終章
終章
あわただしい、ひとつきがすぎた。
さつき晴れというにふさわしい晴天の一日だ。
あれから、先生はどうなったのだろうか?
ぶじに“いしょくしじつ”は成功したのだろうか?
艶珠さまからは何も言ってこない。
キーマンでなくなった春など、もう、どうでもいいのだろうか?
あの夜——
ゲートをくぐると、水戸藩邸に帰っていた。
血を流して倒れる人間の先生を見て、艶珠さまが顔色を変える。
「テセウス。その体は死んでしまったのか?」
「いえ。息はあります。ですが、ひじょうに危険な状態です」
「マズイな。一度でも、兄上の魂と同調したことのある体のほうが、定着がすみやかなのだが……まあいい。やれるだけ、やってみよう。急げ」
春をかまってる時間も惜しいらしく、艶珠さまたちは行ってしまった。
そのため、春は死体のるいるいところがる水戸藩邸から、一人で脱出しなければならなかった。
幸い、邸内の人々は、ほとんど死んでいるか、いなくなっているかだった。門前まで、ぬけだすのはたやすかった。
が、そのあとがいけなかった。
ようやく重い腰をあげて、ようすを見にきた二条城の武士たちに、バッタリ出くわしてしまったのだ。姫の顔を知っている者がいて、お城へつれもどされてしまった。
というわけで、春はふたたび竜乃の身代わりの日々だ。
しょうがないので水戸藩にさらわれていたことにした。
水戸藩については、出門国京都勤番頭、黒木さまより正式にご公儀へ通達があったようだ。謀反人の討伐にあたったのだと。
おかげで、春の言うことを疑う者はいなかった。
さらわれていたあいだのことは、恐ろしさのあまり熱を出して、何もおぼえていないことにした。
水戸藩は新御三家だから、改易にこそならなかったが、藩主は切腹。奥方は尼となり、亡き夫と子どもの菩提を弔っているという。
あやつられていた人々のなかには生き残った者もあった。
あやつられていた度合いによって、平静にもどった者もいたようだが、大半は、なぜか、討ち入りのときの出門さまのつれ(つまり先生)に、激しい恋情をいだいてしまうという奇病に悩まされたらしい。
これは、春の恋心が精神世界を通して伝染してしまったからだ。
彼らは、おつれは死んでしまい、死体は出門さまが運びだしたと思っている。これも多くは仏門に入ったようだ。
矢三郎は春を単身、救出に来て、返り討ちにあったことにしておいた。手厚く葬られた今は、きっと、あの世で竜乃と仲よくしていることであろう。
さて、春はといえば——
本日は
水戸藩の謀反やら、春の行方不明やら、あまりにもいろいろあったので、肝をつぶした実父、徳川将軍慶勝が、早々に婚儀の話を進めてしまったのだ。
むろんのこと、相手はもったいなくも太子さまだ。
婚礼にともなう、うんざりするような儀式が来る日も続き、いよいよ、今日は花嫁行列が御所へむかう。
市中には、この行列をひとめ見ようとする見物が目白押しだ。
みすをおろした輿のなかで、花嫁衣装の春は、人身御供に出される娘の心境だ。
(センセ。会いたい。せめて、ぶじかどうかだけでも知りたい)
このひとつき、今日来るか、明日来るかと待っていたけれど……。
先生は約束を忘れてしまったのだろうか?
それとも、ほんとに必要のなくなった春のことなど、どうでもいいのだろうか?
まさか、しじつに失敗して、何千年かさきの転生を待っているのだろうか?
(センセ。ウソついたら針千本のますって、言うたのに……)
指きりした小指を見つめて、春はベソをかいた。
そのときだ。
見物のなかから口々に悲鳴があがる。
続いて、あたりを静寂が支配した。
花嫁行列が止まる。
春の乗った輿もおろされた。
そして——
「その女は、たしかに太子の妃となる宿命。だが、それは人の世のことではない。この私の——出門国太子たる、この私の花嫁だ」
その人の手で、みすがあげられた。
金緑の蛇の双眸が春を見ている。
春は涙を抑えられなかった。
「なんで? 今、昼やのに」
「私の魂は人の肉体と融合した。物質と精神の比率が半々になったのだ。もう昼でも、さわりはない」
「よかった。うち、おりじのセンセと人間のセンセ。どっちゃと夫婦になるか、悩んどったんよ。どっちゃも好きって言うたら、なんぼなんでも欲張りやと思うて」
「そなたは、どれほど欲張りになってもかまわぬ。どんなワガママでも聞こう」
「もう一番の願い、叶うた。ほかには、なんもいれへん」
さしのばされる腕のなかへ、春はとびこんでいった。
出門さま 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます