七章 君がため 惜しからざりし いのちさへ 1—2


「げーとっちゅうのは、門のことなんでっしゃろ? ええと……白カビはんらの世界につながる門なら、うちらの世界のどっかにあるんやろか。物質の世界とつなごうてるんやろ?」


 春が考えながら言うと、艶珠さまはうなずいた。


「ふうん。いちおう、ちゃんと理解してるんだ。そうだよ。ゲートがなければ、精神世界と物質世界は行き来できない。

 ただし、春の世界にあるのは、消失点となるメインゲートじゃない。たぶん、兄上が寝室に飾ってる竜城の絵のように、仮に行き来するための簡易ゲートだろう。あっちの世界からしてみれば、春たちの世界は境界の外だからな。

 なのに、やつらは川田の心をあやつった。川田だけじゃない。水戸藩士の大半はあやつられている可能性が高い。おかしいと思わないか? 境界の外のスピリチュアルワールドの連中が、人間の心まであやつるなんて。どうやってるんだと思う?」


 なるほど。そう言われると、おかしい気がする。

 たしかに、境界内の先生たちでさえ、人間の心をちょくせつ、あやつるまでのことはしていない。


 つまりな、と艶珠さまは言う。


「やつらは、人間の心に巣食っているんだと思う」

「人間の心に……」

「人間の心のなかに、自分たちの世界との架け橋を作り、簡易ゲートにしているんだ。兄上の絵のように、人間の心に転移の魔法を固定させている」


「人間の心をげーとに……でも、そないなことしたら、その人は、どないなるんどす?」


「さあね。闇の民がそれをしたら、その人間の心は崩壊ほうかいするだろうな。まあ、やってやれないことはない。私たちの世界は人間の無意識の世界だから、どの人間の心のなかにも、無意識はある。

 そこにゲートを固定すれば、その人間は無意識下で思い描いていることが表面化する。無意識の願望は抑圧されたものが多いから、人間的に見れば破壊的な行動をとるようになるだろう。狂ったと思われるのがオチだ」


「ほなら、白カビはんらに、げーとにされたら、そのお人らも……」


 現実ではないことを現実だと思いこんでしまった矢三郎。たしかに正気ではなかった。


 でも、人間のなかにゲートがあると言うのなら、いったい、どうやって、とりだすのだろう?


 春が首をかしげていると、艶珠さまが、つかのま、だまりこんだ。その沈黙のわけは、のちほどわかるのだが。


「……ただ、あやつられている全員に転移の魔法がかかっているとは思えない。ゲートを出現させるのは、かなり高度な技なんだ。そうそう何度も使えるものじゃない。だから、ゲートを保有しているのは、そのなかの一人だけだろう。最初にヤツらに心をのっとられた“誰か”だ」

「川田はん……や、おまへんやろな?」

「川田じゃない。それ以前にも水戸藩に不穏な動きはあった。おそらく水戸藩の誰かだ」


 水戸藩の誰か。

 それで水戸藩へ行かなければならないわけはわかった。

 だが、まだ、あの疑問の答えは出ない。


「ほんで、げーとは、どないして出すんどす? うちが入らなあかんのでっしゃろ?」


 艶珠さまは冷たい瞳で、さりげなく言った。


「入れ物をこわせば、中身は出てくる」

「入れ物を、こわす……」


 春は、ハッとした。

 入れ物——それは、人間だ。

 人間をこわすということは、つまり……。


「殺す……」


「ああ。そうだよ。そんな顔するな。どうせ心を食われて、あやつられてるヤツらだ。死んでるも同然なんだよ。自分が死んでることにも気づかないで、自分の意思ではないことをさせられてるんだ。

 そいつらの入れ物をこわせば、なかに巣食ってる、むこうの住人が居場所を失う。ゲートを持たないやつは、とりあえず自分の世界へ帰るために、ゲートを持ってるヤツのところへ逃げていく。おそらく来るときにも、そいつのなかのゲートを使ったんだろうから。

