41 “首輪”
目を開くと、石造り・・・いや、岩盤を掘り抜き、美しく磨き上げられた天井と、そこから下がる控えめな装飾の燭台が目に入る。
「局長殿がお目覚めだな」
「大丈夫か?」
僕が声の方へ頭を向けると、低いテーブルを挟んだ逆側には、銀の杯を片手に微笑むオズボーン。頭に手を当てながら起き上がると、ソファの左右にベルタとフウ。ミオは歩き回りながら部屋の調度品を興味深げに見ていた。ここは王城の・・・応接室かどこかか。
「あー、局長?」
頭が回らない。陛下も最後に何か仰っていたような気がしたが。オズボーンが杯を傾け、話を続ける。
「先程上から話があった。彼女らには軽く話しておいたが・・・来月の王会議で、法的な制約の少ない、国王直属の捜査機関の新設について審議される見通しだ。陛下直々の提案だ。通らない道理はない。局長はきみ。衛兵司令部次長を拝命した俺が、司令部との橋渡しとなるだろう」
衛兵司令部次長・・・そういえば、オズボーンの軍服の装飾が、少し豪華になっていることに気がつく。
「ああ、昇進したのか。おめでとう」
「どうも。まあ・・・きみは一気に俺と肩を並べてしまったわけだがね。階級は百人隊長相当だそうだ」
「首に縄をかけられただけだ・・・」
法的制約の少ない、国王直属の捜査機関。嫌な予感しかしない単語ではあるが、もはや拒否権もない。
「・・・“これから会う人間を信用するな”って、本院の連中のことだったのか?」
僕は気になっていたことを切り出す。
「彼らは、君たちを拷問にかけてでも情報を聞き出すよう、陛下に掛け合っていたらしい。こうして無傷で
顔が歪み、ぞわっと背中を戦慄が走る。やはり受け答えによっては、今ここではなく、全員仲良く地下牢で磔になっていた可能性もあったのか。
「・・・ひどく難しい立場に置かれたようだな」
すべてさらけ出して相談したい・・・ところではあるが、彼を道連れにするわけにもいくまい。うっかり彼からもらったアドバイスのことを口にしてしまったが、ここでの会話ですら、誰に聞かれているかわかったもんじゃない。
「そうだな、細かくは言えないけど・・・ともかく、これからよろしく頼むよ。多分僕らの明確な味方は、
それどころか実際は、本当に彼が僕らの味方なのかどうかすら、確信が持てない。
「ああ・・・アルフォンソ様に相談したい」
「アルフォンソ・・・テオ・エルシダ卿?知り合いなのか?」
僕の口から漏れた言葉をオズボーンは聞き逃さなかった。彼にはフルネームを教えていなかったか。迂闊だった。・・・でもまあ、このへんは調べれば誰でもすぐにわかる話だ。隠すこともないか。
「僕の、育ての親だ」
「・・・東方も今、大きく動いているぞ。アルフォンソ殿は長男のサヴィア殿に爵位を譲り、引退されるそうだ」
「サヴィア兄さんに?このタイミングでか?いや、だからこそか・・・」
「兄さん?」
フウが会話に割って入ってくる。
「ああ、昔そう呼んでただけだ。サヴィア・エト・エルシダ・・・爵位を継いだ後は“テオ”だな。アルフォンソ様の長男。小さい頃は歳の離れた兄弟のように育ったけど、僕が九歳の時に彼は王都の学院へ行き、それ以来会ってない。そのまま近衛騎士団・・・今の禁衛隊に入ったと聞いていたけど」
「・・・国王派貴族筆頭の引退か。このまま行けば、派閥も自然消滅だな。私たちの知らぬ間に、大勢は決していたようだ」
ベルタが現状を分析する。兄さんは近衛という立場上、派閥云々よりは現王との関係が強かろう。アルフォンソ様は派閥の保持より家の存続を選んだということになるか。タイミングから考えて王による根回しもあったのだろう。今はっきりわかった。陛下は、間違っても暗君なんてタイプじゃない。きわめて鮮やかな手際で、早くも体制の地盤を固めつつある。僕らの件も、その流れの一つなのだろう。全体像がだいぶ見えてきたな。
「・・・さて。実務的な話は、実際に捜査機関の設立が近づいてからすることになるだろう。それじゃ、俺はそろそろ失礼するよ。こう見えて、結構忙しいんだ」
「知らせてくれて助かった。ありがとう」
