六章 ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 3—1
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蛇ににらまれたカエルという言葉がある。蛇ににらまれると、カエルは動けなくなるらしい。
今の春が、まさに、それだ。
先生によく似た金緑の目。
だが、その目は、どこか優しさをふくむ先生の目とは、まったく別物だ。
見つめられるうちに、その双眸だけが巨大化してくるような気がした。真っ黒な人型の濃密な闇のなかに、目だけが異様に光っている。
やがて、王は言った。
「そなた、わが息子を救うと言ったな?」
いや、救うとは言ってない。救いたいから、そのためなら、なんでもすると言ったのだ。救えるだけの力が春にあるかどうかはわからない。
「承知のこと。だが、そなたはキーマンだ。あるいは、それがためのキーなのかもしれぬ。何かが変わるかもしれない。行ってくれるな?」
口調はおだやかで優しいくらいだ。
それでいて、音節の一つ一つが、かま首をもたげた毒蛇であるかのように、危険なひびきがある。
「ゲートのサポートはエンデュミオンにさせよう。そなたはプロメテウスを探し、つれ帰るだけでよい。むろん、あちらからの攻撃もあるだろう。すでにプロメテウスが狂っている可能性もある。そのときには、そなたを損なわぬ保証はない。それでも、行くな?」
春は、やっとの思いでうなずいた。
「よかろう。人の思いが我らを生んだ。今はその力に賭けるよりあるまい」
王は艶珠さまにむきなおり、手を使わずに自身のひざからおろす。
「エンデュミオン。万一のときには、北海の消失点を使え。それ以外については、おまえに任す」
艶珠さまは、もう一度しがみついていくか考えるようすだ。王と、ひきはなされた自分を見くらべている。しかし、しかたなさそうに、王座の背もたれに手を置いた。
「……わかりましたよ。じゃあ、春。おまえには、ふたたび、あいつらの世界へ行ってもらう。おまえはキーマンだから、単独であっちへ行ってもヤツらが守ってくれる。ただし、記憶を書きかえようとしてくることには気をつけろよ。そのあいだに私は北海の消失点を断つ。そうすれば、北海はこっちに帰ってくる」
「消失点って、なんどす?」
「精神世界は物質世界に根づいている。とくに、精神世界を誕生させた、おおもとの世界とは太いパイプでつながっている。精神世界に対するメインマテリアルワールドだ。そことのつながりを断つと、精神世界は遠からず消滅するんだ。
つまり、北海がむこうの領土になったとき、むこうのヤツらが北海に影響をあたえるために使ったマテリアルワールドがあるはずなんだ。
そこが今、北海を物質世界につないでいる。そのつながりを断てば、北海はもともと帰属していた闇の国へ帰ってくる。ヤツらにとっての北海の消失点ってわけだ。
私はそれを探すために、多くの物質世界を見てまわった。私は半分、人間だから、自由にパラレルワールドのなかを歩きまわれるからな。北海の消失点は、すぐに見つかった。
ただ、私はそのとき、ヤツらの世界そのものの消失点もあわせて探していたんだ。北海だけとりもどしても、ヤツらの攻撃はやまない。ヤツらの世界を消滅させるためには、ヤツらの世界を物質世界につなぐ、メインマテリアルを探さなければならなかった。そこは、まだ見つかっていない」
北海をとりもどすのはカンタンだが、まだ手を出せないと、先生たちが言っていたのは、そのせいなのだ。
春はこのとき、疑問に思った。
「うちが、きーまんとか言うもんで、あっちとこっちの境の世界におるんどすな? 歴史が変わると境も変わるから大切なんでっしゃろ? ほなら、センセは、なんのために、うちらの世界に来てはったん? 歴史が変わらんように見張りなんどす?」
「それもある。境界が変わるということは、我々の世界の勢力図も変わってくるからな。私が消失点を探しているあいだ、今のラインを保つよう、兄上は工作していた。
日本を鎖国のままにしているのも、そのためなんだ。日本が開国すれば、ずいぶん歴史が変わってしまうからな。わざと、ヤツらの出現しやすい状況にすることで、ヤツらの世界の精神基盤がなんなのか、観察していたんだ。
あっちのヤツらの精神基盤は、アジア的な思想らしくって、開国することは、ヤツらにとって不利みたいなんだ。だから、ひんぱんに、おまえたちの世界のあの時代に攻撃をしかけてくる。
ただ、それなら、なぜ、川田の意識をのっとって、倒幕の行動をとらせたのかが謎なんだよな。幕府は鎖国主義だから、日本の仏教的世界観がヤツらの基盤なら、むしろ逆の行動をとらせたはずなんだが」
難しいことは、春にはわからないので、だまっていた。
だが、なぜ、キーマンが自分なのだろうと、不思議には思った。
キーマンが矢三郎や、あるいは双子の片割れである竜乃であれば、納得できる。歴史の流れに影響をあたえそうなのは、行動的な矢三郎や、意思の強い竜乃のほうだ。
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