42 “王国の終焉/第一章エピローグ”
──王国暦二〇〇年、二月一日、午後。王都学術区、王都魔導学院、大図書室。
エーリカ・エメ・ルクセンハイザー教授は、どう反応すればいいのか迷うよう視線を逸らし、大きめに一息ついた。
「本当にグシュタールさんが生きて・・・いえ、もはや生きていたと言っていいのか判らないけれど・・・まだ存在していたなんてね」
特務の内容はその全てが機密扱いとなる。ただ、僕はルクセンハイザー教授にだけは、グシュタール教授が失踪したあとどうしていたかを伝えておかねばならないと考えた。
「幸い、直接話をすることが出来ました。事前に聞いていた通り・・・いや、それ以上の方でしたね。いろいろな意味で」
「面白い人だったでしょう」
僕の言葉を聞いたルクセンハイザー教授が微笑む。僕はひとつ、ルクセンハイザー教授に訊きたかったことを思い出す。
「バルトリア博士も、グシュタール教授も正教徒だったようですが・・・」
「私は違うわ」
ルクセンハイザー教授は寂しげに首を振り、視線を中空に投げる。
「昔の話だけど・・・“私の人生は、神の恩寵を理解するためにある”と、あの人は言っていた。でも、彼が魔導を解き明かすたび、それがただの物理現象であることが証明されていき、魔導院と正教の距離が開いていった。あの人は全体を支配する法則そのものが神の御業であると考えていたけれど・・・他は誰一人、そう思わなかった」
教授は少しだけ・・・ああいや、それなりの変人だったが、それ以上に優しい人だった。彼は僕らにひとことも言わなかったが、自らの研究が正教の権威を貶めていくさまを見るのは、さぞ辛いことだったろう。
「・・・ユリエル」
横からベルタが肘でつつく。僕はモノクルを調整し、ベルタの気にする後方を確認した。やはり一人、本棚の陰にいる。心配性だな。わざわざ人を使って見張らせなくたって、僕は機密に抵触する内容をばらまいたりしない。
ルクセンハイザー教授が、ふと真顔に戻る。
「それで、“教授のその後を知ることで発生する可能性のある不利益”というのは?」
「これは僕らが特務を遂行する過程で知り得た事実です。僕は・・・あなたに伝えるため、教授の最期に関してのみ、機密指定を解除するよう“上”に掛け合ったのです。つまり・・・」
「ああ、当局による監視がつく可能性があるのね。こんな引退間際のおばあちゃん、監視してもしょうがないわよ」
教授は笑いながらそう言った。
僕が自ら機密指定の解除を願い出た内容だ。それを誰に伝えようとするか、陛下が把握しておきたいと考えるのもまあ理解できる。僕はグシュタール教授の旧友に、最後の足取りを教えただけだ。問題とは見做されまい。
「それで、あなた方はそんな事態に関わった上で、まだヴィジルのままなのかしら?」
どうにも応えあぐねる。僕は少しだけぼかして伝えることにした。
「あー、その当局に、僕らが就くことになってしまう可能性が・・・」
「・・・苦労してるみたいね」
教授は苦笑いし、肩をすくめた。
──────────
──二時間後、王都中央区、目抜き通り。
僕らは他愛のない話をしながら、東区に向かって歩く。朱が差し込みつつある空を見上げ、フウが言った。
「もうだいぶ陽も傾いてきたわね。ついでにお夕食の買い物してこようかしら。あなたたちは先に帰っといて」
「フウ、私も行く。荷物持ちくらいはさせてくれ」
「それなら、ぼくも・・・」
声をかけるミオに、フウは微笑んで返す。
「たくさんいても邪魔になるだけだわ、ミオはコワッパと帰って休んでなさい」
僕とミオは、買い物に行くフウたちから取り残され、王都を縫う水路にかかる短い橋の上で互いを見つめた。
「帰るか」
僕がミオに言うと、彼女は少し居心地悪そうに微笑い、水路に目を落とす。
「・・・お前が“ハナ”だったときの記憶は、やはり他人事のように感じるか?」
「ううん、違うの。どう・・・説明すればいいのかな」
