一章 めぐりあひて見しや それともわかぬまに 2—2


「先生、紅毛のお人の血が入ってますのん?」

「そうだな。生まれは、あちらのほうになる」

「え? ほんまに? でも、センセは、きれいな切れ長の目してはるし、紅毛のお人とも、ちごてるみたいやけど」


 彫りは深いが、西洋人にくらべると骨格が優しい。しいて言うなら、東洋と西洋のあいだ。


「はーふ、ちゅうもんですのん?」

「そんなところか。まあ、純粋な血ではない」


 春はおどろいた。

 が、日本は鎖国していると言っても、長崎、神戸、横浜などのいくつかの港はひらいている。


 昔は、その対応をしていたのは幕府だった。

 二百年前から、それをおこなうのが出門さまに変わっただけだ。


 外国人は出門さまのつきそいなしには、港から外へは出られない。

 つまり、国内国外、どちらの人間にとっても恐怖の対象である者が監視についているので、両者のあいだには、ちょくせつの交流や摩擦まさつが生じない。


 日本はまるごと一国、ディーモンの魔力で、十九世紀のまま時間を止められている。


 もちろん、春には、そこまでの知識はない。だが、外国の外交官などが一部、許可を得て国内に滞在していることは知っていた。


 外交官は、たいてい男だ。

 きっと、先生は外交官の父と日本人の母のあいだに生まれたのだろう。


(お父はんは任期を終えて、母国に帰らはったんやな。お母はんは亡うならはったんやろか。それとも、郷里で待ってはるんやろか。どっちゃにしても、家族運の薄いお人……)


 きゅん、と母性愛をつのらせる春だった。


 そんな春を先生は笑いながら見おろしている。ちょっと意地悪く見える、あの笑みで。


 春たちは四条大橋のたもとまで来た。

 八坂神社むかって東に折れる。

 茶屋や揚屋のならぶ通りに、舞妓や芸子の姿がちらつく。玄人くろうとの美人が、ちらちらと先生をふりかえっていくのが、春は嬉しかった。


「センセ、飴屋がありますえ」

「買ってやろう」

「おおきに! センセもお一つ、どないどす?」

「私はいい。にぎってないで、食べてはどうだ?」

「うふふ。甘い」


 祇園小石のさくら飴。

 一つほおばって、身も心もとろけそうに甘いのは、先生といるからだ。


 ところが、そのとき、通りが緊迫した。

 遠くのほうから、うしおのように、ざわざわと、さざめきが聞こえる。押し殺した声が、通りを行きかう人々のなかに飛び火した。


「出門さまや」

「出門さまのおでましや。目ぇあわしたら、あかん」


 ざわめきは一瞬で静寂に変わった。

 通りを歩いていた人々は、二手にわかれて、一番近い建物の軒下にへばりつく。カゴも全部、路肩によせられ、人々は押しだまった。


 その異常な沈黙のなか、ガラガラと車輪の音をさせて、二台の人力車が近づいてくる。

 一台めは紅毛碧眼の外人さんを乗せている。そのうしろには、黒髪だけど肌の浅黒い南蛮さんが乗っている。あんずの実のような大きな目の男の南蛮さんは、堂々としたものだ。


 が、赤い髪の人は、こわばった表情をしていた。紅毛さんの車の両側に、雲つくような巨大な出門さまが一人ずつ、ついて歩いているのだ。これは異国の人だって、怖い。


 通りの人々も、誰一人、そっちを見ようとしない。


 だが、うっかり春は見てしまった。

 先生の背中にかくれていたのだが、もう通りすぎたかと、つい顔をあげてしまった。


 出門さまを見るのは初めてだ。

 恐ろしいとは聞いていたが、ほんとに、見た瞬間に全身の毛がさかだった。


 身の丈は八尺——いや、九尺はある。以前、先生に教えてもらったメートル法というので言えば、二メートル半から三メートルだ。

 くろがねのような黒光りする硬質の肌をして、りゅうりゅうと筋肉が盛りあがっていた。二の腕の太さなんて、春の腰くらいある。


 一人は獅子頭のような頭の両側からツノを生やし、一人はツノのかわりに牙がつきだした象の頭をしている。双眸は赤く光り、まさに鬼とも物の怪ともいうべきしろものだ。


 ひとめ見たきり、春はあわてて先生の背中に顔を押しつけた。

 早く通りすぎてくれますようにと念じていたのに、どうしたことか、人力車が止まった。春たちの目の前でだ。


 周囲の人たちが、サッと遠ざかっていく。

 春だって逃げだしたい。

 しかし、そうもいかない。


 人力車から降りた紅毛さんが、こっちにむかって、まっすぐ歩いてくる。こうふんして、あちらの言葉をしゃべりながら、先生の手を両手でにぎりしめた。


 先生は初め、迷惑そうなそぶりをしていた。でも、途中であきらめたようだ。何語とも知れぬ言葉を、すらすらと話しだす。


 春は二度ビックリだ。

 とは言え、よく考えれば、先生は蘭学者なのだから蘭語に通じているのは、あたりまえだ。それに、父上がむこうの人なら、なおのこと。


 それよりも、恐ろしいのは出門さまだ。赤い目をピカピカ光らせながら、じっと、こっちを見ている。


 あまりの恐ろしさに、春はあとずさった。先生から離れるつもりはなかったものの、いつのまにか、背中にすがっていた手を離してしまった。


 それがいけなかった。

 出門さまをさけるうちに、思いのほか、うしろまで後退していたようだ。

 ふいに背後から手をつかまれ、春は口をふさがれた。

    

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