第39話 公爵の受難

 戦場南側の町で、三軍入り乱れて主導権を奪い合う劇的な機動戦が展開される中、北の丘では、連合王国軍が一方的な防戦を強いられていた。

 自身の家名を冠する重歩兵戦車の砲塔内で、無線器を握りしめながらブレナム公アーサー・ウェルズリー中将は唇を噛む。ヘッドホンからは各車より被害報告が届き続け、キューポラのペリスコープを覗けば、スコーピオン超重戦車と、パンテル中戦車の改造車が、楔形の陣形を保ってじりじりと近づいてくる。

 斜面は、攻撃力と防御力の純粋なぶつけ合いの舞台となっていた。連合王国軍の方が高所にあり、かつ、依然数で勝っており、有利な条件で戦えているが、それでもスコーピオン自由軍の火力は凄まじく、ブレナム重歩兵戦車の分厚い垂直装甲を物ともせず貫通してくる。一方、スコーピオン超重戦車の両側に羽のように付き従う中戦車は、砲塔は小さく狙いづらいが、傾斜のかかった車体正面装甲を17ポンド砲で貫くことはできており、着実に敵の数を減らせている。双方、損害を出している状況では、分母の大きい連合王国軍の方が、実際的には余裕がある。しかし、公を初め、多くの兵が尋常でないプレッシャーを感じていた。

 その元凶を、中将の碧眼が見つめる。

 漆黒の異形の怪物が足元から真っ白い爆蒸気を噴き上げた。人工の霧は敵味方の前照灯の間を漂い、目の前で太陽のように白く輝き網膜が焼かれる。中将が思わず目をつむると次の瞬間、丘が噴火したような轟音と揺れに襲われた。そして、ヘッドホンに悲痛な叫びが飛び込む。

『三小隊隊長車が、撃破されました!』

 思わず舌打ちをして、土砂に汚れたペリスコープ越しに真正面を見つめた。オリオン殺しの大蠍を名乗る超重戦車が、また怪物のブレスのように真っ白い息を車体下より吐き漏らす。今度は低いところに留まった霧を、広大な履帯で踏んで消し去ったと思うと、山の如くそびえる元帥の漆黒の城壁を背景に、武骨なアーモンド形の砲塔が重々しく首を回す。そして、その黒くいかつい顔がある方向を見て止まると、前方に長く伸びた14センチ砲が轟音を立てた。発射炎が咲くと同時に、先端の巨大なマズルブレーキから四本の真っ赤なガス流が横向きに噴き出す。ツーピースの長大な砲身が巨大な反動を各所で穏やかに受け止め後退してから、ゆっくりと元の長さに戻ってゆく。その一部始終に目を奪われていると、次の犠牲者の報告が鼓膜を叩いた。

 無線器を口に当て指示を飛ばす。

「彼我の距離が近すぎる。再度、戦列を維持したまま後退。慌てる必要はありません。我々が頂上に達するより先に、中央と南の主力が敵の過半を撃滅するでしょう」

 殊更落ち着いた口調で命じると、ブレナム重歩兵戦車隊は横隊の穴を埋めつつ、整然と斜面の上へと後退を始める。これを追うように、自由軍の突陣形も遅れて前進し出し、迫ってくる。連合王国軍は低速でバックしながら、17ポンド砲を放ち、移動中のグローサー・パンター数両を行動不能にする。直後、自由軍は丘を登りながら一斉射を浴びせてきた。一両が撃破され、一両が小破されると、ブレナム公は後退停止を命じ、また丘上の砲台と化して、登ってくる自由軍戦列を、砲弾の嵐で崩しにかかる。

