一章 めぐりあひて見しや それともわかぬまに 2—3


 みんなの視線は先生と紅毛さんに釘づけだ。

 春は誰にも知られることなく、ひっぱられていった。人目のない細い路地につれこまれた。


「探したぞ。お咲」


 地味ななりの浪人風の男だ。

 その呼びかたから、先日の追っ手の仲間だとわかる。


「どういうつもりだ。あの大事なときに逃げだすとは。よもや我らより、まこと逃げおおせるとでも思ったのか?」

「…………」


「死体をまのあたりにして、おじけづいたとでも申すか? それほど、やわなおぬしでもあるまい。まあよい。死体は我らで始末しておいた。城内の者は、姫は行方知らずと思うておる。今ならば、まだまにあう」

「…………」


 春は逃げ道を探して視線をさまよわせた。

 見れば、路地の反対側からも男が現れ、退路をふさぐ。両側は高い塀。前後をはさまれて、逃げようがない。


(もう、あかん。見つかってしもた。この人たち、うちがセンセとおるところを見とったんや。ここで逃げても、すぐに居場所つきとめられる)


 先生は名の知れた医者だ。

 住所を探しあてるのは、かんたんだろう。


 もしも、たずねてこられたら——


 そんなことになれば、先生や糸屋の人たちに、どんな危害がおよぶかわからない。まきこむわけにはいかない。ここで、この男たちについていくしかあるまい。


(センセ。もう少し、そばにいたかった……)


 春は力なく、うなだれた。

 両手をつかまれ、つれられていく。


(それにしても、この人、変なこと言うてたわ。死体が、どうとか……姫の死体? まさか、あの子のことやろか? あの子、死んでしもたん? なんでやのん?)


 この男たちは、たぶん、春が殺したと思っているのだろう。さっきの口調から察すると、そのようだ。

 ということは、男たちも誰が殺したのかを知らない。


 いったい誰が殺したのか?

 しかも、それは、あの娘を春ではないと気づいてのことか、春だと思ってのことなのか、そこが大きな問題だ。


(誰が敵で、誰が味方なんか、もうわかれへん)


 しょんぼりしながら、肩を押されて歩いていく。


 それは長い時間ではなかった。

 いくらも行かないうちに異変は起こった。

 あの音だ。虫の羽音のような、ぶきみなひびき。それから、かすかな男の声も……。



 ——……ほ。おいで。



 ふうっと夢のなかを歩いているような心地になった。


 あたりが白一色の無の世界になる。

 数歩さきの空中に、もやもやした灰色のかたまりが浮かぶ。それは、みるみるうちに大きくなった。晴れた空に暗雲がたちこめていくように、またたくまに。雲のなかから、人影がすけて見えた。



 ——おいで。



(センセやのん?)


 なぜ、そう思ったのかはわからない。

 むしょうに、なつかしいような気がした。


 春はさしだされた手をとろうとした。

 そのとたん、耳元で、すさまじい悲鳴が聞こえてきた。

 我に返ると、春を押さえていた手がない。両側にいた二人の男は、大量の白カビのようなものにまといつかれ、足元でころげまわっていた。

 白カビの表面は、ときおり葛餅くずもちのようになる。半透明な寒天状のその下に、ピンク色の内臓や、赤い筋みたいなものが、ちらりと見えた。


 春は悲鳴をあげて、しりもちをついた。腰がぬけてしまって動けない。


 白カビにたかられた二人の男は、カビが伝染したように黒く変色し、その部分から朽木のように、なえていく。


 春は、ぼうぜんと見つめた。

 ほかに、どうすることもできない。


 男たちの手や足がミイラのように、しわだらけになってしぼんでいき、白カビのなかに溶けて消えていく。


 これは夢。そう。夢なんや——


 自分に言い聞かせているうちに、白カビは泡のようになって見えなくなった。


 あとには腰をぬかした春が、しゃがみこんでいるばかりだ。


「——春! そこか?」


 走りよる足音が聞こえる。

 先生だ。竜羽先生が来てくれた……。


 その人の顔を見て、春は意識を失った。

    

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