終着点 イン・ザ・ホール
居住地の快適な生活に比べると、荒野での車中泊は骨が折れる。とは言え、外付けした温度管理ユニットのおかげで室温は快適だし、ストロボのようなヘッドライトによって夜の闇に対する不安はない。本当に怖いのは、身の回りの安全だ。
この稼業に携わる人間に、聖人君子は少ない。皆が自らの利益に飢えているのだ。運んでいた遺物を盗まれることなどザラにあるし、荒野に潜む野盗の姿は実際に目撃している。とはいえ、それを裁く機関はない。居住区の外は秩序の監視がない無法地帯であり、常に闘争状態なのだ。
歓迎されない来訪者は来る日を選ばない。ソイツは、武器を携えて現れた。
「動くなよ、ガキども……」
落ちる寸前の夕陽が煌々と輝く夕方。ホログラム転写された仮面で巧みに表情を隠すそいつは、小型の電磁ブラスターを運転席に座る俺に向けた。サイケデリックな色彩は目鼻の位置をぼやけさせ、声色とエモートからでしか感情を読み取れない。
俺は手を上げたまま静止し、助手席に座るパウロにアイコンタクトを図る。俺の意図を察したのか、パウロはカーラジオの音量を急速に上げた。
「すぐに荷台の遺物を下ろせ。死にたくないならな」
ブラスターの発する電磁波がラジオにノイズを発生させる。電源は入っているようだ。
パウロは手を上げたまま軽トラックから下り、荷台を覆うシートを捲りあげた。光学迷彩などは搭載されていない、ただの古びた布だ。軽トラックも、シートも、同じ場所で手に入れた遺物なのだから当然ではある。
「……はァ、悪く思うなよ? これもビジネスの授業料だと思ってくれ」
最も価値の高そうな大きな端末を抱え、野盗は自身の移動手段に帰るつもりだ。付近にアジトがあるのか、見渡す限りの荒野に仲間の姿は見当たらない。この状況なら、大きな音も砂地に溶けてしまうだろう。
俺は足下の銃を拾い上げると、翻ってドアを蹴り開けた。不審そうに振り返る野盗の額に、片目を瞑って照準を定める。
「オイオイ、そんなオモチャで何する気だ?」
金属銃、旧文明ではソードオフ・ショットガンと呼ばれていたそれは、俺たちが施錠された廃墟の鍵を開けるのに使っていたものだ。もちろん、野盗を撃退するのにも問題なく使える。実証済みだ。
「いいのか? 旧文明の武器で殺されるんだぞ?」
「所詮、淘汰されたガラクタだろ? 最新技術に勝てるとでも本気で思ってる?」
野盗は端末を砂地に投げ捨てると、腰に提げたブラスターに手を掛けた。マズい。単純な速さ比べだと、最速で人体を破壊する電磁波に金属銃は勝てない。俺は即座に引き金を引いた。
乾いた発砲音と共に、野盗の腕が赤く染まる。ソイツはブラスターを取り落とし、呻いた。
「がッ……畜生、撃ちやがった!!」
サイケデリック模様が渦を巻き、ホログラムにノイズが走った。バイタルサインの変動によって、その仮面は目まぐるしく色彩を変える。確かな感情が見えた。
「ブラスターじゃ血は流れないだろ? 旧文明人はこんなものを携帯していたんだってな」
「……な、なぁ、勘弁してくれよ。俺も、お前らも、同じような盗っ人じゃねぇか……。クズ同士、仲良くしようや……」
野盗は恭順の意思を表すつもりか、オーバーな身振りで地面に座り込む。熱せられた砂地に苦悶の色を見せながら、手元をゴソゴソと動かした。
俺は野盗に銃口を向けたまま、横目で助手席を確認した。既にパウロは助手席に戻り、野盗の現れた方へ手元の端末を傾けている。
「どうする、パウロ?」
「どっちにメリットがあるか、だよね……」
視界の端で野盗がもぞもぞと動いた。命乞いのように額を灼熱の砂に押し付けながら、ソイツは決まった文言を何度も繰り返す。
「俺の運んでた遺物、半分やるよ……! だから、ちょっと……戻らせてくれねぇか……」
端末をこちらに向けながら、パウロは意味深に笑った。俺はメッセージを理解し、肺に溜まった空気を少し吐き出した。
「頼む、助け……」
「悪いな、これもビジネスなんだよッ!」
金属銃が火を吹き、野盗の胸を貫いた。手を上げたまま仰向けに地面に転がる身体は、もの言わぬ物体に成り果てるだろう。未だ稼働しているホログラムの仮面は、数分間絶命時の表情を隠してくれる。
「ブラボー……!!」
「いや、パウロのサポートも完璧だった。それより、何が『遺物を半分やる〜』だよ! 最新鋭の武器しか積んでないだろ!」
端末には、野盗の足音を探知して発見した付近の移動手段が映されている。コンテナは無く、運転席にぎっしりと詰められたプラズマ爆弾などが威圧的な雰囲気を醸し出している。
「なるほど……狙いは最初からハイエナ行為ってわけだ! だとしたら……」
突如としてパウロは立ち上がり、軽トラックからするりと降車した。荷台の後部に回り込み、がさがさと物色を始める。
「……やっぱ仕掛けてるよね」
パウロが引っ張り上げた仄かに発光する球体は、展開していたツメを瞬時に内部格納した。
「対象に引っ付けるタイプのブラズマ爆弾だ。逃げたあとに爆破するつもりだったみたいだね」
この稼業の人間が用いるプラズマ爆弾は、威力が抑えられたシンプルな機構だ。パウロは起爆方法をスイッチ式から時限式に切り替え、絶命している野盗の上着にねじ込んだ。
「……なるほど、飛ばせってこと?」
小走りで助手席に戻ったパウロにそう尋ねると、シートベルトを締めながら心底楽しそうに笑う。
「全速力で頼むよ。キレイな景色は遠くから見てこそだしね!」
きん、という快音を合図にバックミラーを確認すると、後方遠くの砂原は焦土と化していた。強力なエネルギーはY軸に作用するのか、スプーンでくり抜いたかのような大穴が砂地に深く抉られている。
「壮観だねぇ……」
「この車が遺物ってこと覚えてる!? スピードあまり出せないんだよ!!」
「ミロクの運転なら大丈夫だって! 信頼してるからね」
「それはどうも……」
既にガソリンの残量は半分近くしか残っていない。給油の機会も限られていることを考慮すると、そろそろ帰る必要がありそうだ。俺はパウロにその旨を伝えようとするが、付近にアイツの姿はない。例の放浪癖だ。
「ミロク、穴の下に廃墟ある!! 寄ろうよ!」
「……近くならいいか」
* * *
堆積した砂は爆破の衝撃をクッションのように和らげたらしく、建物の巨大な外観に目立った傷はない。尖塔の屋根に屹立する十字のモニュメントは大穴の縁にまで届きそうだ。
「チャーチ……宗教施設だな。前も行かなかったか?」
「前のはシュラインって言ってなかった?」
「あー、いまいち違いが判らないんだよ……」
見えないものを信じるという行為は、恐らく旧文明から新文明に引き継がれなかった価値観の一つだろう。三百年の短い歴史の中で生まれ落ちなかった宗教の概念は、旧文明の遺物の中でも資料価値が高い。
砂の堆積が生み出した防壁は、最近になって立ち寄る者を遠ざける効果があったようだ。三百年ぶりの黄昏を浴びたステンドグラスは色鮮やかに輝き、初めて足を踏み入れる不敬者達を歓迎する。
灰色の内部は石造りで、普段潜入するコンクリートの建物とは異なる風格だ。パウロは壁に掛けられたランタンらしきガラスを掴み、こちらに投げ渡す。剥き出しになった配線がばらけ、触手のように広がる。
「ガス灯かと思ったんだけど、電灯みたいだね」
「タングステンは希少だ。売れるよ」
やがて辿り着いた吹き抜けの部屋は、この宗教施設でも最大の間取りのようだ。荒らされた形跡はなく、静謐な空気感で満たされている。一番目を惹く巨大な楽器は回収できそうにないが、周囲にある様々な遺物は持って帰ることができるだろう。
俺は無数の机に点々と置かれた遺物を眺め、在りし日のこの場所に想いを馳せる。ここに集っていた人々は、文明の終わりを知っていたのだろうか。それとも、習慣的に祈り、偶然終焉に遭遇したのだろうか。祈りの効果は理解できないが、彼らの人生に幸福はあったのだろうか?