僕は立ち上がりオズボーンと握手を交わした。頼むぞ。あなただけは、裏切ってくれるなよ。
──────────
「それにしても、ベルタがお姫様だったなんてね」
フウが軽いため息交じりに言うと、ベルタは気まずそうに視線を逸らした。そんな彼女を見て、僕は王の話を思い出し、今更腹が立ってきた。
「・・・僕はとんだ大馬鹿だったよ。ここまで、自分の能力と機転でやってこられたものとばかり思っていた。多少おかしいと感じてはいたが、順調過ぎたんだ」
銀の杯に入った、ぬるく不味い水を飲み干す。
「現役の北方領主と王族の娘が属するヴィジルの一班・・・。傍からは貴族様のお戯れ、ごっこ遊びにしか見えなかっただろうな。恐らくは魔導院の依頼から、特務に至るまで。試され、誘導されてたとも知らずに、良い気になってただけだ。畜生め。人の掌の上で踊るのが、これほど不愉快だとはな」
ベルタは立ち上がり、僕に強めの口調で言う。
「ユリエル。きみは班の先頭に立ち、私たちと共に歩き、目的を達成した。そこに何者かの思惑が──」
「お前の、従兄上の、思惑が、だろう。ベルティリア・エル・ラムゼア。南東国境付近、ラムゼアを治める分家。父上は前王の王弟だったか?道理で見たことがあるはずだよ」
ベルタは言葉を詰まらせ、その顔を顰め、歯を食いしばる。フウが怒りの滲む口調で僕を止める。
「ちょっと、やめなさいよ」
「お前は悔しくないのか!僕らは!王家の連中にいいように利用されていたんだぞ!今度設立される捜査機関だって、聞こえはいいだろうが、どうせ碌なもんじゃない!汚れ仕事専門の工作機関だ!手を汚すだけ汚して、用が済んだら最後に消される!クソのような捨て駒なんだよ!」
「ユリエル、あなた・・・!」
堪えられなくなったのか、ベルタは足早に部屋を立ち去る。
「べーやん!」
ミオの呼び声にも振り向かず、ドアを荒々しく閉めるベルタ。僕は言いたいことを言い切った開放感と、胸が焼け付くような罪悪感の入り交じる中、床に杯を叩きつけた。
──────────
・・・しばらくし、フウが口を開く。予想外の、優しい口調で。
「・・・すっきりした?」
「あー・・・。どうでも、良くなった、かな」
「ユリちゃん・・・」
今はもう何も考えたくない。ソファに身体を預け、天井を見上げる。そんな僕の姿を見て、フウは立ち上がる。
「ふーちゃん、どこ行くの?」
「ベルタのとこ。追いかけないとまずいでしょ。本当はこいつに行かせたかったけど・・・おひッ!」
フウがドアを開け、奇妙な悲鳴を漏らす。そっちへ目をやると、ドアのすぐ外にベルタが立っていた。
「・・・べ、ベルタ?」
彼女は少し挙動不審に視線を泳がせ、小さい声で言った。
「・・・いや、あの・・・出ていったものの・・・行くあてもなくて、その・・・」
・・・戻ってきちゃったのか。
「・・・なにそれ。ふふっ」
フウが笑う。流れで僕も思わず吹き出す。そのうち抑えられなくなり、みんな大声で笑う。仲間割れの時ですら、どうしてこう、僕らは格好がつかないんだろう。なんだかな。
「はは・・・はぁ・・・あー・・・ベルタ!悪い、本当に悪かった!お前に当たるのは筋違いだ。お前は家を捨てたと、陛下は言っていた。関係あるはずがない。わかってたのに止められなかった・・・」
僕はその勢いで、彼女に謝る。目を閉じ、苦笑するベルタ。
「・・・私こそ、他人事のように話すべきではなかった。少し・・・説明、させてくれ」
──────────
ベルタは、淡々と自分の家と生まれについて話してくれた。
ラムゼア家。かつての王弟が、王太子ベルトラムの出生を機に王位継承権を放棄し、南東の国境に近い小領に封ぜられた分家。国境近い領地というのも、元々アシハラへ特使として幾度か派遣されていたこともあり、二国間の調整役としての働きを期待されてのものだ。
「私は六年前、十五の時、
よくある手だな。言うことを聞かない相手に娘を与え、一族に組み入れてしまう。
「それがイヤだったの?」
ミオの言葉に、ベルタはふっと口端を緩める。彼女はミオの頭を撫でながら言葉を続けた。
