第3話 ヒーロー
「だから、魔術師にならないかって聞いてるの。あなたはどの魔力があれば、神器無しでもある程度戦えるかもしれない」
「そんなこと急に言われても……」
「イミシアンも人材不足なのよ。だから、こっちの世界の人で魔力が高い人間を魔術師に認定してるってわけ。で、私はあなたを推薦したいんだけど……だめかな?」
レイラは順一に魔術師にならないかと迫ってきている。魔術師になればあのムカデの怪物みたいな魔神と戦わされる。もしかしたら、もっとヤバいやつとも戦わされるかもしれない。そんなのごめんだ。こんな若くして死にたくない。
「ご、ごめん!用事を思い出した!じゃあね!」
順一は逃げるようにそれだけ告げて、家の方へと走る。旧校舎のフェンスを飛び越え、学校の敷地を抜け、住宅街を走る。レイラは追っては来なかった。諦めてくれたのだろうか。
そうして5分ほど走ると、我が家の前に着いた。どこにでもあるごく普通の一軒家だ。鍵を開け、中に入る。
「ただいま」
「おかえり、順」
キッチンの方から母の声が聞こえた。いい匂いがする。今日の夕飯はカレーのようだ。階段を登り、二階の自分の部屋に荷物を置き、制服から着替える。
かなり汚れていた。間違いなくあとで怒られる。少しため息混じりに床に散乱した服の中からパーカーを手繰り寄せる。
汚れた制服をまとめていると、下の階でインターホンが鳴った。
「順、出てー」
「はいはい」
順一は急いで下に降りる。そして、玄関のドアを開ける。目の前には見たことのある赤髪の留学生が立っていた。とっさにドアを閉めようとした。
が、レイラはドアの隙間に足を挟んでドアが閉められるのを防ぐ。
「こんにちは!こちらにホームステイさせていただくレイラ・シルビエです!」
「ホームステイ!?」
「まさか、ホームステイ先があなたの家だとはね……」
家にホームステイが来るなんて話聞いていない。魔術師勧誘の次はホームステイ詐欺か?つくづく運がない。どうするか考えていると、母が様子を見に来た。
「あら、レイラちゃんね!待ってたわ………。順、そんな意地悪してないで、開けてあげなさい」
「ほ、ホームステイなんて聞いてないぞ!」
「ごめんなさい、昨日言おうと思ってたんだけど、立て込んじゃって………」
「はぁ、まあいいよ。仕事なら仕方ないや」
順一の母は小説家だ。確か昨日は新しいミステリー小説のための取材で帰りが遅かった。だが、もっと早く言ってほしいものだ。
そもそも、ほぼ父が帰って来ず、母は小説家でいつもいるとは限らないこの家をホームステイ先に選んだのだろう。
そんなことを気にしていても仕方ない。これ以上レイラを閉めだそうとするわけにもいかないので、渋々ドアを開ける。
「順、レイラちゃんを案内してあげて。二階の来客用の部屋は分かるよね?」
「あー、はいはい」
順一は階段の方へ向かう。レイラは靴を脱いで、しっかりと揃えてから玄関に上がった。キャリーバッグを持ち上げ、こちらに向かってくる。
「荷物くらい持ってあげたら?」
「そうですねー」
気が進まないが、レイラのキャリーバッグを半ば奪い取り、二階へと登った。レイラも後ろからついてくる。順一の部屋の隣の隣が来客用の部屋だ。部屋のドアを開け、中に入り、壁際に荷物を置いた。
「なあ、どうしてホームステイ先に家を選んだんだ?」
「……知り合いの紹介でね。ところで、さっきの件、答えを聞かせてもらおうかな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。……明日、明日まで待ってくれないか?」
正直断りたい気持ちで一杯だったが、素直に断ったところで聞く耳を持たないだろう。都合のいい言い訳を考えなくてはならない。
「そうね。いきなり答えを出せなんて酷だったわ。ごめんなさい」
「分かってくれればいいんだ。じゃ、困ったことがあったら聞いてくれ」
順一は部屋を後にし、自分の部屋に向かった。椅子に座り、親友の守にラインをした。
[もしも、自分に力があって、それで怪物と戦ってほしいって言われたらどうする?]
我ながら意味不明な文章だった。だが、遠回しに言う文が思いつかなかった。順一がスマホから目を離した瞬間に返信が来た。
[いきなりどした?]
