第3話 第2章 革命の勃発ー1『待ったなしの財政改革』


1 【ルイ16世】

革命の結果、断頭台の露と消えたルイ16世とはいかなる王であったのか。ルイ15世の孫として生まれ、王位についたのは、1774年5月10日である。20歳にならんとする時であった。結婚は1770年、16歳の時で、マリ・アントワネットは14歳であった。彼自身は啓蒙君主と自らを任じていた。農奴制の廃止、プロテスタントやユダヤ人の同化政策などをすすめた。狩猟が趣味というのはこの時代としては当然であるが、「錠前造り」という変わった趣味を持っていた。

女好きの祖父の血を受け継がなかったのか、浮いた話はない。内向的で執務室にこもることが多かったとされている。派手な振る舞いで人目を引き、何かと世間に話題を提供したのは王妃マリ・アントワネットのほうであった。特に欠点のある国王というわけでもなく、国民に特に不人気というわけでもなかった。ただ、変動期に決断をせまられたときに、強力な指導力を発揮できるような人物ではなかったことは、読まれていけばわかるであろう。ようは優柔不断だったのである。しかし、改革の意欲もあわせ持っていたというからやっかいである。


2 【チュルゴの改革】

王室はルイ14世、15世と度重なる戦費や、王宮の建設で財政破たん寸前の状態にあった。即位直後にチュルゴを財務長官に登用している。チュルゴは啓蒙思想家として、自由主義的な経済改革の推進者として、当時の専門家の世界ではよく知られていた。当時の進歩的な知識人たちも、この人事を歓迎した。

チュルゴはさまざまな身分制的特権の廃止を推進しようと考えていた。貴族や教会聖職者が持っていた免税特権の廃止は、宮廷費の削減と並んで、財政改革の重要な柱であった。商業や手工業を展開する上で、排他的な独占組合になっていたギルドを廃止する政策や、物品の自由な流通を妨げていた地方関税の廃止は、自由な市場経済の展開を促進しょうとするものであった。同時時代にプロイセンの台頭を果たしたフリードリッヒ大王(2世)が取った路線を、ルイ16世もまた、チュルゴを登用して推進させたかったのである。


改革に対しては常に抵抗勢力が存在する。貴族にとっては免税特権の廃止などはとんでもなかった。徴税システムの改革には、これを請け負ってきた金融業者は反対であった。これに啓蒙思想に反対する聖職者を加えて、保守派のチュルゴ包囲網が出来上がった。

丁度そのような時に、前年の不作が引き金になって、小麦粉が値上がりし、パンの価格も高騰した。最悪のタイミングで食糧暴動が起きた。民衆は飢えから行動に走ったというより、買占めや投機を攻撃し、公正な価格を保障するような統治を求めたと理解すべきである。


しかし、チュルゴたち改革派はこの暴動を保守派の煽動によるものとみなして、徹底した弾圧に走った。蜂起と弾圧が各地で繰り返され、小麦戦争といわれたほどである。当然、改革反対派は自由化路線が投機や不安をもたらしていると攻撃を激化させる。ここで、ルイ16世の優柔不断といわれる性格があらわれる。チュルゴの登用を進言した側近の老政治家モールパが、チュルゴの強引な改革推進に不満を感じていたので、政治対立が激化する中、今度はその解任を進言する。宮廷費の削減に不満であったマリ・アントワネットも「チュルゴなんてやめさせなさいよ」と、けしかける。

揺れた国王はチュルゴを罷免する。


3 【待ったなしの財政再建】

この時期のフランス王政は難しいかじ取りを迫られていた。王政の成立を支えている基盤には身分制の原則があった。一方、世界の政治、経済のなかで中心の位置を占めるには、経済を初めとする近代化は果たしていかねばならない。とりわけイギリスとの対抗は、それなくしては難しい。しかし、近代化、自由化を徹底してゆくとすれば、究極的には身分制の原則を崩しかねない。王は悩ましいのである。


改革の放棄を思わせるチュルゴの罷免は、改革反対派を躍り上らせるものであった。

王権からの改革の試みは抵抗勢力の反対にあって挫折していく。しかしなんらかの改革を実行しないと国家財政の破たんは目前であった。実に歳出の半分は利子で消えていっている状態であった。

政治対立が激化するたびに、ルイ16世は財務長官の首をすげ替えて、なんとかした気になる。財務長官がブリエンヌのとき、彼は貴族の牙城「高等法院」との対決姿勢を明確にした。高等法院は中世において、国王の統治を助ける付属機関的なものであった。のちの歴史の中で、最高裁判所であると同時に、王令の登録や国王への諫言の権利を持った機関となった。王令といえども、ここに登録されないと効力は持たなかった。


高等法院の数名の議員に対して、封印令状という国王が発する問答無用の逮捕状が出された。これに対して高等法院は「どのような命令であれ、しかるべき司直の手に委ねられのでなければ誰も逮捕されない。もっとも基本的な権利である」と猛反発をした。いくつかの都市では高等法院を支持する住民の運動も起き、国内は蜂の巣をつついたようになった。聖職者会議も高等法院を支持するようになり、ブリエンヌを支持して強気に出たルイ16世はまたしても揺らぐ。

高等法院の求めたように、89年5月に三部会を招集することに決定。ブリエンヌは辞職する。貴族側の勝利であった。国王側にも計算があった。第3身分の力を借りて「税の負担の公平」、これさえ実現できればいい。第3身分は何と言っても「国王万歳」であろうと甘くみていた。

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