八章 もろともに あはれと思へ山桜 1—3


 先生の白刃が舞い、男の喉が裂かれる。血がほとんど出ない。本当は、すでに死んでいるからだ。あやつられた死体なのである。


 先生は舌打ちして、急所より足や刀をにぎる手を狙った。ムダのない身ごなしで、たちまち数人を切りすてる。春を壁ぎわに押しつけた。


「離れていろ。ヤツらの狙いは私だ」


 言い残し、またもや白兵戦のさなかへ、とびこんでいく。たちまち、男たちにかこまれ、先生の姿は見えなくなる。

 チャリン、チャリンと剣戟けんげきがとびかうたびに、春の胸は不安で押しつぶれそうになる。


(センセ。ムチャや。ここに来る前にも切りあいして、うちを抱えて、かけとおして、疲れてはるはずや。おねがい。センセ。死なんといて)


 神にも仏にも祈る思いで手をあわせる。


 春のかたわらに、すっと、よってくる者がある。

 水戸の奥方さま。春の育ての母だ。にッと薄気味悪く笑っているところを見れば、この人も、とっくに、とりつかれてしまっているのだろう。


「ジャマ者は手の者が始末いたそう。そなたは、わらわと来るのじゃ」

「イヤです」

「聞きわけのない」


「うちをどないするつもりなんどす?」

「決まったこと。そなたのなかに、この子の魂を移し入れるのじゃ。さすれば、そなたは名実ともに、わらわの子。わらわのこの子も生きかえる」


 片腕に抱いた赤いかたまりを目の前につきつけられて、春はゾッとした。


「いやや! はなしてッ!」


 抵抗すると、奥方は片手で懐剣かいけんをぬいた。


「やはり町人なぞに預けたのが悪かったか。わらわが育てておれば、かような恩知らずにはならなんだろうに。そなたが強情をはれば、そなたを殺して、その体を手に入れねばならなくなる。わらわとて本意ではないのじゃ。わかっておくれ。沙帆や。わらわは生きた娘が欲しいのじゃ」


 ギラギラ輝く刃をつきつけられ、春はすくんでしまった。なんとか逃げだそう、つきとばそうと思うのに動けない。


 春の背後で、先生の声がする。


「——春!」


 ふりむくと、先生が近づいてくるのが見えた。


 先生をかこんでいた男たちの数は半数になっていた。まばらな人影のなかで、一人だけ白い先生の姿は、とてもよく目をひいた。

 行く手をはばむ男を切りふせながら、先生は走ってくる。あせっているのか、無防備なほど、がむしゃらに。


 その背に、刀を上段にかまえた男がせまって——


(センセ……)


 その一瞬は、とても長く感じられた。

 とても、とても長い時間。

 叫ぼうと思えば、いくらでも叫べたはず。

 でも、そう思うのは、春の意識が時間を正しくとらえていないからだ。


 ただ一瞬のできごとだった。

 先生の白い姿に、黒い影が大きくかぶさっていく。

 刀がふりおろされ、先生の体が前のめりになった。ばらりと、もとどりが切れ、髪が乱れた。


「センセェーッ!」


 かけよろうとすると、懐剣がつきだされてくる。

 春はくちびるをかみしめ、思いきり奥方をつきとばした。


 悲鳴をあげて奥方が倒れる。

 両方の手につかんでいたものが、バラバラに畳の上に散らばる。懐剣と、赤子が。

 もぞもぞとうごめく赤い子どもが、春のすぐ足元に落ちてきた。


「春……」


 目があうと、かすかに先生はうなずいた。

 やれというのだ。チャンスは今しかないと。

 春は懐剣をひろいあげ、赤子の胸につきたてた。


 その瞬間、激しい突風が吹きあれた。または、突風のような力の放出であったろうか。


 その力の中心から、大量の雪のようなものがあふれだした。白カビだ。

 目をこらすと、力の中心に黒いもやもやがある。

 あの、仮のゲートというものだ。


 奥方も男たちも狂ったようにわめくばかりだ。

 そこへ、ようやく、白石さまがかけつけてきた。


「——殿下!」


 いちはやく先生を抱きあげる。

 先生は白石さまの手のなかで気を失ったようだ。それとも……。


「センセ……」


 かけよろうとすると、白石さまが強い語調で止めた。


「あなたは行ってください!」

「でも、センセが……」


 先生は目をとじたまま動かない。しかし——


「ここは我々に任せて! このさきへ行けるのは、あなただけなんだ。殿下を救いたいのなら、早く!」


 言われて、春はゲートのなかへ飛びこんだ。


 めまいのするような感覚が、春をおそった。


    

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