机に置かれた書物を拾い上げる。バイブルだ。居住区内で旧文明の物が出回っているとは聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。
俺は何枚かページをめくり、その文面に目を通す。やはり、理解するには前提情報が足りなすぎる。大方、これは居住区で荒唐無稽のファンタジーとして消費されているのだろう。
だが、その文面に目を惹く単語があった。
「パウロ、ここ見て。お前の名前載ってる」
「ホントに!? ……偶然ってあるんだねー」
そう、偶然だ。宗教的価値観が無くなった今の文明において、そのモチーフを人名に使うのは特に意味もなく行われることだ。俺の『ミロク』という名前も恐らく何かの宗教的モチーフがあるのではないかと予想しているが、それが正解だったとして特に何も思わないだろう。
パウロも自分の近くにある机からバイブルを引っ張り出し、パラパラと流し読む。そこから何かを発見し、俺の方へ紙片を向けた。
「教義、見た? 盗みと殺人はダメらしいよ!」
「それは俺たちの法律でもだよ。居住区内でやったら普通に裁かれるし……」
そう言い、俺は若干の違和感を覚える。これが法律であったなら、この文言があっても納得できる。でも、これは宗教の教義なのだ。法律のない環境でも適応されるルールを作っていたのだろうか。
不意にリフレインしたのは、野盗の言葉だ。
野盗は俺たちを『盗っ人』と呼んだ。他人から遺物を盗む野盗も、旧文明から遺物を回収する俺たちの稼業も、同じような窃盗であると言うのだ。
持ち主の居ない遺物を持ち去るのは、居住区の法律では許されている。しかし、教義ではどうだ? 無法地帯である居住区の外でなら、普遍的なこのルールが適応されるのか? 俺たちは、旧文明の価値観に
俺の瞬間的な逡巡は、パウロにも気づかれたようだ。俺の顔をジロジロと見つめながら、ニヤニヤと笑っている。
「ねぇ、また悩んでるでしょ?」
「……パウロは察しがいいな」
パウロのニヤニヤとした笑みは、決断的な表情に変化する。このような時に、アイツはなにも迷わないのだ。
「今までのことは、なにも法に触れてないよ。そもそも居住区外では何してもノータッチじゃん」
「でも、ここの教義では……」
「昔の神さまが怒ったとしても、誰も信じてない今に何の影響があるの? もし仮に死後の世界があったとしても、寿命まで逃げ切ってしまえばいいじゃん」
今怒られるわけじゃない、とパウロは自信たっぷりにサムズアップする。何の根拠もない、都合のいい楽観論である。
俺にとっては、それが何よりの救いなのだ。
「地獄くらいなら付き合うよ。ミロクとならそこまで辛くないでしょ!」
「……付き合わせて悪いな」
「ミロクだけ天国行ったら、その時は無理矢理にでも引きずり下ろすけどねー」
笑い合う俺たちに、黄昏の陽光が降り注ぐ。ステンドグラスを通過した黄色い空が淀んだ極彩色を生み、変色した光となったのだ。
俺たちの泥臭い旅路には、贅沢すぎる祝福だった。
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