり追いかける。それは、小さな公園に入った。彩香もすぐに公園に入る。

 辺りを見渡していると、探していた白く光る何かが足元にちょこんと座り込んでいた。小さなウサギだ。


「ウサギ?何でこんなところに……」


 彩香はウサギを抱き上げる。なんだかいい香りがする。ウサギを少し顔に近づける。赤くてクリクリとした丸い目がまっすぐに彩香を見つめていた。


「ウサちゃん、君はどこから来たんだい?」


 ウサギは首をかしげるような仕草をした。人の言葉が理解できているのだろうか。おそらく、気のせいだろう。ウサギが人の言うことを理解できるとは思えない。


「うーん、その辺に放っておくわけにもいかないなぁ……。野性のウサギがこんな都会にいるとは思えないし」


 彩香は少し考えてから、ウサギを片手に抱えながら鞄から携帯を取り出す。誰かが飼っていた個体が捨てられたか逃げたかした可能性が高い。こう言う時は取り敢えず保健所に連絡するのがベターだろう。

 ネットで一番近い保健所を探す。そして、3つほど隣の駅付近にある保健所を見つけた。

 チクリとした痛みが腕に走る。痛みのする方を見ると、抱えていたウサギが彩香の腕に噛みついていた。驚くあまりウサギを落としてしまう。


「痛っ!な、なに?」


 ウサギはこちらを睨みつけるように見てから、公園の茂みの中へと消えていった。

 彩香は公園の水道で傷口を洗い流し、持っていたハンカチで腕を抑える。


「まさか噛まれるなんて……。ついてないなぁ」


 そのあとすぐに家に帰り、消毒液を使って消毒してからガーゼを当て、包帯を巻いた。多分処置の仕方はこれで合っているはずだ。

 少し痛むが特に支障はなかった。夕飯も普通に食べれたし、風呂にも入れた。布団に入ってからもすぐに寝付けた。きっと明日には痛みも引いているだろう。そう思った。


 ◆◆◆◆


 順一はかなり寝坊してしまい、急いで学校へ向かっていた。母も起こそうとはしてくれていたみたいだが、あまりにも起きない順一に呆れ、放置していたらしい。

 レイラにも普通に置いてかれ、紡が迎えにくることもなかった。順一は一人、通学路を全力疾走した。


「はぁはぁ……。ギリギリセーフか……」

「おいおい、寝坊か?」

「うっせぇ」


 教室に着くなり前の席の山田が茶化してきた。順一は大きなあくびをしながら言い返す。

 少しして、担任の教師が入ってくる。そして、いつものようにサクッと朝礼を行なっていたが、その終わり際に信じられないことを言った。


「今日は夏目さんがお休みです。熱があるみたい。皆さんも体調には気をつけてね」


「おいおい、あの夏目が熱かよ。こりゃあ、今日は槍が降るぜ」


 山田がそう言うのも分かる。夏目彩香という人間は生まれてこのかた風邪の一つも引いたことがない。と、本人が言っていた。実際、中学の頃から毎年のように皆勤賞を取っていたし、少しでも具合が悪そうにしているところを見たことがない。


「いや、それどころか隕石の雨だ」

「そうかもな。あはは」


 昼までクラスはその話題で持ちきりだった。ちょっと熱を出しただけでこんなに話題になるとは。授業の先生さえも夏目がいないことに気づくなり、驚いていた。

 しかし、昼休みになると空気は一変した。というのも、担任が昼休みに教室にやってきて、こう言ったからだ。


「今、夏目さんの親御さんから連絡があって……。夏目さんが目を覚まさないらしくて、今病院に……」


 クラスがざわついた。入院するほど酷い病状だとは誰も思っていなかった。順一もさっきまで散々ネタにしていたので、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 その後の授業はマトモに頭に入ってこなかった。あっという間に放課後になり、今日も教室の外で紡が待っていた。


