第38話 黒豹と心配

 連合軍にとって絶望的な戦況において、ボナパルト将軍が放った決死の一手は、合衆国軍を攻め立てるブリュッヒャー隊の戦力の一部を背後に引きつけ、正面への攻撃力を削ぐことに成功した。

 東からの重圧がふと軽くなったこの瞬間、不意に訪れた好機に気が付き、アンダーソン元帥は西を向いて叫んだ。

「全軍、西に向かって突撃!」

 死に体の生き残りたちが、一方の圧が緩んだ好機に、残りの力を振り絞ってザイトリッツ隊の正面突破を図る。後ろから12.8センチ砲やらパンツァーファウストやらが遅れて飛んでくるのも構わず、全ての車両があらん限りの出力で、石畳を蹴り割って前進する。グローサー・パンターの隊列に向かって、挟撃の片方を速やかに撃砕すべく。グローサー・パンター中戦車は、レーヴェ重戦車に比べればまだ装甲が薄く、火力貧弱なシャークでも数の暴力で押し切れる可能性がある。


 ザイトリッツ大佐は冷静に、落ち着いて一両一両確実に仕留めるよう指示を飛ばす。しかし、窮鼠と化した合衆国軍の数は未だ数万を下らず、フルパワーで迫ってくる巨大な壁と真正面から衝突するのは、いかに精強な黒豹連隊とは言えあまりに危険であった。

 ――この突進をまともに受けるのは下策だね……。

 物量を最大限活かして突っ込んでくる万単位の集団を、むっとして睨むと、涼やかな声で命じた。

「一中隊と二中隊は、連隊本部とともに三中隊の西側へ直ちに移動。中央を合衆国軍のために開けてあげよう。やりたいことは分かるね?」

 通信手が各中隊長に伝えると、質問はなく、即座にJawohlヤヴォールと返事がきた。

 次の瞬間、目前まで殺到してきた合衆国軍から逃げるように、連隊本部と二個中隊は急発進して西へ走り出す。それを鬼気迫る合衆国軍の戦車隊が追ってくるも、最高速度の差から距離を突き放してゆく。そして、敵の目が遠く離れた隙に、前照灯を消して一斉に南北へ分かれて転進し、所定の位置についた。

 あらかじめ第一、第二中隊各車の砲手が、闇の中へ砲を照準する。と、照準器のレンズを、シャーク中戦車や装甲車の提灯行列が凄まじい勢いで通過してゆく。俯仰角を手元のハンドルで微調整し、引き金に指を添えた。

Feuerフォイエル freiフライ!(各個に撃て!)』

Feuerフォイエル!(撃て!)」

 連隊長の攻撃命令の後、すぐに各車の車長が叫ぶ。待ってましたと砲手は軽く指を引く。8.8センチ砲アハト・アハトの甲高い発砲音が車内に反響すると同時に、スコープ越しに爆発炎上するシャーク中戦車が確認できた。


Nachladenナッハラーデン!(装填!)」

 連隊長車も敵装甲車一両を仕留め、すぐさまザイトリッツが次弾装填を命じる。

「目標、砲手に任せる。入れ食い状態だ。とにかく一両でも多く撃破しよう」

 ペリスコープを覗きながら命じると、Jawohlと斜め前から返事がある。

「装填完了!」

「Feuer!」

 直ちに吐き出された砲弾は、手前を通過しようとしたジープの運転手の頭を吹き飛ばし、奥の戦車に命中する。シャーク一両が火を噴くのと同時に、運転手を失ったジープは歩兵たちを乗せたままコントロールを失って暴走を始め、直後、瓦礫でも踏んだか突然ひっくり返って爆発した。

 一部始終を見ていたザイトリッツの口から、思わず笑いがこぼれる。

Wunderbarヴンダーバー! その調子でいこう」

 すぐさま次弾が放たれ、装甲車一両を撃破する。


 ザイトリッツ隊を撃滅し、ひるがえって時間差をつけてブリュッヒャー隊と相対する。それがアンダーソン元帥の最後の悪あがきの狙いであった。ザイトリッツが戦場中央の二個中隊を慌ただしく後退させた際、合衆国軍は中央が特に弱腰と見て、速やかに黒豹車隊を葬るべく殺到した。ここに戦力を集中すれば最速で中央突破ができるし、その後、圧倒的な物量を誇る部隊で、ザイトリッツ隊を左右に分断包囲できると、激流の中、一瞬で判断したのだ。

 しかし、その程度の浅知恵はザイトリッツには織り込み済みであった。後退したように見せかけた部隊を迅速に再配置すると、真っ直ぐ中央突破を図る合衆国軍の側面を突いたのだ。結果、アンダーソン元帥以下数万名が、左右から8.8センチ砲アハト・アハトを撃ち込まれる花道、もとい花火道に捕らわれてしまったのである。


 ――けれども、多少は逃がしてしまうね。


 ザイトリッツは連隊の総力を挙げて、再度挟撃下に置いた敵をたこ殴りにしながら、軽く唇をかむ。

 二時方向のペリスコープを覗けば、辛くも8.8センチ砲アハト・アハトの洗礼を逃れた装甲車や戦車のライトが、そのまま西へ一目散に走り去ってゆくのが確認できる。

 ――あれに戻ってこられると厄介だね。すでに壊走状態であれば、放置しておくけど……。

 敵の状況を見極めようと、視線と思考を研ぎます。と不意に、通信手に呼ばれた。

「大佐。ブリュッヒャー大佐より伝言です。合衆国軍は貴連隊に任せる。二連隊はアンダーソンの逃げ足に追いつかないため、ガーリー軍を追撃し掃討する、とのことです」

「ガーリー軍の姿がないと思ってはいたけど、やはりよそへ行っていて、挟撃できていなかったんだね。それで、神速のボナパルト将軍はどこにいるんだい?」

「第二装甲連隊の背後に機動し、後背を襲った後、重戦車隊の迎撃により東側へ逃走を開始したとのことです」

「逃走ね……逃走かなあ……?」

「閣下?」

 通信手に眉をひそめられ、ザイトリッツは慌てて首を横へ振って、伯爵のあだ名に恥じないきれいな笑顔を見せた。

「何でもないよ。アレクには了解とだけ伝えておいてくれ」

 それから内心で、軍学校以来の僚友のこの後を想像し、鼻頭を掻く。

 ――ボナパルト将軍の逃走は欺瞞な気がするね……。アレクが突撃魔なのは、敵も十分承知しているだろうし、追撃を予想して待ち伏せの兵を密かに配置しているかもしれない。……まあ、いくら案じたところで、僕はただでさえ数の多い合衆国軍の相手をしなくちゃいけないし、救援に行く余力はない。せめて、彼が攻撃精神の沸騰を抑え、無事部下とともに生還できるよう、神に祈ろう。

 周囲に轟き渡る甲高い砲声を聞きながら、十字を切って両手を組む。手を離すと、ザイトリッツの表情は、一瞬で友人から軍人へと変貌する。人間らしい温かみがそぎ落とされ、怜悧な顔つきに変わった。ペリスコープから見える範囲で、逃げる敵と、撃破できた敵を確認しつつ、麾下の各大隊からの報告も聞いて、合衆国軍の残存兵力と動向を見極めにかかる。

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