エンディング4、再生する花(ハッピーエンド)

 先程まで彼女の母親が座っていたパイプ椅子に腰かける。

随分と細くなった彼女の腕には何本ものチューブが伸びており、見ているだけで痛々しい。


「香保子……」


 自分の声とは思えないほど弱々しい声が出た。

頑張っている彼女の前で、俺がへこたれた姿を晒す訳にはいかない。

軽く自分の頬を叩き、気合いを入れ直す。


 彼女の頭上を見やれば、かつて美しく咲いていた白いガーベラ達は弱々しく頭(こうべ)を垂れていた。

白というより、もはや茶色に近い。

 そっと花弁に手を伸ばすと水分が少ないのか、乾いた手触りがした。

このまま彼女の命と共に枯れ果ててしまうのではないかと泣きたくなる。


 俺は原因不明の難病としか聞かされておらず、具体的な事は何も知らされていない。

それが本人たっての希望だった。


 彼女の意に反する事はしたくなかったので、詮索も追及もしていない。

……いや、出来なかったのだ。

知るのが怖いだなんて、情けない話である。

一番怖いのは本人だろうに。


「……ん……航、平?」

「香保子! おはよう」


 ゆっくりと目を開けた彼女の顔を覗き込む。


「……来て、くれたんだ……」

「あったり前だろ!」


 出来るだけ明るい口調で応えると、彼女は起き上がろうと体を動かした。

俺は慌てて手を差しのべ、上体を支える。


「お、おい、いきなり起きて大丈夫か?」

「んー……平気……」


 ありがと、とはにかんだ表情につられて俺も微笑む。

相変わらず青白い顔だったが、俺はこの笑顔が大好きだった。


「……会社は……?」

「あぁ、今日は半休貰ったんだ。持つべきものは話の分かる上司だな!」

「ふふっ、感謝しないと、だね」


 少し申し訳なさそうにしているが、嬉しかったらしい。

僅かに彼女の白い顔に赤みがさす。

何となく照れ臭くなって、意味もなく白い天井を見上げた。


 視界の端では彼女の動きに合わせて、弱ったガーベラが小さく揺れている。

カサリと軽い音が聞こえたが、彼女の耳には届かなかったらしい。

この花が完全に枯れるまで、そう時間はかからなそうだ。


「じゃあ、香保子が退院したら、その上司を紹介するよ。見た目は怖いオジサンだけど、すっげー良い人なんだ」


 暗に「治ると信じている」と伝えると、彼女の表情がくしゃりと歪んだ。

苦悶ではない。

これは泣くのを我慢している時の顔だ。


「……そう、だね……退院、したら……色んな人にお礼を言って回りたいな」


 ふいに一輪のガーベラから、花弁が一枚、ハラリと落ちた。

彼女の命がまた短くなった気がして、思わず息を呑む。


「……航平?」

「……あ、いや……そろそろ行かないと……ごめん」


 また明日来るから、と告げて立ち上がると、軽く手を掴まれた。

まるで付き合い始めた頃のように、心臓がドキリと跳ねる。


「ん? どうした?」

「……あのね、航平。仕事行く前に、その……」


 言い難そうに俯く彼女に首を傾げていると、「ギュッてして下さい」なんて爆弾を落とされてしまった。

こんなに素直に甘えてくるのは珍しい。

羞恥に染まる彼女を、そっと抱きしめた。


「……何もしてやれなくて、ごめんな」

「そんな事、ない……」


 声が震えている。

俺の胸に顔を埋めながら、泣いているようだった。

鼻先に乾いたガーベラが触れる。

花の香りが全くしないのが、悲しくて堪らない。


──可愛くて、愛しい。

──どうして彼女なんだ。

──独りにしないで欲しい。

──出来る事ならずっと一緒に居たい。

──代われるものなら代わってやりたい。


 色々な感情が一気に押し寄せてきて、気付けば俺も涙を流していた。

彼女の前で泣くのは初めてだった。

ぼたぼたと落ちる涙が彼女の頭を濡らす。


 そろそろ彼女の母親が戻って来るかもしれない。

それでも涙は止めどなく溢れ出る。

俺達は抱き合いながらわんわんと泣いた。




「……ワイシャツ、濡らしちゃった。ごめんね」

「いや……俺も、カッコ悪い所見せて、ごめん」


「ふふっ」

「へへへ……」


 互いに気恥ずかしくなりながら、そっと離れる。

目も鼻も赤い彼女の顔は、実に晴れやかだ。


「……泣いたら、なんだかスッキリしちゃった」


 ここで俺はあれ、と気が付く。

 萎(しお)れていたガーベラが、少しだけ頭を持ち上げていた。

茶色くなっていた花弁も、先程より白く、瑞々しく見える。


「なんで……?」

「あ! 会社、時間大丈夫? 引き止めちゃってごめんなさい!」


 久しぶりに聞く彼女の元気そうな声に急かされる形で、俺は慌てて病室を後にした。

病室を出てすぐに彼女の母親に会った時は流石に気まずかったが、この日はいつになくいい気分で過ごす事が出来た。


 そしてこの日を境に、彼女の病状はみるみる快方に向かっていった。




「担当の先生がね、『奇跡だ! 信じられない!』って叫んだの。ドラマみたいでしょ。でも本当に叫んだんだよ、凄くない!?」


「その話、何度も聞いたってば」


 彼女は苦笑する俺の腕に勢いよく抱き付く。

白いガーベラが彼女の動きに合わせてピョコピョコと揺れる。

そしてそのガーベラの回りには、沢山の青と紫の雛菊が咲き誇っていた。


「でも本当に不思議……今だから言えるけど、お医者さんには『もう治らないし、先も長くない』って言われてたから……」


 彼女は目を細めて遠くを見る。

久しぶりに出る外の世界は、とても眩しく感じるらしい。


 何故花が復活したのか、理由は今も分からないままだ。

俺の涙が養分にでもなったのか、彼女の生きたいと思う心に花が影響を受けたのか、たまたま運が良かっただけなのか……


 まぁ何でも良い。

俺は先程調べた雛菊の花言葉を思い出して、笑みを浮かべた。


「青は幸福、紫は健やか、か……」

「航平、何か言った?」

「いや、まぁ、あれだ」


 腕を組みながら、彼女の両親が待つ駐車場へと向かう。


「退院おめでとう」


 風が吹き抜け、彼女の花がほのかに薫った。

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