第11話 エロイカ

 一時間ほど後、ついにフロイデンヴァルトの住民たちは、ガーリー最新鋭の重戦車三両を間近で見上げることとなった。

 細長い車体の前後は傾斜し、前のほうに載った砲塔は丸みを帯びている。そこから突き出る最新鋭の120ミリ砲は非常に恐ろしげだが、全体に優美な気風をまとっているのは、さすがガーリー人の繊細なデザイン性と言えよう。威圧感の塊であるプロイス戦車とは訳が違う。

 柔らかな形の砲塔から端整な顔つきの指揮官が頭を覗かせる。柔らかい茶色の髪が風に揺れる。そして憂いを帯びた目で久方ぶりの町を眺めた。

 ――戦中、占領していたとき以来か……。

 ガーリー機甲師団の若きエース、“エロイカ”こと、フィリップ・ルクレール・ボナパルト少将は嘆息した。

 彼は戦中フロイデンヴァルトに進駐した際、プロイス制圧の足がかりを築いたと自信に満ち溢れていたが、その後のマンシュタインによる巧妙な大反攻戦で死の瀬戸際まで追い詰められ、ほうぼうの体で祖国へ逃げ帰ったのだ。それから事実上一個軍団の規模を備えてガーリー領内へと再侵攻してきたマンシュタインの部隊に、壊滅状態だったボナパルトの機甲隊はまともに応戦することができず、戦中、二度の祖国喪失という屈辱を味わうことになったのだった。

 彼の胸中は複雑だった。屈辱感は誰よりも強く、プロイスへの復讐心は未だにくすぶっている。だが、それは醜く非礼な形で表れて良いものか、酔って乱暴を振るう同胞を見るたびに心が痛んだ。

 ある意味、そのような小暴力で済む方が全体としては平和かもしれない。ボナパルトは拭い得ぬ屈辱感を、正面から正々堂々叩き付ける機会を欲していたのだ。それは、市民一人が被害にあうような規模では済まないだろう……。

 彼は信じ難いことに、マンシュタインと未知の超重戦車の登場は、まさに願ってもない好機だと感じていたのだ。――無論、他人には明かさないが。

 戦車の上からフロイデンヴァルトの人々を見下ろして進む。戦後、唐突に現れた元敵国の戦車三両に、住人たちは恐るおそる視線を投げ掛けている。その様子は戦争の最中、連合軍が威張り散らしていたころよりも、一層卑屈で憐れにさえ思えた。残っている建物を見ると、かなりの数が人気なく、ますます寂しい雰囲気を作り出している。

 ボナパルトは町の中心部まで来ると戦車をとめ、最低限の守備要員だけを残して他は全員各方面へ捜索に向かわせた。マリア・ピエヒ、アルフレッド・マンシュタイン、そして不審な大型戦車を見なかったか、住民を問い詰めるためだ。

 この人海戦術には指揮官たるボナパルト自身も歩き回って聞き込みを行った。

 戸を叩くと初めは明らかに警戒して戸を薄開きにする住人たちであったが、ボナパルトが紳士的に捜査への協力をお願いすると、一応ドアを開け放し玄関までは入れてくれた。が、何を聞いても知らないと首を横に振るばかりで、それ以上奥へ上がることはなかった。何度か部下とすれ違いその度に状況を尋ねたが、皆こたえはNonの一言であった。


 ――やはりこちらへ向かったというのは陽動で、真っ直ぐスイス・アルペンへ南進したのか?


 疑念がふつふつと湧いてくる。夏の太陽を反射する地面に目が眩む。ボナパルトは手当たり次第訪ね歩いた。

 呼び鈴を鳴らす。家の者がそっと顔を出し、質問に首を振る。諦めて次へ。ノックする。二、三度する。応答がない。畑にでも出てるのだろう。次へ。次は出た。しかし返答は聞き飽きたものだ。次へ。ここもいない。次。見たことのある首振り。次。またいない。次。今度は二軒続けて。と思ったら、次も次も、その次も留守。

「多くないか……?」

 町に入ってきたとき空き家が多いとは感じた。だが、その空き家とは生活感が感じられないもぬけの殻のことだ。ボナパルトが今目前にしている家はどうだ? 新しく土のついた鍬が、玄関先に立て掛けられている。その隣は庭に薪と斧がいかにも作業中といった感じで放られ、その向かいは洗濯物が揺れ、さらにその隣家は窓越しに食べかけの昼食が見える。


 だが、人っ子一人いない。


「さながらメアリー・セレスト号のようではないか……」


 口にして寒気がした。つい先ほどまでいたはずの住民がいない。蒸発したかのように消え去り、ゴーストタウンが残る。いや、生粋の軍人たる彼が感じたのは、そういったオカルト的な悪寒ではない。

 刺すような、鋭い電撃だ。



 ――そうか! レジスタンスが!



 瞬間、足の筋肉をありったけ動かして走り出す。もしまだ影が潜んでいるのであれば、見てはいけなかったものを見た彼の頭はすぐにザクロになる。指揮官とか、少将とか、そんなものは全て吹っ飛び死の恐怖から全速で逃げる。転びそうになるのを耐えて、とにかく前へ! 足を動かす。そして文字通り必死の形相の彼に驚いた部下に呼び止められ、肩で息をしながらようやく冷静さを取り戻し指示を出す。

「間違いない。目標はフロイデンヴァルトに来ている」

「しかし、目撃談がまったく……」

「もういないからだ!」

 部下の目が点になる。

「とにかく一回全員を町の広場に集めてくれ。ベルモン中佐も呼び戻さなければ……」

「閣下、お言葉ですが、住民は見ていないと――」

「事実を知っている住民はほとんどが脱出済みだ。どうして我々の接近が知れたのかは分からないが、そう見て良いだろう。ことは厄介になった」

 乱れた髪を整え、嘆息する。

「最高の頭脳と、最強の戦車に、最悪の住民が手を貸したらしい」

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