第2話 事情

 順一は廊下を思い切り蹴り、外に出る。旧校舎の外壁には蔦のような植物が茂っていた。それを掴み外壁を駆ける。こんな状況だというのに身体が異様に軽く感じる。

 窓が外れている四階に入り込む。四階には美術室があるここなら椅子や机に画材の残骸、よくわからない彫刻など隠れるのにうってつけのものが沢山ある。ここに隠れてやり過ごす作戦だ。そして、この美術室には床に穴が空いた場所があり、そこから三階に逃げることもできる。

 我ながら完璧な作戦だ。レイラもすぐには来るまい。今のうちに彼女の話を整理しよう。何か和解の手立てがあるかもしれない。

 彼女の話と今の状況を簡単にまとめると、


 ①彼女は寿司、天ぷらが好き

 ②清水寺、歌舞伎等が気になる

 ③本当はフランス人じゃない

 ④実はイミシアン(多分異世界)の人

 ⑤特等魔術師

 ⑥彼女の攻撃は一瞬で壁を切断する

 ⑦朝拾った本は彼女にとって非常に都合が悪いもの

 ⑧その本のせいでこの世界とあっちの世界(?)は歪につながってしまった

 ⑨順一はこっちの世界では魔力が強い


 こんなところだろうか。とりあえず今関係のない①、②は後回しにして、他のところを考えよう。

 まず、彼女は異世界(?)から来た留学生だが、何らかの事情でフランス人を装っている。異世界にはイミシアンという国があり、彼女はそこの特等魔術師だ。魔術師ということは魔法が使える。そのため魔力を感じ取ることができるということだろう。

 そして、彼女の魔法というのがあの居合斬りのような構えから出される攻撃だろう。あれを食らえば即死と考えてもいい。

 朝拾ったあの本、あれをたまたま拾い、たまたま魔力が強かったため、勘違いされ、命を狙われている。今の状況はこんなところだろうか。

 順一は整理していて理不尽極まりないと思った。結局のところ偶々勘違いされているだけである。それなのになぜ命を狙われなければならないのか。


「はあ、早く諦めてくれないかな…」


 心の底からそう願った。しかし、現実は非情である。下の階から彼女のを感じる。今も彼女は順一を探している。レイラは下の階層から探すことにしたらしい。音からして、今は三階にいるのだろう。四階に来たら床の穴を使い下に降り、全力で帰ろう。流石に人のいるところで攻撃は出来まい。

 順一は昔に右目の視力を失ってから人のオーラを感じることができるようになっていた。よく五感の一つを失うと他の感覚がそれを補うよう研ぎ澄まされるというが、それと似たようなものなのだろう。おかげで今まで生きてきて不便を感じたことはない。

 右目の視力を失ったことで今こうして生き延びる策を講じられているのは少し複雑な気分になる。不幸中の幸いというやつだ。


 彼女のオーラが少しずつ近づいてくる。どうやら階段を上っているらしい。もう少しだけ、もう少しだけ引きつけてから抜け穴を使おう。

 彼女が隣の教室に入る。


 今だ!


 順一は床の穴に飛び込んだ。下の階の机の上に着地する。そのまま、机から机へ、窓の方へ駆ける。誤算、窓ガラスが割れていない。

 知ったことか。多少怪我をするかもしれないが、命には変えられない。ガラスを蹴破り飛び降りた。

 着地する。冷静に考えれば、下の階へ飛び降りた時の音、ガラスを蹴破る音。それにレイラが気づかないはずがない。

 急いで走り出す。後ろを振り返ると、レイラが四階の窓から飛び降りていた。四階から飛び降りて無事に済むはずがない。

 しかし、レイラはふわりと地面に着地した。魔法だ。そんな風にも使えるのか。順一は少し感心した。

 次の瞬間、レイラが消えた。驚いて前を見ると、順一のすぐ目の前に不機嫌そうな顔をしたレイラが立っていた。


「自分からひらけた場所に出るなんて、何考えてるの?まあ、私からしたらお仕事が楽になってとても助かるんだけどね」

「は、ははは……」


 だめだ、詰んだ。順一はただ、乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。

 何か嫌なオーラを感じる。土の下、ちょうどレイラの真下あたりだ。どんどん近づいてくる。


「危ない!!」

「きゃっ!!」


 気づけばレイラを突き飛ばしていた。視線を下ろすとレイラは驚いた表情を浮かべていた。

 後ろを見ると、巨大なムカデのような生き物がこちらを見下ろしていた。嫌なオーラの正体はこの化け物だったようだ。

 レイラが順一の体を横に突き飛ばす。順一は尻餅をつく。そこにムカデの化け物が襲いかかってくる。が、レイラが間に入り、ムカデの化け物を吹き飛ばした。強い風が吹く。二人の髪がなびいた。


