六章 ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 2—1

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 稲妻が暗闇をひきさいていったあと、竜たちの咆哮ほうこうは、ピタリとやんだ。

 ばかりか、はっきりと恐怖の表情になって、その場にひざまずく。その場所がない者は仲間の上におりかさなってでも平伏した。


「何をさわいでおるか。わらわのもとまで届いておるわ。この、うつけ者めらが!」


 かがり火に照らされて、そこに一人の女が立っていた。


 春は、また、あっけにとられた。

 いったい、なんだというのか?

 なぜ、この国では、同じ顔の人ばかりいるのだろう?


 唐人のような赤い着物にをまとい、その上から黒い袈裟けさを身につけた女。


 年は人間なら三十五、六。

 伸ばした爪を赤く染め、黒髪を長く背中に流している。

 その美しいおもては、まちがいなく先生だ。一瞬、先生が女装しているのかと思った。が、よく見れば、先生より骨組みは細い。もしも先生が女に生まれていれば、こうだったろうという美女だ。


「なんじゃ、エンデュミオン。そちか。わらわの城で男をあさるなと言っておろう。したが、本日はまた、いちだんと愛らしいな」

「ありがとう。伯母上。でも、今日は遊びで来たわけじゃありません。大事な話があるのです。ここでは、ちょっと」


 艶珠さまが先生そっくりの美女に近づいていく。たもとをにぎった春も、金魚のフンみたいに、ひきずられていく。

 近くで見ると、ますます先生に似ている。女性にしては大柄で中性的な感じがする。


 美女は少女姿の艶珠さまを、両手で、ひょいとかかえあげた。


「ういやつよ。わらわの寝所へまいれ。本日はオマケもついてきておるのう。土産か?」


 春を見ながら言うので、艶珠さまは笑いだした。

「やっぱり親子ですね。エピメテウス兄上と同じことをおっしゃる。ともかく、伯母上の部屋へ行きましょう」


 すると、ひゅッと目の前の景色が動いた。

 次の瞬間、春は別の場所にいた。

 まわりの景色が紙芝居をめくったように変わったのだ。それが転移魔法だと教えられたのは、のちになってからだ。


 そこは、おそらく、この城のなかで、もっとも華麗な部屋だ。

 壁には豪華な錦の織物がかけられ、毛氈もうせんの敷物が敷かれていた。朱塗りのあざやかな長椅子や卓も置かれていた。

 置物の数々も手のこんだものだ。

 竜をかたどった燭台や香炉こうろが、東洋のふんいきをただよわせている。


 室内には先客がいた。英助さんだ。


「ああッ、ひどいぜ。母上。エンデュミオンは、おれが……」


 美女は艶珠さまをおろして鼻先で笑う。


「かるくあしらわれたのが悔しゅうて、母のもとへ尻尾をまいて逃げてきたのであろう? 坊主。そなたには、エンデュミオンは御せぬ。深入りするでない」

「そういう母上だって、親父に知れたら、ただじゃすまないぜ?」

「なぁに。竜族を敵にまわすほど、あれは愚かではない。のう、エンデュミオン?」


 なんだか、みんなで艶珠さまのとりあいをしているようだ。


 あれは闇の民の描く理想の美だ。闇の民は本能的にエンデュミオンを求めてしまう——と、以前、先生が言っていた。

 この世界では、艶珠さまを愛さない者はいない。つまりは、そういうことなのだ。


 艶珠さまは当然の顔をして微笑している。


「二人にとりあってもらって嬉しいですよ。急ぎでなければ、ゆっくり再会を楽しみたいところですが」

「おお、そうであったのう。何用じゃ?」

「ええ。例の件で——春。こちらが、テミス伯母上。先代黒竜王の王女にして、わが父上の姉であり、第一王妃でもある。おまえの好きなプロメテウス兄上の母上だ」


 なんとなく、そうではないかと思っていたが、やはり、そうだった。

 このかたが先生の母上。どうりで、そっくりだ。


 それにしても、このかたは今の王さまの姉であり妃でもあるという。

 先生が弟の艶珠さまを好きという時点で、おかしいなとは思っていたが、闇の国では、ふつうらしい。人間の倫理観が通用しない世界なのだ。


 そういえば、艶珠さまの好きな人は誰なのだろう?


 春が考えているあいだに、美しい魔性たちは話を進めていた。


「何? プロメテウスが、あちらの世界に?」

「はい。それで大至急、父上に報告に行かないといけなくて」


 先生の母君が、男性のように両腕を組む。


「キーマンを助けて、みずからが落ちたか。あれらしくもない。そつのないことだけが、あれの長所であったに、つまらん失態をしたものだな。人間の世界で長く暮らしすぎたのではないか?」


 彼らのあいだでは言葉が必要ないのか、いつのまにか話が伝わっている。きっとまた、心を読む術を使ったのだろう。


 艶珠さまは肩をすくめた。


「多少、そんなところもありましたけどね。私の責任も一部ありますので、強くは責められません」

「しかし、あれに死なれると、王城に帰らねばならなくなるではないか。せっかく王妃の役目は果たしたものを。今さら、もう一人、王子を生むのなぞ、わらわはゴメンだぞ」


 実の母だというのに冷たい。

 英助さんにいたっては大笑いしている。


「あの兄貴でもドジふむんだな! 清々するぜ。いっつも、王子だからって、おれのことバカにしやがって。ザマミロ。王太子さま、消滅の危機だ!」


 母君——テミなんとかさまだから、照美さまと呼ぼうと、春は考えた——は、難しい顔つきだ。


「笑っている場合ではない。あれが敵方となれば、ちと、やっかいじゃ。いっそ、その前に殺してしまおうか」


 冗談でもないようすで、つぶやく。

 艶珠さまは、もっと実際的だ。


「でも、それじゃ、誰が殺しに行くんですか? むこうの世界まで? 私はイヤですからね」


 聞いているうちに、春は胸がしめつけられた。


(誰もセンセの心配しはらへん……)


 春は先生の胸にすくっている深い孤独のわけが、やっとわかったような気がした。

 一族の城で同胞と暮らしていながら、なぜ、先生一人が離れていたのか。


 気高い孤高の月。

 あの峰々を見おろす山頂の部屋から、先生は毎日、どんな思いで月を見たのだろうか。

 世界中に自分しか存在しないような、静寂のなかで。


「うちが……うちがセンセを助けます! 殺すなんて言わんといてください! そんなん、ありまりセンセが、かわいそうどす」


 ぼろぼろ涙をこぼして、春が訴えると、三匹の魔性は、いっせいにふりかえった。目を細めて、春の涙をながめている。


 ふふ、と笑いながら、照美さまが近よってきた。


「何も泣くことはあるまいに。われらの弱いところをついてきおる」


    

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