七章 君がため 惜しからざりし いのちさへ 3—1

 3



 水戸藩邸の異変は、唐手門の門番によって、すみやかに二条城内に知らされた。

 唐手門前には次々に知らせを聞いた武士が集まり、事の成り行きを見守っている。


「水戸藩は新御三家が一だぞ。賊が乱入したならば、援軍を送ってはいかがか?」と、誰かが言えば、すぐにも、わけ知り顔の者がとどめる。

「早まるな。出門さまの討ち入りと聞く」


「なんと、出門さまとな? 七条あたりなら、いざ知らず、御所にも遠からぬ、この付近まで人狩りにおいでたというのか?」

「しいッ。声が高い。あれは、ただの人狩りではないようだ。門番が言うには、出門さま内でも、そうとうに身分のある方々らしい。ここは門を閉ざし、まきぞえにならぬことだ」


 年かさの者たちは、そのように話している。


 だが、腕自慢の若党のなかには、それを不満に思う者もあるようだ。


「いかに出門さまとはいえ、かような狼藉ろうぜきゆるされようか。この調子では、二条の城にも来るやも知れぬぞ」

「そもそも、出門さまなどと、もったいぶっておるが、あれらは妖怪変化であろう。鬼とも蛇ともつかぬもの。あの見てくれにだまされておるが、存外、刀をまじえれば、造作なく退治ることができるやも知れませぬぞ」


 それを聞いて、年長者は顔色を変える。


「バカを申すな。その昔、千代田の城を制してしまわれたのは、たった一人の出門さまぞ。それも四半刻とたたぬうちにな。そのさまは悪しき神のようであったと」


 自国を物の怪にのっとられて、いい気持ちのする者などいるはずもない。年長者の声色にも苦渋がまじる。悔しいが、ただの人間には、どうすることもできないのだ。


 それらの会話を、矢三郎も唐手門前で聞いていた。


 さきほどから、妙に心がさわいで、しかたない。

 まるで何者かに呼びよせられるように、ここまで来てしまった。何かを守らなければならないという気がする。

 昨日、沙帆を逃がしてから、どうにかして、もう一度、会えないかと、そのことで頭がいっぱいだったのだが。


(沙帆を殺して、拙者も……)


 そうするほか、もう沙帆の迷いを断ち切ることはできないだろう。

 いったい、どこでまちがって、こんなことになってしまったのか。

 沙帆は約束を忘れてしまった。

 桜の木の下で誓いあった、あの日には帰れないのだ。


 思いに沈んでいると、また、話し声。


「門番に聞いた話では、出門さまはお二人。そのあと、男女が一人ずつついていたが、人であったとか。男は見れば見るほど、ふるえのつくような男ぶり。女は、どこぞより、かどわかされてきたものか。十六、七の、なかなか美しいおなごだったそうだ」


 それだけのことなのに、矢三郎は確信した。


(沙帆だ——)


 誰かの呼ぶ声がする。

 にわかに近づいてくる。


(行かなければ……)


 矢三郎は人ごみをぬけだし、門の外へすべりだした。




 *


 先頭をきって、とびだしてきたのは、満面にニキビのある年若い若衆だった。ふるえる手に刀をにぎりしめ、かけ声だけは勇ましい。


「えやあァーッ!」


 しかし、大上段にふりかぶった刀は誰にもふれることなく、若衆は体ごと吹きとぶ。まわりの人垣もとびこえ、庭木の松の枝にたたきつけられる。

 そのまま、人形のように地面に落ちて、動かなくなった。体の下から、じわじわと血だまりが広がる。


 白石さまの手から、青白い電光が火花のように散っている。


 先生が口早に言った。

「テセウス。あいかわらず、敵には容赦のない男だな。だが、魔法は使わぬほうがよかろう。万一、火の手でもあがれば、後始末に手間どる」


 白石さまは一礼し、片手をふった。すると、どこからか、白石さまの手の内に大剣が現れた。片刃の日本刀ではない。南蛮渡来の幅広の両刃の剣だ。


 同じようなものを黒木さまもにぎっている。こちらは刃紋が黒光りして、さらに禍々しい。


 黒木さまは笑いながら言った。

「討ち入りらしくなりましたな。むろん、魔法ぬきとはいえ、ツノの獣人の力に、人間が及ぶはずもございませんが」


 両雄は、すくんでいる人間たちに左右から切りこんでいく。またたくまに五人、十人と切りたおされていく。

 ツノの獣人の腕力のせいか、切られた者は、太刀筋のまま、大きく弧を描いて空中高くとんでいく。


 水戸藩士も気をとりなおし、二、三人がかりで切りふせようとするが、それも大剣の一閃で払いのけられる。


 あたりには死体がころがり、おりかさなった。


 それでも、いっこうに周囲をかこむ人数がへらない。屋敷のなかから次々、応援がかけつけてくるせいだ。


 このことからも、水戸藩主に叛意ほんいがあるのは明白だ。

 国元でもなく、江戸表でもない屋敷に、これだけの守りを置くのは物々しすぎる。なんらかの意図があって集めていたとしか考えられない。

 屋敷ぜんたいでは二百——あるいは、その倍はいるのかもしれない。


 春たちを遠まきにする藩士は、まもなく五十にのぼった。屋敷のなかのほとんどの人間が、すでに心をのっとられているらしい。


 あれ、そういえば——と、春は思う。


 たしか器をこわすと、心に巣食うカビもやが出てくるということだったのに。


 ぼんやりする春の手を先生がひいている。


 白石さまと黒木さまは、大剣をふるううち、しだいに殺りくに没頭していくようだ。

 二階の屋根より高く跳躍し、とびおりる勢いで、数人を唐竹割からたけわりになどしている。


 優しげに見えた白石さまでさえ、陶然とした目つきで、純白の服を返り血で真っ赤に染めている。


 ましてや、黒木さまなど血に飢えた悪鬼としか見えない。敵の刀を持つ手をひきちぎり、かぎ爪で首をもぎとっている。とても見ていられない。


 先生が舌打ちをついた。

「いかん。やつら、血に酔っている。こんなことになるのではないかと思っていた」


 先生は白黒の二匹の悪魔から、つかず離れずの位置をたもちながら、右手に刀、左手に春の手をにぎっている。


 しかし、しだいに先生と春は悪魔たちから遅れがちになった。なにしろ二階まで跳躍できる足で、夢中になって獲物を追っていくのだ。人間の足では追いつけない。


「すんまへん。センセ。うちが、とろくさいもんやから……」

「しゃべると息がきれるぞ。しかし、なぜ、アレが現れぬのだ?」

「もやもやのことでっしゃろ?」


 先生はうなずき、狂喜乱舞する白黒の悪魔をあごでしゃくる。


「あの調子の二人にむかっていく者は、たしかに、まともではない。心を食らわれていることは確実なのだ。それでも出てこないということは、ヤツらのこちらでの足場が、とりついた人間の内世界と見たのは、まちがいだったのか?」

「ほなら、今夜のことは、せんでもええことでしたん?」


 春は胸を痛めたが、先生は首をふる。


「いや。命をすててかかってくるようす、尋常ではない。この近くにヤツらのゲートがあるのは、たしかだ。それを失うことが彼らにとって甚大な被害であるから、必死に守らせようとしているのだ」

    

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