六章 ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 2—4


「大事のことゆえ、お呼びもなく、まかりいでましたこと、おゆるしめされよ」と、照美さまは儀礼的に頭をさげる。

「なに、王太子の生命にかかわるとなれば、いたしかたあるまい」


 王の応えに、照美さまはムッと顔をしかめた。


「わらわの寝所をのぞいておったのかえ?」

「おかげで話が早かろう」

「寝所は結界の内。のぞき見されるは好かぬのう」

「ならば、もっと強い結界をはればよい。そうではないか? 姉上?」


 照美さまが舌打ちをつくのが、そばにいる春には聞こえた。


「まあよいわ。何事も闇王陛下のなされようじゃ。して、お聞きおよびならば、いかがいたしましょうぞ。御君の息子が命」

「そなたの息子だ」

「だから、二人で作った、あれのこと」


 王の目が酷薄に半眼になる。


「プロメテウスは詰めが甘い。それが命とりになるやもしれぬとは考えていたが」

「そこが、わらわの血とはおっしゃるまいな? そなたほど完ぺきに冷酷になれるのは、闇の国広しと言えど、そなたをのぞけばエンデュミオンしかおらぬ。いっそ、エンデュミオンを次の王にするかえ?」


 王の口元が、あるきなきかに微笑の形につりあがる。見る者をゾッとさせる笑みだ。


「エンデュミオンは私が、あの世までつれていく。第一王子には生きて帰ってもらわねばなるまい」


「そなた、つれもどしに行くかえ? それができるのは、王の魔力を持つ、ぬしだけよ」


「それはできぬ。北海の二の舞にならぬよう、私の魔力で闇の国の組成を抑制している。私がここを動くわけにはいかぬ。でなくば、もとよりプロメテウスに行かせはせぬ。あれの魔力なら、できぬはずはなかったのだがな」


「しかし、そなた以外の誰が行けるというのじゃ? 組成の異なる別世界になど。わらわでは、とうてい不可能じゃ。エンデュミオンでも荷が勝ちすぎよう」


「見殺しにするほうが、たやすいのは事実。だが、プロメテウスの力がむこうのものになるのは、やっかいだ——エンデュミオン。消失点は見つかったか?」


 王は、ひざの上の艶珠さまにたずねる。

 指輪をたくさんつけた手で背中をなでられて、艶珠さまは貝になったように、おとなしい。王の胸に顔をうずめたまま、問われたことにも小さく首をふるばかりだ。


「エンデュミオン。話すがよい」


 いやいや。


「一刻を争うのだ」


 いやいや。


「エンデュミオン」


 むりやり肩をひきはなされて、艶珠さまは泣きだした。

「もう兄上のことなんて、どうでもいい。ずっと、こうしていたいんです!」


 薄情にも、艶珠さまは言いきった。

 王の目のなかには満足そうな色がある。


「誰よりも美しいエンデュミオン。私の作りあげた至高の芸術よ。だが、今はそうも言っておられぬ。わかるな? プロメテウス一身のことなら、さまで大事ではないのだ。あれと同等の働きのできる者がおればな。それのできるはずだった王子を片端から殺したのは、誰だった?」

「……私です」


「では報告いたせ。エンデュミオン」

「……父上は、いつもイジワルだ。私の気持ちを知っていて」


 艶珠さまは泣きべそをかいたが、それは王を喜ばせるだけのようだった。


「消失点は見つかりません。あちらの影響下にあるマテリアルは、私の行ける範囲内では調べつくしました。あまり遠くなると私にも行けないし。もちろん、北海に影響するサブマテリアルは見つけましたよ」


「北海をとりもどすだけでは、あちらの侵攻は止まらぬ。よいのは北海がむこうの領土であるうちに、北海を足がかりに、あちらの世界そのものを消滅させること。しかし、そうも言っておられぬか。早急に王太子を救出せねば」


「北海をとりもどせば、とりあえず、兄上は帰ってくるでしょう。兄上が落ちたのは北海だし」


 王は皮肉な調子になる。


「ただし、北海をとりもどせば、マテリアルワールドでの境界も変化する。これまで境界上でおこなった、あらゆる工作がムダになるがな」


 艶珠さまは王のくちびるの動きを、指さきをあててとらえながら、


「それは兄上のミスだから、兄上がやりなおすでしょう。時間はかかるにしても、兄上さえいれば、またできることですから」と言って、ベッタリと王の胸にすがりつく。


 それから急に思いだしたように、春を指さした。


「あっ、そうそう。そこのキーマンが、兄上を助けるためなら、なんでもすると言ってます。北海をとりもどしたらキーでなくなるのだし、使えるときに使っておくべきかも」


 王の冷たい蛇の目が、春を見る。

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