[これは中二病というやつですかな?]
まあ、そうなるだろうな。順一はため息をついた。メッセージの下のスタンプが妙にムカつく。これは正直期待できそうにない。誰かに相談したい気分だったのに、守でこの反応なら他の人に聞いても変わらないだろう。
[違う違う、なんとなく聞いてみたんだよ]
[気にしないでくれ]
[漫画の読みすぎはほどほどに]
[余計なお世話だ]
やりとりが途切れる。順一は視界の端に映った汚れた制服を抱えて下に降りた。洗濯カゴに放り込み、リビングに向かった。
テレビは夕方のニュース番組が放送されていた。特に変わったニュースはなさそうだ。
レイラも上の階から降りてくる荷解きが終わり、着替えてきたらしく、無地の白いTシャツと赤いスカートといった装いだった。
「あ、レイラちゃん。改めて自己紹介しておこうかな。私は涼城縁、順一の母です」
「これからお世話になります、縁さん」
「よろしくね。あ、順は知り合いなのよね?」
「同じクラスです。今日は学校の案内までしてもらっちゃって!本当に助かりました」
殺されかけたけどな。と、余計なことを口走りそうになったが堪える。
「ほんと?」
「ま、まあね……」
単に断りきれなかっただけだ。ついでに言えば、魔術師の件も断りきれなかった。順一は昔から優柔不断なところがある。基本的に押しに弱い。
「あ、そうだ。順、ご飯の準備が出来たから運ぶの手伝ってちょうだい」
「わかったよ」
「私も手伝います!」
お盆に乗ったカレーライスとサラダを運び、配膳した。レイラは食器類を並べている。そこに母が飲み物を持ってくる。麦茶だ。
「いただきます」
レイラが恐る恐る、カレーを一口頬張る。イミシアンにはカレーは無いのだろうか。何やら神妙な表情をしている。そんなに気に入ったのか、はたまたあまり好きではなかったのか。
「これが、噂に聞くカレー……?想像以上に美味しい……」
「ふふふ、気に入ってくれてよかったわ」
その後も他愛ない話をしながら、ゆったりとした夕食の時を過ごした。母がフランスの話を聞くたびにレイラはかなり正確に答えていた。あたかも本当にフランスに住んでいたかのように感じられた。
予め調べ、考えていた筋書きなのだろうが違和感というものが全くなかった。
夕食後は少しテレビを見たりして休憩してから風呂に入ることになった。もちろん客人のレイラが一番最初だ。レイラが風呂に入っている間、母が話しかけてきた。
「ねえ、順。レイラちゃん、いい子そうね」
「うーん、まあそうだね」
「………何かあったの?」
母は昔から勘が鋭い方だった。何か悪いことをするとすぐにバレてしまう。中学生の頃片手の親友と大喧嘩した時もすぐにバレた。謝るように言われたが、結局謝ることはなく、彼とは自然と口を利かなくなっていった。
しかし、素直に言ったところで信じてはもらえないだろうし、どちらにせよレイラの心証が悪くなってしまう。
「そういえば、制服やけに汚れてたね」
「ああ、転んだんだよ。レイラのやつ旧校舎に行きたいっていうからさ、連れていったんだけど、俺そこで転んじゃってさ。いやー、立ち入り禁止の旧校舎に行ってみたいなんてあいつも中々ワルだぜ」
「ふーん、そう」
母はこれ以上追求するのはやめたようだ。順一は胸をなで下ろす。変に突っ込まれなくて助かった。嘘はついていないのだが、なんだか少し罪悪感があった。
レイラが風呂から上がり、リビングに戻ってくる。薄紅色のパジャマを着ていた。少し趣味が幼い気はしたが、余計なことは言わないことにした。
母が先に入っていいと言うので、順一は先に風呂に入ることにする。風呂場にスマートフォンを持ちこむ。最近防水の機種に変えたので、ここ数日はずっと風呂場でスマホを使っていた。
ふと鏡を見る。長く伸ばした前髪が右目に掛かっていた。さっと前髪を搔き上げる。10年ほど前から右目は開かない。そこにあるのは古い傷跡だけだった。
おそらく、この傷が何か関係しているのだろうが、何も覚えていない。そのことが恐ろしく感じられ、昔からこうして前髪で隠している。
そんな物思いにふけっていると、スマホに着信があった。幼馴染の紡からだ。
「もしもし?」