 有利であるはずの目の前の戦況をペリスコープ越しに覗きながら、ウェルズリー将軍は鷲鼻をかく。

 ――数量差では勝っている。敵は残り二〇両程度に対し、こちらは四六両。たしかに圧倒的な戦力差です。しかし、スコーピオン超重戦車という脅威は依然健在の上、こちらの砲弾は残りわずかです。一方、敵はいざとなれば、速度差を活かしてこの場を離脱し、弾薬を補給することができる。その上、日中の砲兵隊もおそらくは健在でしょう。友軍主力はまだ敵の後方を脅かすことができていないようですからね。戦闘が長引けば長引くほど、連合王国軍にとって不利になります……。とは言え、いかに連合王国最高の重歩兵戦車でも、こちらから突撃して勝てるような性能ではありません。残り約二〇両と巨大な一匹の攻勢をしのぎ、何とか他前線からの朗報を待つしかないようですね。未開のヤンキーと不埒なガーリーに恩を作るのは癪ですが……。

 奥歯を噛み、ヘッドホンを神経質に触り、少しの雑音も逃すまいと集中する。八万対二万弱という絶対的な戦力差故、シュトゥルムガルトで連合軍が敗れるとは微塵も思っていないが、合衆国軍とガーリー軍が日中同様の怠慢な戦いを続けるのであれば、マンシュタイン率いる最強の戦車隊に対し、連合王国軍が丘の斜面にて弾薬枯渇で敗北する危険性はあると、脳みその冷静な部分が自らに警告してくる。クールな額に脂汗がにじむ。

 自由軍の斉射が聞こえ、中隊長車撃破の報告が届く。直後、途切れ途切れの声が耳を叩いた。

 ブレナム公は目の色を変えて、ヘッドホンを耳に押し付ける。

「こちら連合王国軍ブレナム公ウェルズリー中将。どうぞ」

『こちら合衆…軍……。敵は我…中央を突破…、町…主力を挟撃。我ら果敢…応戦……も敵わず、大半が逃…、或いは、降伏。アンダーソン元帥……通信が取…ない。ボナパルト将軍も所在…明。連合…最高位の司…官は中将…す』

 ヤンキー訛りの無線は、あまりに悲愴的な声音であり、当然に良い報告を期待していた中将の頭は真っ白になった。十秒ほど無言で浅い息を繰り返し、それから、震える手で無線機を口に押し付け、小さな声で尋ね返す。

「……こちら中将。音声が不鮮明で、言っている意味が分からない。主力部隊はどうした? どうぞ」

『こち……衆国軍。主力部隊…壊走、ま…は、降伏。残る指…官は中将…みです』

「……こちら中将。確認するが、合衆国軍とガーリー軍は司令部を含めて、すでに敗走、または降伏し、残る戦力は連合王国軍だけと……言っているのですか? どうぞ」

 しばらくの無音の後、雑音とともに返ってきた返答は“Yes, Sir”であった。中将の左手は脱力し、無線機が宙に放り出される。それから右手が、砲塔の壁面を叩いた。

 ――もう他に手はないのか?

 連合王国軍史上、最優秀と言われる名将の頭脳が焼けるように熱くなる。

 しかし、重歩兵戦車隊の残弾数は、スコーピオンを含めた目の前の敵を全滅させるのに要する推計弾数に足りていない。それ故、一局地での不利を補う、合衆国軍とガーリー軍による攻勢の戦略的な成功に期待していたのだが、たった今、それさえも予想に反し崩れ去った。

 ……考え続けても、もはや連合王国軍が生還できる妙案は浮かばない。情けない話と言われるかもしれないが、本来、歩兵支援を目的として開発されたブレナム重歩兵戦車は、走攻守全ての性能において、対戦車戦を当然に任務とするグローサー・パンターやスコーピオンに到底かなわないのだ。追えば逃げられ、撃てば弾かれ、撃たれれば貫通される――車両の数と、高所を取ることで多少有利を築いていたが、本来の性能差では圧倒されている。頼みの戦略的優位も失い、状況は絶望的だ。

 鷲鼻の上で、水色の瞳が曇り出す。その瞳に、ついに怪物の14センチ砲が、自身の方へゆっくりと指向する姿が反射した。

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