「なんで私を助けたの?あなたの敵でしょ」

「いや、特に理由なんて無いけど…」

「……そうね。あなたは私を攻撃しなかった。本当は敵なんかじゃなかったのね。だったら話は別」


「レイラ・シルビエはあなたを守ります」


 振り向かずにレイラは語った。そして、ムカデの化け物の方へ向かう。化け物が旧校舎の瓦礫から這い出てくる。瓦礫を撒き散らし、化け物はレイラに襲いかかった。


「『風香弐式・風切羽』!!」


 レイラがそう叫ぶと、風の刀は霧散した。何を考えているのやら。敵を目の前にして武装を解除するなんて。そう思った矢先、化け物に無数の風の刃が降り注いだ。化け物が不気味な叫びを上げる。

 レイラが腰を落とし、刀の柄を構える。風が柄に集まり、再び風の刀を形成する。


「『風香陸式・百花繚乱』!!」


 レイラが地面を蹴る。地面に落ちていた葉が舞い上がる。化け物が不気味な断末魔を上げ、バラバラに崩れ落ちる。一瞬の出来事だった。

 化け物が赤い霧となって消える。順一はレイラの方へ走っていった。


「た、倒したの?」

「まあね」


 レイラを見るとかすり傷ひとつなかった。一歩間違えれば今頃自分もムカデの化け物みたいにバラバラにされていたのかと思うと恐ろしかった。それが表情に出ていたのか、レイラは順一の前に土下座した。


「ごめんなさいっ!!まさか、一般人を攻撃するなんて!本当にごめんなさいっ!」

「いや、でもあのムカデの化け物から助けてくれたじゃないか。顔上げてよ」


 順一は困惑していた。さっき化け物を瞬殺した人間とは同一人物とは思えない。レイラは今にも泣きそうな顔をしていた。土下座までするなんて思わなかった。ただ普通に謝ってくれればいいのに。


「許してくれるの?」

「もちろん。勘違いくらい誰でもあるさ」

「……ありがと」


 レイラは立ち上がって、小さくお辞儀をした。そして、順一の瞳を見つめた。


「本当は魔法を見た一般人の記憶をいじんなきゃいけないんだけど、あなたほどの魔力じゃ無理そうかな」

「え?記憶いじるの?怖っ」

「別に手荒なことじゃないよ。まあ、ちょっとした暗示をかける感じかな。あなたにはしないけどね

だからこそ、あなたには事情を説明します。なぜ私がこっちの世界に来たのかもね」


 ◆◆◆◆


「昔から私たちの世界には『魔神』って言う怪物がいて、たまーにだけど、こっちの世界に出てきちゃうの。だから私たち『魔術師』がこっちの世界に滞在して処理しているの」

「さっきのやつも魔神なの?」

「そうそう。あれは下級の魔神かな」


 あれで下級とは、上級はどんな化け物なのか見当もつかない。だが、それとあの本になんの関係があるのだろうか。


「あなたが今日拾った『魔封の書』、あれは魔神を封印したものなの。で、あなたの強力な魔力を浴びて封印が解けてしまった上に、二つの世界を歪につなげてしまった」

「つまり、魔神がこっちの世界に来やすくなる上、すでに何体か解き放たれてしまった」

「それは、申し訳ないことをしたな」

「ううん。スズシロ君は悪くないよ。問題なのは魔封の書をこっちの世界に持ち出した人間がいるってこと。私はあなたがその犯人だと勘違いしちゃったの」


 つまり、レイラはその犯人を探してこっちの世界に来ていて、たまたま魔力が高かった順一をその犯人だと勘違いしてしまったということだろう。

 レイラはため息混じりにつぶやく、


「はぁ、よく考えれば分かるのになぁ。元からこっちの世界にいる人な訳ないことくらいさ……」


 レイラは先ほどの勘違いをかなり重く感じているようだ。その意気消沈っぷりは目に耐えない。順一は話題を変えた。


「状況が状況だし仕方ないよ。そういえば、さっき使ってた刀の柄みたいなのって何?」

「これのこと?」


 レイラは手の中にあの刀の柄を出してみせた。


「これは『神器』って呼ばれてるんだ。魔法を使うために使う魂の欠片みたいなものだよ」

「それがないと魔法は使えないのか?」

「使えなくはないけど、複雑な魔法になると神器無しじゃ無理かな」


 なんとなく理解できた気がした。そんなとき、順一のポケットのスマートフォンが振動した。さっきまでそんなことを気にしている余裕はなかった。スマホを見てみるとラインが来ていた。

 幼馴染の糸野紡いとの つむぎからだった。内容を見てみると、


[今日、一緒に帰らない?]

[今、忙しい?]

[ごめんね、今日は先帰るね]


 その後に可愛らしいクマのスタンプが送られていた。悪いことをした。すぐに返信をする。


[ごめん、ちょっと用事があって返せなかった]

[お詫びにドーナツ奢るよ]


 スマホを再びポケットにしまった。勢いで奢るなんて言ってしまったが、順一は金欠だ。自分の軽はずみな言動を後悔した。


「彼女?」

「ち、ちがうちがう。友達だよ!」

「ふーん、その割にはずいぶんニヤニヤしてたけど」


 レイラはからかうように言った。さっきまであんなに凹んでいたのが何処へやら、だいぶテンションが戻ってきたようだ。


「そうだ!話は変わるんだけど、スズシロ君魔術師にならない?」

「え、なんだって?」


 順一はあまりにも突拍子のない提案に首を傾げた。

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