『もしもし、順くん。相談したいことがあるんだけど、いいかな?』
「ああ」
『あのね、今白いハンカチに刺繍入れようと思ってるんだけど、赤い糸と緑の糸どっちがいいかな?』
「うーん、赤い糸かな。って、そんくらいならラインでもいいんじゃないか?」
『ちょっと、順くんの声が聴きたくなっちゃって……。ほら、昨日今日って会ってないでしょ?』
たしかに、言われてみれば会っていない。でも、刺繍の相談くらいならラインで済ましてほしい。別に電話が嫌なわけではないが。
「うーん、まあそうだけどさ」
『そういえば、今日順くんのクラスに留学生が来たんでしょ?』
「あー、レイラのことか。なんならウチにホームステイに来てるぞ」
『え"っ!ホームステイ!?れ、レイラさんって女の子だよね?』
「ん?ああ、そうだな」
電話越しにも紡がかなり動揺しているのが伝わってくる。仕方ない、隣の家に留学生がホームステイに来ているなんて知ったら誰でも取り乱すだろう。
『ぜっっっったいに変なことしちゃ、ダメだからね!国際問題なんだから!!』
「おいおい、ちょっと落ち着けって……」
『あたしはとってもすごく冷静です!変なことしちゃダメなんだからね!はい!さよn』
「待ってくれ!」
順一は思わず叫ぶように言った。風呂の中でその声が響く。紡は物心ついた時からの付き合いだし、レイラに会っていない。放課後の出来事をもしかしたら信じてもらえるかもしれない。魔術師にならない言い訳の相談に親身に答えてくれるかもしれない。
それ以上に順一は、誰かに相談したくて堪らなかった。自分一人で抱えたくは無かった。
「話したいことがあるんだ」
『な、なに?いきなり』
「今からする話は信じてもらえないかもしれない。でも、事実なんだ。あと、誰にも話さないでくれ。俺たちだけの秘密にしてほしい」
『うん、わかった。話して』
順一は洗いざらい全てを話した。今朝妙な本を拾ったこと。それが原因で魔法で攻撃されたこと。魔神という怪物が異世界から来ていて、それに襲われたということ。そして、魔術師にならないかと誘われていて断りたいということ。全てを打ち明けた。
『うん、正直信じられないけど、声で分かるよ。大変だったんだね』
「ああ。ごめんな、いきなりこんなこと言っちゃって」
『ううん、いいの。気にしないで』
話してだいぶ気が楽になった気がする。紡は口が固い方なので妙な噂を立てたりはしないだろう。
『……でも順くんは、本当は魔術師になりたいんじゃないの?』
「へ、なんで?嫌に決まってるじゃないか、命をかけるんだぞ!」
『昔、言ってたでしょ?困っている人を助けてあげられるヒーローになりたいって』
そんなの、小学校低学年の時の話だ。高校生にもなってヒーローになりたいなんて思わない。自分を犠牲にして誰かを救うヒーローを格好いいとは思っても、自分がなりたいとは思えない。
「昔の話だろ。俺はヒーローって器じゃない」
『あたしは、そうは思わないな』
「なんで?」
『だって、あなたはあたしを守ってくれたじゃない!あたしにとっては、順くんは十分ヒーローだよ…』
中学生の頃、紡がいじめられそうになっていた時、助けようと奔走していた時があった。あの時は紡を助けるのに必死だった。目の前で大切な人が傷つけられるのが許せなかった。
「俺は、当たり前のことをしただけだよ」
『誰かを助けて、それを当たり前って言えるのがヒーローだよ!』
小さい頃きっと誰もがヒーローに憧れ、成長の中で現実を知り、諦めていくのだろう。だが、今の順一にはすこし違う形とはいえ、幼き日夢に見たヒーローになれるかもしれない、そんな力がある。
この街に魔神が出るのなら大切な誰かが襲われてしまうかもしれない。その可能性にようやく気付いた。だからもう迷わない。
「………やっぱ、俺は魔術師になるよ」
『うん!あたしも応援するよ!』
「もし、お前がピンチになったらいつでも呼んでくれ。きっと助けに行く」
『ありがと、順くん』
そのあとは紡と他愛ない話をした。かなり長いこと話していたせいで順一はのぼせてしまった。だが、不思議と悪い気はしなかった。
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