エンディング5、未知の花(SFエンド)
俺は先程まで香保子の母親が座っていたパイプ椅子に腰かけた。
随分と細くなった彼女の腕には何本ものチューブが痛々しく伸びている。
口元にある人口呼吸器が規則正しく曇り、一見ただ眠っているようにしか見えない。
「おい」
俺は出来るだけ感情を抑えて声をかける。
「起きろよ。……起きてるんだろ」
「私は眠らない」
スッと目を開いた彼女の口から返ってきたのは抑揚のない言葉。
彼女の頭上を見やれば、かつて美しく咲いていたオレンジのガーベラは影も形もない。
……というより、花はおろか、植物の芽一つとして生えてはいないのだ。
俺は目を開けた彼女の顔を覗き込む。
「……まだ体が動かないのか」
「あぁ、馴染むまで、まだ時間がかかりそうだ」
原因不明の難病で入院した、としか俺は聞かされておらず、具体的な事は何も知らされていなかった。
それが香保子のたっての希望だった。
今となっては、何故もっと追及しなかったのかと後悔しかない。
一週間程前の事だ。
香保子は俺と二人きりの時に「航平、今までありがとう」と言い残し、静かに息を引き取った。
枯れたオレンジのガーベラがバラバラに散るのも見届けた。
その直後、彼女は再び目を見開いたのだ。
人とは思えないようなギョロリと剥いた目に、俺は悲鳴を上げてしまった。
あんなに愛していた彼女に対して、悲しみよりも恐怖を抱くなんて、情けない話である。
「この宿主、とうとう死んだか」
「は? 宿主? え? か、香保子……?」
混乱する俺から視線を外し、彼女は忙しなく病室内を見回していた。
「私は香保子ではない。彼女に寄生した、外来生物だ」
「が、ガイライ?」
「……お前達には宇宙人やエイリアンと言った方が分かりやすいかもしれん」
淡々と紡がれる言葉を理解する前に、俺は今度こそ涙を流した。
何にせよ、もう大好きな香保子の笑顔を見る事は叶わないのだ。
悲しみに暮れる俺を、彼女は何の感情も無い目で見上げるだけだった。
話によると、彼女はある程度の知的生命体に寄生して生きる稀少生物らしい。
寄生してすぐに体を乗っ取るのではなく、宿主が死亡した直後に体を乗っ取るそうだ。
「お前が寄生したせいで香保子が死んだんじゃない、のか?」
俺の疑惑の目に怯む事なく、彼女はぎこちなく首を振った。
「それはない。我々は出来るだけ若い肉体を求める習性がある。よって、先が長く無さそうな若者を狙う。それだけだ」
「……香保子は、寿命……だったのか?」
「そうだ。……精一杯生きていた。私が選んだだけの事はある、立派な宿主だった」
乗っ取られた肉体は再び機能し、多少の検査程度なら異常も見られないらしい。
そんなの、まるで生きているも同然ではないか。
彼女はもう香保子ではない──それは分かっている。
それでも香保子をどこか誇らし気に話す彼女を、俺は無下には出来なかった。
結局俺は、彼女が体を自由に動かせるようになるまでの間、暇潰しの相手になる他無かった。
──そして現在に至る。
「……おばさんとは、あまり話さないのか?」
「……会話はしている。宿主が生きている間、音声だけは聞こえていた。どんな話をすれば良いか、大体は理解しているつもりだ。……気疲れはするがな」
これは前にも聞いた事がある。
宿主が生きている間に、音声から必要な知識を得る……だったか。
「そういや、何で俺には正体を隠さなかったんだ? ほら、その……香保子のフリをして生きる事も出来た筈だろ」
「お前はそれを望むのか」
グッと口を閉ざす。
そんな事、望むわけない。
確かに香保子とはずっと一緒に居たかった。
でもそれより何より、香保子が居なくなった事に気付かず、のうのうと生きる方が何倍も辛い。
