第11話 “強運”のフレッド
「閣下は……いえ、社長は相変わらず強運ですな。うっかり遅刻して爆死を退けたとは!」
元第七装甲師団所属の軍医が苦笑する。フレッドは上半身裸でベッドにうつぶせに寝ながら、鼻を鳴らす。
「そもそも強運の持ち主が、爆殺されかかってたまるか」
「並程度の運ならば、今頃社長のお背中を、こうして拝見することは叶わなかったでしょうな。この無数に刺さったドアの木片のように、木端微塵になっていたでしょうから」
怖いことを言うな……と不機嫌そうに漏らす。
軍医は気楽に笑いながら、ピンセットで薄い背中に突き刺さった異物を取り除く。
「少なくとも、内臓に達するような傷が一つもなかったことは、不幸中の幸いです」
フレッドは大きく息を吸い込んでから、ああ、と短く返した。
馴染みの医官が、次々と木片を背中から掘り出しては、ベッド脇の銀のプレートへと置いてゆく。少し顔を動かしプレートを見やるが、製材所のように積み上がった木屑を目の当たりにし、すぐさま枕に顔をうずめた。
「私の背中は、黒の森かね?」
未だ木材の欠片を取り出す手が止まぬ軍医に問うと、笑い声が降ってくる。
「木片の量は、トウヒ一本にも及びませんが、全て軽傷で済んだ奇跡は、黒の森作戦に匹敵するかもしれませんな」
今度はフレッドが笑った。
「まったく、手ばかりでなく口まで達者になって。どんどん良い医者になるな、お前さんは」
二人の笑い声が重なる。
シニカルな軽口を叩く元帥と、馴染みの軍医の会話は、つい数十分前に同じ建物内で、スコーピオン社社長を狙った爆殺未遂が発生したとは思えない軽やかさだ。
だが、ノックの後、その重大な事実を思い出させる足音が医務室に響いた。その気配は処置中のベッドの脇に立つと、風を切って敬礼する。
「憲兵総監カール・アルプレヒト・フォン・ヴュルテンベルク上級大将、ただいまここに。司令長官、何なりとご命令を」
フレッドが枕から顔を上げる。すると、スーツ姿の自由軍憲兵隊最高責任者が直立不動の姿勢で立っていた。
「楽にしろ」
カールは一度腰の横へ真っ直ぐ下ろした手を、背中に回し、足を肩幅に広げた。
「すでに現場は見たか?」
「詳細な確認はまだだが、全体的な様子は見た。部屋の外とは言え、間近にいながら生還したのが信じがたい惨状であったな。ウルムの時も思ったが、本当に強運だ」
「今はそんなことはいい。頼みたいのは、時限爆弾――というのは推測だが、爆弾を持ち込んだ人物の動機の調査だ。個人の犯行なのか、或いは、軍や国家の命を受けてのものなのか……全て飛び散って、残された物は少ないだろうが、確かめてもらいたい。ちなみに自爆した男は、死に際、オロシー語を話していた」
「ほお? つまり、死んだ犯人はオロシー人ということか?」
「十中八九な。仮にオロシー軍が暗殺を図ったのだとすれば、ミュンヒェルン一帯における合衆国軍の影響力が排除された今、あとは俺を殺せば、プロイス南東部を共産圏に取り込めると考えたのかもしれん。まあ、その辺りも、分かりそうなら調べてみてくれ。情報隊の協力が必要なら、情報総監のロマーヌ・エロー上級大将に依頼するように」
と、元帥は目線を下げ、少し弱い声音を吐き漏らす。
「制服ができていないどころか、人も十分雇えていない中、苦労をかける」
カールは驚いたように硬直した後、笑顔を見せた。
「貴殿が責任を感じる必要は何もない。憲兵隊として、秩序維持と事件捜査という当然の役目を担うだけだ。それに、最低限の人員はつい先日、紹介した者たちを雇い入れてくれたおかげで揃っている」
そうか、とフレッドは呟く。それを見て、ほっと小さく息を漏らした壮年の憲兵総監は、思い出したように言い添える。
「そう言えば、廊下でマリア女史が、右往左往していたぞ」
「は? どうして? 今はさすがに決済できん。仕事なら待つよう伝えてくれ」
カールは軽く噴き出し、呆れたように肩をすくめた。
「この状況だ。仕事ではないと思うが……」
「じゃあ何だ?」
「身近で怪我人が出れば、普通やることは一つではないか?」
「……まさか、見舞いか?」
「無論だ」
フレッドは、大げさにため息をつく。
