六章 ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 1—3


 不安なのは先生に会えないからだ。


 今このときにも先生が消えかけていると言っていたくせに、どうしても本気で心配しているようには見えない艶珠さまの態度のせい。


 艶珠さまは春をつれて、ろうかを歩いていく。

 ときおり、緑色の月光が窓からさしこむ。闇の濃い城内の、悪夢のような情景のせい。


 がらんとした広い部屋と、複雑に入りくむ廊下だけが続く。あいかわらず家具はなく、西洋の竜だという、あの生き物の彫像だけが、番兵のように立っている。


 艶珠さまは階段を見つけてはおりていく。地下の竜人たちが集まっているという場所へむかっているのだ。


 地下におりるにしたがって、緑の光は入ってこなくなった。真っ暗闇のはずなのに、ぼんやりと、まわりが見える。艶珠さまの魔法のおかげだろうか。下に行くほど、たしかに、あたたかくなってくる。


「もうすぐ、たまり場に出るな。春、おまえは私から離れるな。竜人は礼節を重んじるほうだが、人間が好物であることに変わりはない。はぐれたら、命はないと思え」

「は——はい」


 あわてて艶珠さまの振袖のたもとをにぎりしめた。


 巨大な一枚岩をくりぬいたような、つぎめのない石の階段を、片手で艶珠さまの袖をにぎり、片手で壁をさぐりながら、おりていく。


 そのさきが明るい。

 火がたかれているせいらしい。

 ゆらゆらと炎かゆれて、異様な形に影が伸びる。


 おりたさきには、岩の柱で四方を支えられた、広い一室。

 部屋の中央には赤々と燃える、かがり火。

 天井にも、あんどんのようなものが、いくつか、さがっている。こっちは生き物の頭がい骨を燭台しょくだいにしたものだ。


 広間をよこぎり、真正面に黒い口があいている。そのむこうは、さらに下り階段のようだ。


 だが、この広間は無人ではない。

 これが竜人というものだろう。

 形は人間に似ているが、全体に体が大きくて、トカゲのような頭、全身が、かたいウロコでおおわれている。


 そういうものが床にたくさん、よこたわって、広間は足のふみ場もない。


「こういうところで寝てるのは、自分の部屋を持てない下っぱさ。しかし、私も竜城のなかは、くわしいわけじゃない。一匹、案内のために起こそうか」


 そう言って、艶珠さまは、足元で眠っている少年くらいの竜人の頭をおぼこでけった。

 人間なら少なくともケガはまぬがれない勢いだったが、少年は「うーん」とうなって、そのまま寝返りを打った。このくらいのことは毎日のざこ寝でなれているのかもしれない。


 むっと麗しいおもてをしかめた艶珠さまは、これでもかと少年の背中をけりたおす。


「艶珠さま。そこまで、せえへんでも……」

「なんで? おまえだって、英助のこと下駄でなぐったじゃない」


 春は赤面する思いだ。


「あ、あれは、センセにそっくりやのに、あんまし下品やから……せやけど、うちは一つでしたえ」

「竜人は頑丈だから、このくらい虫に刺されたみたいなものさ。人間が百回、死ぬくらいの衝撃でも、こいつらは平気——ほら、起きた」


 艶珠さまの言葉どおりだ。


「誰だい? こんな時間に」と、ブツブツ言いながら少年は起きてくる。痛がってるようすはない。


 少年は目の前の艶珠さまを見て、とびあがるほど、おどろいた。


「え——エンデュミオンさまッ?」

「しいッ。声が大きい。私を竜泉の間まで案内してくれ。あそこまで行けば、あとはわかる」


「あ……うわ、ぼく、感激です。ああ、ほんとに、なんてお美しいんだろう。第九王子さまを間近で見られるなんて……」

「私が美しいことくらい知っている。声が大きいと言っているだろう」


 が、そのときには遅かった。

 とたんに周囲で、いくつかの頭が、ピョコピョコと、はね起きた。


「なにッ? 第九王子?」

「エンデュミオンさまだって?」

「ああッ! エンデュミオンさまだ!」


 さらに、その声を聞きつけて広間中の竜たちが目をさます。


「エンデュミオンさま!」

「なんてキレイなんだ! 女の姿もたまらん!」

「なんでもお命じくださいィィー!」

「第九王子、バンザイ!」


 あっというまに、艶珠さまのまわりに、より集まってきた。ぎゅうぎゅう、つめてくるので、たもとにひっついている春は、のしイカの気分だ。艶珠さまは、さしずめ魔界の千両役者らしい。


「静かにしろ。おまえたちに用はない。振袖が汚れるじゃないか。ひっつくな」


 艶珠さまが邪険にすればするほど、まわりの竜たちは興奮してくる。雄たけびをあげるので、春は八つ裂きにされるのではないかと、本気で恐ろしくなった。

 しかもウワサが広まっていくのか、広間の外からも、どんどん集まってくる。


「艶珠さま。どないしはるん? うち、恐ろしい」

「べつに、かみつきはしないさ。竜城は遠いから、めったに、ここまでは来ないからな。どさくさまぎれに私の足にでも接吻したいんだろう。とは言え、さすがに、うるさくなってきたなぁ。しょうがない。ここは一発、魔法で——」


 艶珠さまが、片手をあげようとしたときだ。


「何事じゃ。静まらぬか!」


 いかづちが広間を青く切りさいた。


    

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