彼女は見透かしたような目で俺を見つめた。
「例え隠した所で、お前はすぐに違和感に気付くだろう」
「……そうか? 違和感に気付いたとしても、寄生生物なんて非現実的な話、俺には思い付かないと思うけど」
彼女の真意がまるで分からない。
俺は思いきって、今までずっと避けていた質問を口にした。
「お前の目的は……何なんだ?」
「同胞を増やし、この地球を我々の生きやすい星にする事だ」
「え」
俺は石のように固まった。
一番「そうでなければ良いな」と思っていた展開である。
暫く思考停止(フリーズ)していると、彼女は無表情でクククと喉を鳴らした。
「冗談だ」
今のは笑い声だったのか。
感情が読めない分、たちが悪い。
俺は何ともいえない気持ちで「冗談かよ」と突っ込んだ。
「理由など無い。たまたま辿り着いたのがこの星で、たまたま見付けたのがこの宿主だった。……それだけだ」
「ふーん」
俺は椅子に背を預けて天井を見上げる。
至ってシンプルな天井だ。
彼女はこの室内以外の世界をまだ見ていないという。
香保子に寄生する前は知能のある種子のような状態で、視覚は無かったらしい。
「……動けるようになったら、どっか案内してやるよ」
「ほう。意外だな。お前がここに来るのは、てっきり宿主の両親を気遣っての事で、退院したら私から逃げ去る算段かと思っていた」
「そこまで割り切れたら良かったんだがな」
ため息を吐くと、彼女はまた喉を鳴らした。
珍しい事もあるものだ。
「……お前、笑い方下手だな」
「そうか」
やはり彼女は香保子とは違うと思い知らされ、悲しくなる。
「笑い方が上達すれば、お前の心は軽くなるのか」
「はあ?」
意味が分からず首を傾げると、逆に首を傾げられた。
「宿主の中にいる間、お前の優しい声が一番印象に残った。宿主も、お前といる時が一番喜んでいたし、温かかった」
「温かい?」
「よくは分からんが、とにかく温かく、お前の言葉はどれも心地良かった」
香保子の感情を共有していたのだろうか。
今まで知らなかった香保子の心を知れたようで目頭が熱くなる。
彼女は不思議そうに俺を観察しているようだった。
「……皮肉なものだ。やっとこの目で見る事が叶ったお前は、いつも悲しい声で、辛い顔をしている」
「えっと……」
突然そんな事を言われても戸惑う。
俺は頬を掻きながら言葉の意味を考えた。
つまり、どういう事だ?
「あれ程宿主が大切に思っていたお前を、私は欺きたくなかった。……だから、正体を明かした」
そこに話が戻るとは思わなかった。
俺は「お、おぉ」とよく分からない声を漏らす。
どうやら俺が思っていた以上に、俺は彼女に信頼されていたようだ。
とりあえずその信頼を少しは大切にしてみようか。
香保子が亡くなった悲しみは、まだ全然癒えていない。
今だ帰宅しては自室に籠って泣いている位だ。
それでも「彼女」は「今」生きている。
漠然と、こんな俺でも何かしてやれる事はないだろうかと考えた。
弱ってばかりもいられない。
「あれ?」
「どうした」
「あ、いや……」
彼女の頭がキラリと光った気がした。
ゴミでも付いているのかと覗き込む。
それは二、三センチ程の、銀色に光る丸い双葉だった。
見た事もない植物だ。
無表情ながらキョトンとしているようにも見える彼女の顔も相まって、何だか無性におかしくなった。
「ははっ、かっわい……」
「何を言っているのか理解に苦しむ」
「いや、こっちの話」
「……そうか」
どうやら納得いかなかったらしい。
眉間に皺を寄せられ、彼女にも少しずつ表情が出てきたと感じる。
この芽がどんな花に育つのか、少し興味が湧いた。
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