 このとき、ゲート保持者をこわせば、むこうの世界につながるゲートが出現する」


 なんだか残酷な気もするが、とりつかれて自分の心を失ったまま生きるのも哀れと言えば哀れだ。


 それは、自分の大切な気持ちをなくしてしまったことにすら気づいていない、矢三郎を見ればわかる。

 肉体は死んでいないが、心は死んでしまっていると言うのなら……。


「げーとのお人を探すんどすな? でも、水戸さまやおまへんのどすえ? 幕府をのっとりたいと思うてはるんは、水戸さまなんですやろ?」


「いや、歴史的に重要だから、キーマンとしても重要なわけではない。おまえが、そうだからな。それに女が行方不明になる怪異は、京の町でしか起こってないんだ。水戸の当主は今、江戸詰だから、水戸当主ではない。だから、明日、乗りこむのも水戸藩の京屋敷だ。かたっぱしから、ぶっ殺していけば、いずれ、わかるさ」


 乱暴な艶珠さまの言いように、春は胸を痛めた。


「でも、なるたけ、ぎょうさん殺さんでほしいんどす。げーとが見つかればええんなら、大人数、殺さんでも……」


 怒られるかと思ったが、どうしたことか、艶珠さまは、ちょっぴり物悲しい目つきになった。

 残酷なことばかり言うし、人間のことをバカにしたりするけど、本当は艶珠さまも人間が好きなんじゃないかと、そのとき、ふと思った。


「私たちが、むこうのヤツらの世界を消滅させたら、とりつかれていた者のなかに巣食っていたものも消える。食われた部分の心が無になってしまうんだ。わかる? 感情も何もない、人の形の“物”になってしまうんだ。生かしておく意味があるか? そして、兄上もそうなっているかもしれない。救出は早ければ早いほどいい」


 その言葉は、春に胸に重くのしかかった。




 *


 翌日。

 春と艶珠さまは人間の世界へ帰ることになった。


 春を迎えにきた艶珠さまは、かつてないほど満ちたりた顔をしていた。ふだんの十倍もなまめかしい。

 うふふふふ、と変な笑いかたをして、とろんとした目を春にむけてくる。


「じゃあ、行こうか」


 返事も聞かず、艶珠さまは春をかかえて、王妃の塔を飛びたった。


 月は沈んでいる。

 闇の国には太陽はない。月の出ているのが夜で、昼間は真っ暗なのだと知った。

 暗闇のなかでは王城の姿をはっきり見ることはできなかった。

 王城のすぐそばに、大きな鏡のようなものが、ビカビカと青い光をはなっているのが見えた。


「あれが、げーと、なんどす?」


「あれは煉獄れんごくの泉だよ。あの下に地獄の業火が燃えさかっていて、大罪人の処刑場になっているんだ。月が出ていれば、私の美しい骨の城も見えるのになぁ。古代竜の骨の外観に、アール・ヌーボー調の内装で、父上が私のために建ててくださったんだ。

 ほかにも闇の国には見どころが多いんだが、今回は観光してるヒマはないな。くさった泥が沸騰ふっとうしてる煮えたぎる沼とか。温水プールみたいにあたたかい西海。入りこんだ者を香りでまどわせる花の森。あらゆる種類の鳥がむれつどう、さえずりの森。密林の奥深くには、巨大なまゆとクモの巣のからみあってできた、夜灯蛾やとうがの城がある。死んだ獣人のツノを内にも外にも埋めこんだ、ツノの城とかね」


 艶珠さまは、なめらかな口調で、すこぶる上機嫌だ。


「ああ……父上。今度は、いつ会えるのかなぁ。やっぱり父上が一番。ステキな夜だった」


 春をかかえたまま、くるくる、らせんを描いて飛んでいくので、春は目をまわしそうになった。


「え……艶珠さま……」

「ほら、そこが光の国へのゲートだ。この下はヤリ岩の荒地だから、うかつにゲートに入りこんだ人間は、たいてい、ここで死ぬ。おまえも落ちたら死ぬから、しっかり、つかまっておくんだな」


 ゲートというのは、ぱっくり空にあいた亀裂だ。

 この前、白カビの世界で見た、小さくて、もやもやしたものではない。

 ほら穴の口みたいに、くっきりしたさけめから、色とりどりに光る大小の星がたくさん見えていた。


「あの光の一つ一つが、時間や次元の異なるマテリアルワールドだ。さてと、ここからは私も本気で行かなくちゃ」


 言うやいなや、飛空の速度が倍にもなった。


 春は完全に目をまわしてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る