第3話 おれと営業

 薄明るい室内で、カメラのフラッシュがたかれる。おかしい、おかしいと何度も心の中でつぶやきながら、スポットを一身に受ける。しかもなんだ、この腰の細いスーツ。もぞもぞする、腰より腹筋のあたりが。


 ここ一~二年、ちょっと年齢的にやばいと思ってジムに通った成果のたまものだったが、普段なら絶対着ないような代物だ。


 ネクタイをしないのは最近の傾向だから……といえば格好は付くものの、実はネクタイの結び方を俺が知らず、銘子にやってもらっていたところをカメラマンが写真に撮り、赤面した銘子が「こっちのほうがさえないおっさんには似合ってるし!」といったのだ。あれにはうっかり萌えた。


 新婚夫婦のネクタイ結び。あれはロマンだ、確かにロマンだ。


 そう浸っている俺に、姪子はずけずけと突っ込んでくる。


「斎木先生~笑顔が足りない! ほら、にっこり!」


「できるか! だいたい、作家なんてものは普通、著者近影以外の写真を必要としないものなんだ!」


「なに一昔前の作家像を語ってんの、現代にいきろ、現代に」


 カメラマンが無言でシャッターを切る中、担当編集の渡辺さんは苦笑いを浮かべながらドア近くで見守る。いや、脱走できないように見張ってるのか。


 一方、カメラマンばりにポージングの指示を飛ばすのが、俺の書いてる小説版元で営業三年目の佐伯銘子……俺の実兄の娘、つまるところの姪だ。ちなみに、斎木というのはペンネームで、本名は同じ佐伯だ。


 普通、出版社で営業といえば書店周りと流通仲介を周るかをしている。こんな撮影現場に居合わせることは珍しい。


 ならば、なぜいるのかといえば、今回俺が連載をしている企画を提出した当の本人であり、こいつでなければ俺をこんな撮影に引っ張り出すのは不可能……と囁かれたためらしい。


 実際、企画は事後承諾でごり押しされ、撮影は完全に不意打ち、普段着ないようなスーツのなんと窮屈なことか。身内でなければ確かにボイコットしようと思っていたかもしれない。


 銘子は今年で二十五になった。就職にあたってはいろいろあったが、充実した社会人生活を送っているようだ。社会人になったことをきっかけに、実家から独立して一人暮らしを始めた。父親である俺の兄から近況の催促がうるさい。


 いつまでも家を出ると俺の家にいるとでも思っているのかとツッコみたくなるが、最近我が家にきたのは企画をゴリ押ししにきた時ぐらいだ。就職してからこの方、お互いに仕事上でしか顔をつきあわせていない。それも、営業と作家の立場なので、年二回程度ある新刊の発売に関連して、書店周りを一緒にする程度だ。


 とはいえ、オヤゴコロと言われてしまうと愚痴にもあれこれ付き合ってしまうし、聞ける範囲で知り合いの担当編集つてに近況も聞いてしまう。そこら辺はかなしきさだめだ。


 別に子供は銘子だけではないんだがなと独りごちていると、その物憂げなカンジ、維持で! と指示を飛ばされる。なんだかなあ……


 姪子は、一人暮らしをはじめたきっかけとして、弟をだしに使った。「紡も小学生になって、部屋が必要でしょ」息子が生まれても娘を溺愛する父親から親離れするには、たしかにいいタイミングだった。


「うんっ、おっけーでーす! ばっちし!」


 そういうもろもろの背景込みで社会人生活を頑張っている姪っ子として銘子を見ると、ゴリ押しされたとはいえ、ちゃんと付き合うのだ、自分は。





「あー、肩凝った……」


 なれないスーツからいつもの格好に着替えた時の、この安堵感の正体はなんなんだ……ひとりごちていると、銘子がやってきて、いつもの笑顔とペットボトルを振りまいた。


「斎木先生、お疲れ様ですっ!  お忙しいなか、ありがとうございました。私、このあと打ち合わせがあって、お食事ご一緒できないんですけど」


 ちょうど昼時だ。


「ん、おつかれさま」


 フォローはこれ一本かとホットのお茶ボトルに目をやりつつ、後ろ姿を見つめる。銘子と一緒に撮影に同伴している編集の渡辺さんとは撮影が終わったら打ち合わせの約束をしていた。次回作の話かと思いきや、別になんか打診があるらしい。こちらは、写真撮影的なものでないのは確実だ。


