第41話 戦いの終わりと

 白旗を掲げた兵士とともに、中将が近づいてくる。手を伸ばせば、特徴的な鷲鼻を掴めそうな距離まで来ると立ち止まり、かかとを合わせた。中将の額に、傷だらけの右手の平が元帥らを向いて添えられる。フレッドとシモンも軍靴を合わせ、右手の平を下向きに、額に当てて敬礼を返す。数拍の後、二種四人の右手が同時に降ろされた。

 敗戦の将となったブレナム公が、一つ息を大きく吸い込み、口を開く。

「連合軍を指揮する最高司令官が、アンダーソン元帥でなく私だったら、あなたとの立場は逆だっただろうに。マンシュタイン元帥が最後に中央突破を切り札として使ってくることは読めていました。だから、頂上から簡単には下りなかった。それにも関わらず、ついにあなたの強引なダンスの誘いを断り切れなかったのです。分かっていただけに、この結果は残念でならない」

 連合王国の紳士らしく、そして、降伏した敗軍の将らしからぬ辛辣な言い回しに、フレッドはど肝を抜かれるが、表面上はつとめて鷹揚に相手の母国語で返す。

「やはり、そこまで理解していたか……さすがだな。しかし、本当にあなたが最高司令官でなくて良かった。その点、私の方が、少しばかり運が良かったようだ。だが、何よりも幸運なのは、もう二度とあなたと戦わずに済むということだ」

 ブレナム公が、わざとらしく目を丸くする。

「それは友愛的な意味でですかな?」

「いいやあ、まさか! あなたほど厄介な敵は、他にいないからだ」

 フレッドは唇の片端を吊り上げ、いつものように皮肉屋らしい笑みを浮かべた。それから背を板のように正し、生真面目な軍人の表情になって、水色の瞳を真っ直ぐ見つめる。

「投降した将兵は皆、国際法にのっとり適切に遇することをお約束する」

「ありがとう。よろしく頼みます」

 事務的ではあるが、他の軍人にはない真心のこもったやり取りの後、再度互いに敬礼する。ブレナム公と兵士はその場で回れ右をし、背中を見せて自軍の方へ戻ろうとする。が、それをフレッドが呼び止めた。

「ああ、そうだ。中将」

 ウェルズリー将軍は立ち止まり、その場で顔だけ振り向ける。

「ウィスキーはお好きかな?」

 突拍子もなく聞かれ、若干困惑しながらも、フレッドの自然体な表情を見て、体ごと振り返った。

「無論だ」

 元帥は安堵したように息をつくと、柔和な笑顔になる。

「それでは、色々落ち着いたら、一杯やろう」

 つい数分前まで命のやり取りをしていた敵将からの飲みの誘いに、さしもの鉄公爵も唖然とする。が、自然に微笑むフレッドに全く他意がないことを感じ取り、思わず唇がゆるんだ。

「面白い人ですね、あなたは」

 すると、フレッドは頬を掻き、少年のようなにやけ顔になって、肩をすくめる。

「いや何、鉄公爵アイアン・デュークとは、一度話してみたいと思ってたんだ」

 しかし、その青銅色の瞳は、精強な名将を真っ直ぐ見上げていた。

 それに対し、ウェルズリー将軍も破顔する。第二次世界戦争中、アフリカ戦線で重傷を負い首都の軍病院にこもって以来、ずっと研究してきた相手だ――怪物的な活躍で、連合軍に常に絶望を味合わせ、プロイス市民に常に希望を与えてきた元銀行家の名将、アルフレッド・フリードリヒ・ヴィルヘルミーネ・マンシュタイン。フレッドがフリッツと交友を深めた月日の三倍以上もの時間、ずっと恐れ、考え続けてきた敵将からの誘いである。

「奇遇ですな。私もこの二年以上、ずっと話してみたいと思っていた。The unbeaten banker(不敗の銀行家)との一席、楽しみにしていましょう」

 そう言うと、互いに笑顔で敬礼を交わす。ブレナム公があらためて自軍の方へ戻って行くのをしばらく見送ってから、複雑な面持ちのシモンの肩を優しく叩いた。

「すまんな……ありがとう」

「……構わない。命令には従う」

「礼に、今度の飲みに誘ってやろう」

「……命令でないから断る」

 気の置けない戦友同士は真心と冗談の応酬をすると、平素の表情になり、各々持ち場へ戻って行く。シモンが転輪に足をかけ、砲塔上部までよじ登っていく一方、フレッドは車体背面に回り、通信手用ハッチを叩いた。程なくしてハッチが下側に開き、カールが顔を出す。

「野戦憲兵に、丘の捕虜を収容するよう伝えろ。ホフマン中佐には、憲兵隊到着まで待機するよう伝えてくれ」

Jawohlヤヴォール(了解)。敵戦車はどうする? 工兵を呼ぶか?」

「構わん。放置でいい。決して兵器が潤沢にある訳じゃないが、それでも歩兵戦車なんざ今の時代使い物にならんし、別に今更持ち帰って研究するような代物でもないだろう」

「……砲弾とガソリンのある状態で、放置するのか?」

「――憲兵監視の上、あちらの操縦手に運転させよう。適当なところまで運ばせて、使えるものだけ頂戴した後、まとめて爆破処理する。ああ、合衆国軍の戦車も残っていれば同じように。あ、ガーリー軍の戦車は破壊せず鹵獲で頼む」

「分かった。それも伝えておこう」

 Bitteビッテ(頼む)と言うと、車体右側面へ回り、地上3.7メートルに聳える後部席の頂を目指す。何とか成人男性二人分を登りきると、狭い丸いハッチに体を滑り込ませた。車長席に足が付くと、その下からはカールが各所に連絡する声が聞こえてくる。上半身を屈め後部席に完全に収まると、頭上のハッチは開けたまま、車長席へ脱力するように尻を落とした。十二時間以上続いた戦闘の終わりを実感し、長いため息が漏れる。両肘をももに落とし、うつむくと、右手で何度も前髪をかき上げる。奇跡的勝利を、虐げられるプロイス市民にとって希望の勝利を挙げた直後とは思えない疲弊し切った姿だが、半日命を危険に晒し、同じ時間自らの手で人を殺し続けて、直後に勝利を喜ぶなど、、、、、普通の人間には無理な話だ。フレッドは、極度の緊張状態から解放されると同時に、幾度となく味わってきた地獄のような罪悪感に、頭が割れそうになっていた。苦し気な息を繰り返し漏らし、顔を上げる。心配そうに見つめてくるマリーの青目に気が付くと、力なく笑った。

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