二章 春の夜のゆめばかりなる手枕に
二章 春の夜のゆめばかりなる手枕に 1—1
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二条城は徳川将軍の京での居城である。
二条堀川通に面し、帝の御所から南西に位置する。
二条城のまわりは、越前藩邸、水戸藩邸などの大名の京屋敷、幕府所有の屋敷、役宅、町奉行所などに守られている。いかめしい門と堅固な塀の続く、屋敷町だ。
如月の雪の夜。春が逃げだした場所。
それは、この二条城だ。
行方知れずになった姫とは、春のこと。城での名は、
竜乃は生まれたときから皇室に嫁ぐことが定められていた姫だった。
二百年前、公武合体の日より、幕府は帝の外戚となることを、何より重視した。竜乃の姉たちも何人も宮家に嫁した。
だが、当時、まだ幼かった皇太子の妃に選ばれたのは、生まれたばかりの竜乃だった。重責をになって生まれた姫なのだ。
入内してから公家の世界に早くなじむようにと、数年前から二条城にて花嫁修行のさなかだった。
その姫が、なぜ、下着姿で城をぬけだし、追われる身になったのか——
あの夜、いつものように、春は本丸の奥の間で眠っていた。春の寝間のとなりには、ふすまの向こうに腰元が数名ひかえている。いつに変わらぬ夜のはずだった。
真夜中。
おそらく、丑の刻に入るころだったろう。
ふと目がさめると枕元に人が立っていた。
春は心臓が止まりそうになった。
人影は
刺客だ。
そう理解したとき、春は落ちつきをとりもどした。こういうことが起こる立場だということは、とっくに覚悟していた。
それに、こんなことを言うのは恐れ多いが、いつか皇太子に嫁ぎ、のちには皇后になるだなんて、春には重荷でならなかった。
自分は、それほど器の大きい女じゃないということは、誰よりもよくわかっていた。これでやっと重責から逃れられる。
とっさに、そう考えた。
刺客のほうも、とまどっている。
息の根を止めようとしたやさきに標的と目があい、そのくせ、逃げようとも助けを呼ぼうともしないのだから、困惑するのは当然かもしれない。
しばらく、春と刺客は闇のなかで、にらみあっていた。
やがて、根負けしたのは刺客のほうだった。ふうと大きく、ため息を吐きだす。
「変なお姫さまだね。どうして助けを呼ばないんだい?」
そういう声は、若い娘だ。
春は、ひやりとした。
となりの間の腰元たちに、その声が聞かれるのではないかと思って。
「心配ないよ。ひかえの間の女たちには、眠り薬をかがしてある。朝まで目をさまさないよ。ねえ、姫さま。あたし、あんたに恨みはないが、あんたに死んでもらわなけりゃならないんだ。めぐりあわせが悪かったと思って、かんにんしとくれな。ほんとは、あたしだって、こんなことしたくないんだ」
怪しげな刺客だが、声には、ほんとに申しわけなさそうなひびきがある。
自分の命を狙いにきた相手なのに、春は親しい友人と話しているような気がしてきた。
「いえ。いいんです。覚悟はしていました。そのかわり、お願いがあります。できるだけ苦しくないようにしてください」
「こいつは、たまげた。お姫さまなんて人は、みんな、いばりくさってるもんだと思ってたんだが。おとなしくて可愛らしいお姫さまだね。いよいよ、やりにくいじゃないか」
ため息を連発している娘を見ているうちに、春の頭に、ある考えが浮かんだ。すごく名案に思えた。
「もしもですけど、わたしが、ここからいなくなって帰ってこなかったら、どうでしょう? 近ごろ流行りの神かくしと思ってもらえるんじゃありませんか?」
「えっ? ほんとに?——あ、でも、そんなこと言って、あたしをだますつもりじゃないだろうね? 逃げだしたふりして、強そうな侍をたくさん呼んでくるんじゃ?」
「違います。わたし、ここから逃げだして、ふつうの町娘になりたいの」
春はかねてから、自分が重圧に思っていた結婚のことを明かした。
娘はだまって聞いていた。
春が話しおえると、娘は顔をおおっていた頭巾をはずした。
あんどんの光にその顔があらわになったとき、春は目を疑った。娘の顔は、春に瓜二つだった。
「おどろいたかい? あたしも、おどろいたよ。ほんとに、そっくりなんだねぇ。だけど、この顔は、生まれつきのあたしの顔じゃないんだ。あんたにそっくりになるように、セイケイシジツってやつをさせられたんだ。
なぜって? あたしが、あんたになりかわるためさ。貧乏人のあたしが、あんたと入れかわれば、御殿で贅沢ざんまいできるっていうんだよ。顔くらい変えるさ。
本物のお姫さまを殺してでも……と思ってたけど、そうだね。殺さなくてもいいんだ。あたしと、あんたの願いは、真反対だ。あたしはお姫さまに、あんたは町娘になりたい。このまま、入れかわっちまえばいいんだよ」
「入れかわる。わたしと、あなたが……」
「それがいいよ。あんたが逃げだすのに、あたしが手助けするからさ。あたしの仲間が首尾をたしかめに来るまでに、何もかも終わらせとかなけりゃ」
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