 渡辺さんは俺の性格を熟知しており、今回のような企画が営業から提出されても、たいがい聞く前にはじいてくれる。デビュー直後と十周年ぐらいになるとさすがに断らずに回してくるが、たいてい顔写真はご遠慮いただいていた。


 サイン会だって、よっぽどでなければやりたくない。人前、コワイ。つくづく、一般企業に就職せずにこの職にいられたのは幸運だと思う。就職活動で拾ってくれなかった人事の人、ありがとうございます。


 銘子がスタジオの出しなにカメラマンに呼び止められ、あれこれと話している。撮影に関するあれこれだとは思いつつ、倦怠感でイマイチ思考が乗り切らない。


「撮影、どうだった?」

「渡辺さん、なに見張ってたんですか」


 がっつり指示を出していた銘子とは対照的に、傍観を決めつけていた渡辺さんに突っ込む。


「いやー、笑ったらお前に悪いと思ってさ、あれ以上近づけなかった」


 着れると似合うは別物だとは思うが、こうもはっきり言われるとつらい。


「銘子ちゃんも頑張ってたから、ちゃちゃいれられなかった。……あのカメラマンも、女の子が被写体だと結構声かけるんだけど、男だとこうも変わるかねぇ」


「……それはそれでありがたかったんですけど」


「ほら、撮影終わったからって、銘子ちゃんロックされてる」


「そういうこと?!」


「まー、業界で生きていくにはあの程度交わせないとね。携帯さえ出さなきゃ平気だから、大丈夫だよ、パパ」


「パパじゃない!」


 振り絞ったように出した声は予想外に大きく、狭く無いスタジオに響いた。勢いで立ち上がった俺に、驚いたように銘子がこちらを見、つられるようにカメラマンもこちらを向く。


 渡辺さんはにやにやと笑みを浮かべるばかりで、助け舟なんて出す雰囲気もない。退路が塞がれた気分で、渡辺さんが持っていた自分のカバンを奪い取り、銘子に近づく。


「せん、せ……? あの、なにか……?」


「次、どこ行くんだ?」


「あ、えっと本社で会議があって……」


「さっさと行かないと遅れるぞ」


 作家と営業、という立場を考えれば、この一言は余計だろう。べつに編集ほど一緒に仕事をする仲ではないし、たまたま付き合いがあるだけで、ほかの営業がもってきた企画でも、きちんと渡辺さんを通してさえくれれば、仕事として請け負う。


 今回のごり押し企画は、銘子だからやったんだ。


「いい形にしてくれ、な、銘子」


 カメラマンが見ているそばで、頭をぽんぽんとたたく。一般的には、四十近いおっさんが二十五の女性にしていい行為ではない。


「ちょっ、こーすけ!!」


 さすがにオンオフの切り分けが外れたらしい。親しげな呼び方に、渡辺さんを除くスタッフがざわつく。それはそうだ、斎木浩介は、佐伯銘子との関係を公にはしていないのだから。


 それでも、銘子はおれの、姪だ。


 職場でそんなことをいうのは愚かだ。血縁関係は、多くの場合伏せた方がスムーズに事が運ぶ。社会人の端くれだけれども、そんなことはわかっている。最近の銘子には、気軽に近況を聞けない。人伝に話を聞くことしかできない。


 なぜなら彼女はペンネームで俺を呼び、先生と話しかける。立派な社会人だ。




 すっかりあの人そっくりの姿なのに、自分とは血縁なのだという。


   


 初恋の人を浮かべても、いまはもう恋情よりも思いを寄せていた自分に対する懐かしさばかりだ。


「銘子は俺の、姪です……か」


 年を重ねるほど、言葉が重くなることに嫌気がさしてきた。

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