「あっ、順くん!今日一緒に帰らない?」

「ああ、いいよ。レイラはどうする?」

「私はパスで。今日はアヤカのお見舞いに行くわ」


 そうだ。レイラは夏目と仲が良いのもあり、相当心配しているようだ。順一はあまり交友が無いので、お見舞いには行く気にならなかった。


「あ、夏目さんお休みなんだっけ……。大丈夫かなぁ」

「そっちのクラスまで噂になってるのか」

「うん。『不死身の夏目が風邪をひいた』って」


 不死身の夏目とは夏目もすごい異名が付いたもんだ。風邪を引いたという噂ということは、夏目が入院したことは他のクラスでは知らされていないのだろうか。

 とはいえ、紡にそれを伝えても不安にさせるだけだ。ここは黙っておこう。


「小学校からずっと皆勤なくらいで不死身なんて、大げさね」

「まあ、それくらいみんな驚いてるってことだな」

「まあいいわ。それじゃあ、先に行くね。さよならツムギちゃん」

「うん、さよなら」


 レイラは小走りで去っていった。順一と紡はそのすぐ後に下駄箱まで降りた。そういえば、前に紡にドーナツを奢ると約束してからずっと放ったらかしになっていた。


「そうだ、今日はドーナツを奢るよ」

「えっ、いいの?」

「前に約束しただろ。俺は約束を守る男なんでね」

「えー、そうかなぁ?」

「そうなの!」


 他愛のない話をしながら駅の方に歩いて行く。鳩羽町は駅前こそ栄えているがその他のところはあまり店などが無いため、寄り道をするなら必然的に駅の方になる。

 駅の方と言えば、クリスティーヌの『カフェ フローラ』がある。せっかくだし、そちらに行ってもいいかもしれない。


「そうだ、順くん。スタート ウォーズの新作観に行かない?」

「そっか、公開今日だったっけ」

「そうだよ!あたし、楽しみすぎて夜なべして過去作全部観てきたんだから!」


 スタート ウォーズとは銀河の秩序を守るルーフ・アースランサーの所属する『ジェドゥアイン』と、悪の皇帝ダーク・ベンダー率いる『ジズ』の戦いを描いたSF大作である。

 紡は昔からこの映画が大好きで、順一もよく見させられていた。順一もスタート ウォーズは割と好きなので、新作も是非観たい。


「ははは、じゃあ映画館行くか」

「うん!」


 二人は映画館に行ったが、公開当日の話題作だ。当然席は埋まっており、チケットは取れなかった。一応夜の時間なら空いていたが、順一はともかく紡はあまり遅くに帰るわけにもいかないので断念した。


「はぁ、流石に公開当日は無理かぁ」

「仕方ないよ。……そうだ、ドーナツ屋もいいけど、最近見つけたオススメのカフェがあるんだ。どうかな?」

「うん、せっかくだしカフェにしよ!」


 二人は映画館のある駅ビルを出て、カフェ フローラに向かった。今日はちゃんとOPENの札が掛けられていた。

 ドアを開けると、いらっしゃいませ。と、クリスティーヌの声が聞こえた。今日は先客が2名ほどいる。一人は70代くらいに見えるおばあさんと、40代ほどのサラリーマンだ。前に特訓で来た時は閉店していたので分からなかったが、俗に言う知る人ぞ知るってやつだろう。


「あら、順一くん!いらっしゃい。そちらは彼女さんかしら?」

「へっ?ち、違います!ただの幼馴染です」

「それは失礼。てっきりデートかと思っちゃったわ」

「からかわないでください!」


 クリスティーヌはニヤニヤと笑いながら注文を聞いた。順一はチーズケーキとダージリンティーのセットを、紡はフルーツタルトとカモミールティーのセットを注文した。


「えっと、知り合いのお店だったの?」

「ああ。つい最近知り合ったんだけどな」

「へえ。でもいいお店だね。花がいっぱいで綺麗だし、店員さんもいい人そう」

「だろ?」


 注文した飲み物とケーキが運ばれてくる。この前はコーヒーを頼んだが、今回は紅茶にした。紅茶のいい香りが漂ってくる。

 紡の頼んだフルーツタルトもフルーツがたくさん載っていて美味しそうだ。

 順一はチーズケーキを一口食べる。チーズの風味とレモンのほのかな酸味が口に広がる。次に紅茶を飲む。ダージリンティーの独特の香りが鼻に抜ける。


「なあ、フルーツタルトちょっともらってもいいか?」

「別にいいけど、順くんのチーズケーキと交換だよ」

「サンキュー」


 順一は紡のフルーツタルトを少しもらい、口にする。タルト生地の上に乗るカスタードクリームは甘さが控えめで、上に乗っているフルーツの甘み、旨味をよく引き立たせており、とても美味しかった。


「うん、フルーツタルトも美味いな」

「チーズケーキも美味しいね。紅茶も美味しいし、いいお店だね」

「うふふ、気に入ってくれて何よりだわ」


 いつの間にクリスティーヌがすぐ近くまで来ていた。紡は驚き、目を丸くした。


「そ、そうだ、店員さんと順くんってどういう仲なんですか?」

「恋人………ってとこかしら」

「えっ?」

「冗談よ。本当はレイラの姉です。だから、順くんは妹の友達ってこと」


 クリスティーヌはそう言って微笑んだ。一方で紡はかなり困惑した様子だった。

 そういえば、紡はレイラがイミシアン人であることを知っている。クリスティーヌが姉だと聞いて、迂闊に魔法とかの話をしないだろうか。順一は少し心配だった。


「へえ、レイラちゃんのお姉さんなんですか。言われてみれば少し似てるような気が……」

「そう?むしろ似てないって言われるけど」


 血が繋がっていない姉妹なのだから似てないのは当たり前だ。だが、紡はレイラとクリスティーヌのことを血の繋がった姉妹だと思っているらしい。

 ややこしくなるので、二人の血が繋がっていないことは黙っておこう。

 そんなことを考えていると、順一の携帯が鳴った。レイラからの電話だ。となると、店の中で出るのはマズイだろう。


「すいません、ちょっと出てきますね」

「はいはい」


 順一は店の外に出てから、電話に出る。電話からは焦っている様子のレイラの声が聞こえてきた。


「もしもし、ジュンイチ?」

「なんだ、いきなり」

「今、アヤカの様子を見てきたんだけど、彼女に魔法の痕跡があった」

「なんだって!?」


 魔法の痕跡があるということは、夏目の体調不良はなんらかの魔法が原因と考えられる。おそらく、魔神の仕業だ。


「多分、魔神の仕業よ。今回の魔神は中級、この前の百足の魔神よりも危険。早くしないとアヤカの命が危ない!」

「わ、わかった。そいつはどんな魔神なんだ?」

「『兎の魔神』、可愛らしい外見とは裏腹に恐ろしい魔神よ」

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