六章 ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 2—2


 英助さんまで、ふてくされたように言う。


「あーあ。なんで兄貴なんだか。あいつ、根暗なのによぉ。絶対、おれのほうが、いっしょにいて楽しいぜ?」


「おなごは強い男に惹かれるものじゃ。のう、娘。わらわの息子を救うと申したのう? いかになすつもりじゃ?」


「……それは、わかりまへん。どないしたらええんか、教えとくれやす」


「お教えたまわれとは、かわゆらしいのう。ほんに、プロメテウスにはもったいないようじゃ。今からでも遅うはないぞ。わらわに乗りかえぬか? おのこ(男)がよければ、おのこにもなれるぞよ」


 急に声音まで優しげになるので、薄気味悪い。


「なんで急に、うちに優しゅうしてくれはるんどす?」


 三人は声をそろえて笑った。

「自分で泣ける私だって、他人の涙を見ると、ちょっとドキッとするからな」と、艶珠さま。


 そういえば、闇の民には涙がないと、先生が言っていたような? そのせいだろうか?


「伯母上。怖がらせているみたいですから、ここはひきさがってください。そろそろ王城へ行かないと」

「むう。しかたあるまい。キーマンなれば、あれを救う手立てもあろうか。では、王城へ参ろうぞ」

「お願いします。テミス伯母上」

「礼はよい。ヒマができたら、また来るのだぞ」

「はい。それはもう」


 チェッと、ますます、英助さんはふてくされる。

「おれのとこにも来いよなぁ」

「はいはい。英助さんのところにもね」

「はあ?」


 首をかしげている英助さんを残して、春と艶珠さまは、照美さまの転送魔法で別の場所へ移った。


 次に現れたのはお城のなかだ。

 とはいえ、さきほどの竜城とは、まったく趣きが異なる。宮殿であることが、ひとめでわかる華麗な建物だ。


 だが、どこか暗い。

 すべての壁や床が黒瑪瑙くろめのうでできている。みがかれた美しい光沢がある。

 高い天井は彫刻された柱で支えられ、アーチというのだろうか? 先生の蘭学の本で見たように弧を描いている。

 黄金でできた燭台が壁に等間隔にならび、鬼火のように青い火をゆらしている。


 竜人や鳥のようなのや、以前に見た獣のような出門さまの姿をした甲冑かっちゅうが、ろうかに一対ずつ、むきあって立っている。彫像かと思えば、なかみが入っているらしい。艶珠さまたちが前を通ると、ひざまずいた。竜のお城の者たちとは、ずいぶん違う。


 艶珠さまがうなずいた。

「そりゃそうさ。ここは王城。闇の王の目のとどく範囲だ。めったなことはできない。魔王は代々の王の魔力を受け継ぐからね。その力は絶大なんだ」


 家臣も恐れる王ということか。

 先生のお父上は、いったい、どんなおかたなのだろう?


 それにしても照美さまは浮かない顔つきをしている。


「エンデュミオン。そなたを送ったことで、わらわの役目はすんだ。わらわは帰る」


「父上に会ってはいかれませんか?」

「何が悲しゅうて、あやつの顔など見ねばならん。あれはなぁ、昔から、わらわの気に入りの娘をかたはしから横取りしていくのじゃ。いまいましい」


「趣味があうのでしょう?」

「おお。趣味はな。あいすぎて困る」


「いっそのこと、もう一人、王子を生んでおいてはいかがです? 今度は、お二人の趣味にあう子どもができるかもしれませんよ」


「うーん。ゾッとせん話だが、プロメテウスに万一のことあれば、いたしかたなきか。

 竜族の長姫に生まれた日より、いずれ王の妃となる覚悟はしていた。が、それが、よもや、蛇神の生んだ、あれとは思わなんだ。

 蛇の子じゃと言うて、幼時にイジメておったこと、あれもおぼえておるらしいてな。水責め。逆さづり。尻尾に結び玉をこさえるなどしたものよ。まだ人型もとれぬ子蛇のころのことだが、蛇は執念深いゆえなぁ」


 艶珠さまは大笑いしている。

「それは初耳です。夫婦仲に亀裂を生じさせる事実ではありますね!」


 要するに、先生のお父上と母上も政略結婚なのだ。

 だから、自分の生んだ子どものことなのに、照美さまは先生に冷たいのかもしれない。


 と、春が考えていると、くるりと照美さまがふりかえった。


「それは違うな。わらわとて、プロメテウスに不満があるわけではない。魔力も強く、王太子にもなった。竜の長となるには申しぶんなき王子よ。ただ欲を言えば、今少し竜らしくともよかったのう。性根と言い、容姿と言い」


 艶珠さまが何かを思いうかべるような目つきで、つぶやく。


「兄上は、父上似ですからね」

「あれは蛇の子よ」と、照美さまは吐きすてるように言った。


「生んでやった恩もあるものか。子どもの時分より、いつも陰気な目で、わらわをにらみおる。ほんに、ザディアスの幼きころにそっくりじゃ。

 せめて、エピメテウスがもう少し、できた子なれば、よかったのじゃが。エピメテウスは竜らしい、よい子じゃ。容貌もせっかく美しく生まれてきたものを、どういうわけか思いのほか魔力とぼしく。わらわと王の子であるに、ふしぎなものよ」


 口調に母親らしい情愛がこもっている。照美さまは、英助さんが可愛くてしかたないらしい。

 その愛情の半分も、先生にむけてくれればよいのに。


「——むう。話しているうちに広間に来てしまったではないか。いたしかたない。腹をくくって三百年ぶりに、わが夫と会ってみようではないか」

「私も……父上に会うの、ひさしぶりですよ。ずっと、マテリアルワールドで消失点を探していたので」


 およそ恥じらいなんて持っていそうもない艶珠さまだが、このときは、どういうわけか、ぽっと頰を桜色に染めた。


 あれ?——と思ったが、春たちの前には見あげるほど巨大な観音扉が立ちはだかっている。

 あまりにも巨大で、そして、身のすくむような圧迫感がある。圧倒されて、春は、ほかのことなど考えていられなくなった。


 扉の前に、ヤリを交差させてかまえる門番がいた。

 艶珠さまたちの姿を見ると、無言で両扉をひらいた。


 漆黒しっこくの扉がひらくと、なかから、なんとも言えない冷気がただよってくる。


    

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