「顔を見たこともない相手だ。嫌だと思えるほどにも相手を知らない。ただ・・・怖くなったんだ。それまで考えたこともなかったのに、結婚が決まった途端、唐突に怖ろしくてたまらなくなった。私の人生が、私の知らない場所で、私の知らない者たちに決められていくことが。どうしようもなく、な」
彼女は目を閉じ、一息つく。
「・・・私は逃げ出した。父が特使をしていた頃の割符を使ってアシハラの関所を越え、以前入門させられた道場に転がり込んだ。しばらくして、王都と南方領の内戦が始まる。私のせいで戦争が始まってしまったと、あのときは塞ぎ込んだよ」
軍を送り込んだのは王都のほうだが、それはエラニア内での独立議論の再燃を受けてのこと。確かに内戦の原因のひとつとして数えるに不足のない内容だ。それがたとえ、本来の目的を隠すための大義名分に使われただけだったとしても。
「師範は言った。自分の目で、自分が起こしてしまった事態の結果を確かめろ、と。私は師範と一緒にアシハラで編成された義勇軍に入り、エラニアへ行った。議長は・・・自軍の麾下に逃げ出した息子の婚約者がいるなどとは、夢にも思っていなかっただろうな」
ベルタは皮肉っぽく微笑う。エラニアは王国に編入される以前から、アシハラと良好な関係を保っている。王国は外交上その関係を利用していたが、いざエラニアと事を構えた時、アシハラが南方側に加勢するのは自明の理だった。
「内戦が終わったあとも、家に帰ることは出来なかった。その上、持っていた割符はもう使えなくなっていて、国境は越えられなくなった。それからはエラニアとラムゼア、それにアシハラの国境付近をあてどなく放浪していた。行くべき場所も、帰る場所もなく、迎えてくれる人もいない。ただ孤独の中、剣の腕を磨くことだけが生き甲斐になっていた」
「べーやん・・・」
ミオがその目に涙を浮かべ、ベルタを抱きしめる。ベルタは彼女の肩を抱き寄せながら続けた。
「でも今はこうして、新しい“家族”が出来たんだ。ミオとフウを守ること。今はそれが私のただひとつの生き甲斐だ」
・・・この子は不器用だな。本当に。でも、それでこそベルタだ。フウが肩をすくめ、微笑いながら言う。
「でもね。その、隠さなくても・・・言ってくれても良かったんじゃない?」
ベルタはフウから視線を逸らす。
「私も伝えたほうがいいかもしれないと、何度も思った。でも、私が王族の者だと知れたら・・・」
そうか。ミオとフウを保護した当時であれば、身分が発覚したらまずいことも多いと考えたのも無理はあるまい。ベルタが家に戻された場合、下手を打つとミオとフウの身の安全に直接影響する。
「・・・きみたちに、よそよそしくされてしまうと思って・・・」
「・・・そっちか」
あー、そうだな。もう良く知ってる、こいつはそういう奴だ。
──────────
「・・・ところでコワッパ」
「はいなんでしょう」
・・・この時点でもう嫌な予感がする。僕の勘もだいぶ鍛えられてきたな。
「エルシダ卿って、もしかして娘さんもいる?二人くらい」
「なぜわかっ・・・いや、言うな。聞きたくない。絶対に」
フウの顔がひどく醜く歪む。満面の笑み。
「やっぱり。どうしてあの人格者に育てられて、こんな“難のある性格”に育ったのか。やっと合点がいったわ」
「どういうことだ」
ベルタが興味を示す。勘弁してくれ。
「あなた小さい頃から、ずっとお姉さま方に弄ばれながら育ったんでしょ。おままごとで女の子の役ばっかりさせられたり、かわいい格好させられたり・・・」
横でミオが輝く目で僕を見始める。想像しているな。やめろ。頼む。本当にやめてください。全部図星なんです。
「女っ気がない家庭で無菌育成された童貞は、ちょっと失礼だけどドナテロくんみたいになるわ。こいつは逆に、女性に弄ばれながら育った男特有の女嫌い感がずっと漂ってたのよ。その原因がはっきりしたわね」
「なるほど。ユリエルも大変だったんだな」
ミオが楽しそうに僕の頭を撫でる。僕は真っ赤な顔で俯きながら力なく呟いた。
「・・・どうして、いつも最後にはこうなるんだ・・・」
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