エンディング2、摘まれた花(バッドエンド)

 先程まで彼女の母親が座っていたパイプ椅子に腰かける。

随分と細くなった彼女の腕には何本ものチューブが伸びていて、実に痛々しい。

 よく眠っている彼女の右手を握ると、僅かに身じろいだ。まだ目覚める気配はない。


「香保子……」


 俺は原因不明の難病としか聞かされておらず、具体的な事は何も知らされていない。

それが本人たっての希望だった。


 彼女の意に反する事はしたくないので深く詮索も追及もしなかったが、本音を言えば、少し寂しい。

隠し事をされるのは多分、これが初めてだったと思う。

まるで俺と彼女の心の距離が開いてしまったようにさえ感じていた。


「……頼むから、俺を独りにしないでくれよ……」


 青白い顔を見ていると、自分でも驚く程情けない声が出る。

彼女の頭上を見やれば、かつて美しく咲き誇っていた黄色のガーベラ達が弱々しく頭(こうべ)を垂れていた。

誰よりも綺麗で大好きだった彼女の花は、こうしている今にも散りそうだ。


 そっと花弁に手を伸ばすと、水分が少ないのか乾いた手触りがする。

このまま彼女の命と共に枯れ果ててしまうのではないかと泣きたくなった。


「……ん……航、平?」

「香保子! おはよう」


 ゆっくりと目を開けた香保子の顔を覗き込む。

香保子はぼんやりと瞬きをしながら、「来てくれたんだ……」と呟いた。


「あったり前だろ!」


 出来るだけ明るい口調で応えると、香保子は少しだけ眉をひそめた。


「今日……会社は……?」

「あぁ、今日も半休貰ったんだ。ごめんなー、ずっと一緒にいられなくてさ」


「……ううん。それはいいの」


 眉を下げる彼女に、首を傾げる。

これは申し訳なく思っている時の顔だ。

でも、何でそんな顔をするのかが分からない。


「こう何度もお休み貰ってちゃ、会社に悪いでしょ。私は大丈夫だから……気にしないで、お仕事行って?」

「いやいや、会社なんかより、香保子の方がずっと大事だし」


 何でそんな事を気にするのだろうか。

「でも……」と視線をさ迷わせる彼女の仕草に胸がざわつく。


「……俺がそうしたいんだよ。出来る限り香保子と一緒に居たいんだ。香保子だって、そうじゃないのか?」


「そりゃ、そうだけど……やっぱり、お仕事も大事だよ。やっと入れた会社なのに、航平の居場所が無くなったら、嫌だし……」


 でもでもだってと、香保子は困ったように言葉を並べていく。

ただでさえ静かな病室に、微妙な空気が流れ出す。


 どうしてこうも世間の目を気にするのだろうか。

俺の居場所は香保子の隣以外あり得ないというのに。

俺は彼女さえいれば、会社なんてクビになったって構わないというのに。


 これではまるで俺だけが彼女と一緒に居たいと思っているようではないか。


「……香保子は俺と居るより、俺が会社に行く方が嬉しいって事?」

「えっと、そういう事じゃなくて……」


 横になったまま小さく首を振る彼女に合わせて、黄色いガーベラが枕の上で揺れる。

カサリと軽い音が聞こえたが、彼女の耳には届かなかったらしい。

このガーベラが完全に枯れるまで、そう時間はかからないだろう。

それまでは彼女との時間を大切にしたい。

そう思うのは当然の話だと思うのだが……


「何でそんな事を言うんだ? 俺は少しでも香保子と長く一緒に居たいだけなんだ」

「……治ったら……退院したら、また一緒に居られるじゃない」



 何 を 言 っ て い る ん だ ?


 病気の事は俺以上に知っているくせに。

前に一度、自分の体は自分が一番分かってるって、言っていたくせに。


「隠し事だけじゃなくて、嘘まで吐くのか」

「……え?」


 ポツリと呟く俺の言葉の意味が分からなかったのか、彼女は不思議そうな顔を浮かべる。

なんで分かってくれないんだ。

今までこんな事は無かった。


 どうやらもう、どうしようもない程、俺と彼女の心の距離は広がっていたらしい。


「航平?」

「……俺、香保子が好きだ」

「……うん。私も大好き」


 照れたように微笑んでいるが、その「大好き」の度合いは果たしてどの程度のものなのか、もう俺には分からない。

ふいに黄色のガーベラから、花弁が一枚、ハラリと落ちた。

彼女の命がまた短くなった気がして、思わず息を呑む。


「……香保子と一緒に居られれば、俺は何も要らないんだ。本当に、それだけなんだ」

「航平……」


 涙ぐむ彼女の頭を撫でるように手を伸ばす。

微笑みかけると、彼女は嬉しそうに目を閉じた。

やっぱり可愛いし、愛しい。

こんなに好きなんだ。

彼女をこのまま散らせる訳にはいかない。


 俺は笑みを浮かべたまま、全ての花を根元から一気に手折った。


「これなら病院まで俺が来なくても、ずっと一緒に居られるな」


 俺は手中にある黄色いガーベラに話しかける。

返事は無いが、花は命そのものだ。

ならこの花は彼女自身に他ならない。


 残る問題があるとすれば、ドライフラワーにするか、押し花にするか、それが問題だ。


「香保子はどっちが良い?」


 半々にしようか。

やはり女性は見た目を気にするだろうからな。

半々なら彼女のその日の気分に合わせた姿で一緒に居られるから、良いかもしれない。


「あ、そうだ。最近は花をオイルに浸けるってのもあったっけ。それも良いかも」


 これからは彼女とずっと一緒に居られると思うと嬉しくて堪らない。


「香保子に合う可愛いビンを探してやるよ。材料も買わなきゃだし、今日は久しぶりのデートだな」


 まるで付き合い始めた頃のように胸が高鳴った。

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