「就労時間中なんだがなあ。あいつの業務に、司令長官の負傷を案じて時間を無駄にするというのは、ないはずなんだが……」
彼らしい照れ隠し三割、本音七割な言いようを、カールはカイゼル髭をなで上げながら見つめ、それから今一度右手を額に当てて敬礼すると退室した。
やり取りを見ていた軍医が何か言いかけるが、派手な音を立ててまた医務室の戸が開け放たれる。
「フレッド!」
音へ振り向いた軍医の視界に、金髪のポニーテールを激しく揺らしながら駆け寄る黒いつなぎの作業服の女性が飛び込んでくる。小さな体でダイナミックに走り寄り、ベッドの端を掴んで、横たわる人物を上から覗き込む。
「フレッド?! 大丈夫なの? え、目どこにやったの? よく回る口もないじゃない!」
すっかり動転した女史に噴き出しながら、枕より頭を持ち上げる。
「後頭部にまで口があってたまるか。髪の毛を巻き込む以外、何の役にも立たんだろう」
マリーは枕側にしゃがみこみ、下側から現れた青い瞳と真正面から目を合わせ、ようやく勘違いに気が付いた。
「は、早く言ってよ! もう、本当にびっくりしたんだから!」
「乾電池のプラス・マイナスより、人の頭の前後の方が分かりやすいと思うが?」
冗談を言うと、電気工学者は真顔で即答する。
「いや、それは乾電池の方が絶対分かりやすいわよ。凸面と平面なんて間違いようがないじゃない」
思わぬ返しに、しかし、フレッドは一理あると心の隅で納得してしまった。
「と言うか、そうじゃなくて! もう、すごい音だったし、部屋丸ごと吹き飛んだって聞いたから、心配で心配で……五体満足だと思ってなかったし……」
常とは違う切羽詰まった声音に、フレッドは息を呑み、おずおずと下から女史の顔を覗き込もうとする。が、マリーはうつむき、表情には影が差すばかりだ。かすかに鼻をすする音だけが、はっきりと伝わってくる。思わず視線を下ろせば、シーツを握る白い両こぶしに、山脈のように青い血管が浮き出ていた。
「ああ……。悪魔にでも見初められたか、悪運強く軽傷で済んださ。二人と話し込んで遅刻したのが、たぶん怪我の功名だったんだろう。しかしまあ、悪魔のいたずらが、あろうとなかろうと、当分の間は死ねんよ――」
え……? とマリーが顔を上げる。眉はハの字に下がっている。
「現世でやらなきゃならん仕事が多すぎる。それに、あまりに無責任な死に方をしては、エミーリエが許してくれんだろう」
「エミーリエって……?」
「亡くなった妻だ」
簡潔に説明し、口を閉ざす。マリーは申し訳なさそうに目をそらし、背中を掘るピンセットも止まる。フレッドは一旦大きく深呼吸してから、不意に背中側に呼びかけた。
「おい、終わったのか?」
元軍医は慌てて、手を動かし出す。
「もう少しです、社長、すみません。――奥さま、亡くなられたのですか? 5月に出産予定とうかがっておりましたが、やはり荒廃したベルーンの貧弱な医療では、厳しいものがありましたか……」
「……違う。腹に子宝を抱えたまま、殺されたんだ。オロシー兵に、凌辱された後にな」
「なんと……」
医師は思わず言葉を失い、また手が止まる。すると、すぐさまフレッドが処置を急かす。軍医は慌てて、ピンセットを握り直した。
マリーが何度か、上目遣いにフレッドの顔色をうかがう。あまり詳しい話を聞いたことのないその女性について、彼の最愛であろう人について、関心を抑えることができずにいたのだ。しかし、真正面で顔を枕にうずめ隠されては、さすがに言葉を飲み込む他ない。
そのまま枕元にしゃがみ込み、黙って金髪に埋もれるつむじを見つめていると、軍医が長く息を漏らし、ピンセットを銀プレートに置いた。
「全て取れました。木一本には遠く及びませんが、人体から取り出された木片量の世界記録かもしれませんな」
マリーが、ベッド脇のプレートに積み上がった木屑の山頂を見上げ、思わずえっと言って口を押さえる。両目を枕に押し付けているフレッドは、そのやり取りを聞いて、背中を不快そうに揺らし、一つ咳払いした。
「早く下げろ。俺はギネスビールは嫌いだ」
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