ミオは欄干に手を添え、呟く。
「ぼくが夢だと思っていたことの多くが、夢じゃなくて現実にあったことだったと思うと、その・・・“境目”?それがよくわからなく、なっちゃって」
なんとなく彼女が言わんとすることを察する。
「・・・僕もお前の治療を決意したときから、ずっと考えてた」
僕もミオの横に並んで・・・みるが、欄干の上に顔が出ない。どうしてこう格好がつかないんだ。まあいい。
「ある個人が認識している世界というものは、本人がそうであると解釈した世界でしかない。誰だって同じだ。そして、それは程度の差こそあれ、現実と完全に同質ではない。その差異を確かめることのできる手段は、他人に訊くことだけだ」
・・・正気と狂気の境目というのは、存外曖昧なものだ。人は自らの目に見えない部分を推論と憶測で補完しながら思考する。それが行き過ぎ、自分の夢や妄想、幻覚幻聴を現実だと確信して行動している人間も、少なからずいることだろう。大変困ったことに、僕自身がそうではないとは決して言い切れない。普通は経験に裏付けられた客観性を以ってそのあたりの
人が自らの発狂を疑ったとき、そうでないことを証明するために取りうる手段というのも、そう多くはない。
ミオの眉間に皺が寄る。彼女は大きく間をあけて、僕に尋ねてきた。
「ぼくが・・・泣いているときに、ユリちゃんが声をかけてくれたの。いないはずの、お姉ちゃんと」
あの治療のことか?欄干を握るミオの手に力が入る。彼女に別人格のハナは認識出来ていなかった・・・はずだが。
「あれは現実?そんなはずがないよね。だって、お姉ちゃんは、ぼくが・・・」
「ミオ」
僕は彼女の手を掴む。
「・・・それが“治療”だったんだ。僕はお前の心に直接干渉して・・・アシハラで発生した事態がお前のせいじゃないことを伝えた。ハナと・・・“お姉ちゃん”と一緒に」
彼女は感情の入り混じった、歪む顔をこちらに向ける。胸が苦しい。僕の目にも涙が滲んでくる。そして僕の頭はその感情の根源を無意識のうちに辿り、武装奴隷商への憎しみへと辿り着く。
「・・・憶えているか。赤毛の大男。黒毛の冷たい目をした男。三人の王国人」
彼女は目を閉じ頷いた。その目端から涙がこぼれる。
「僕と一緒に、あいつらを殺そう」
“復讐は何も生み出さない”。言葉にすることは簡単だし、実際にそうだろう。僕もそう思う。でも、道理の話じゃない。連中は、外の誰でもない僕らの手によって、殺さねばならないんだ。一時的な感情の誤魔化しだろうが、憂さ晴らしだろうが、知ったことか。
今の僕らは王の飼い犬だが、幸い、首輪の札に書かれる役割は“捜査機関”だ。これを使わない手はない。使えるならば、王様だろうが神様だろうが、なんだって使ってやる。
ミオは応えずに、目を潤ませたまま僕の手を強く握った。
──────────
僕らは手をとり、夕焼けの中、家路につく。その帰り道、交差点の広場に人だかりがあった。木製の大きな仮設掲示板の前では、クーリエが大声でお触れを伝える。僕はその内容に、思わず息を呑む。
「ユリエルっ!」
声の方を向くと、ベルタとフウがこちらへ走り寄ってきた。ベルタも汗をかいているが、恐らくは走ったことによるものではないだろう。彼女は深刻な表情で言う。
「・・・えらいことだな。想像以上の早さで状況が変わってきている」
・・・王権の大幅な拡大に議会が応じた。以前なら有り得なかったことだ。以降王は“皇帝”を名乗り、国号は“帝国”に改められる。各領の自治権は大きく制限され、
・・・正直、僕も考えていたことだ。この国はこのままでは南方領から崩れ始める。南方が離反すると、ただでさえ良くない王国の財政状況は極端に悪化する。宗教的に分離された西方領は手放さざるを得なくなるだろう。その過程で飛び地になる辺境領も同じだ。そして北方領はもうなく、残された王都と東方領だけでは、規模的に肩を並べることになる極東や離反した元領地が、今度はそのままこちらへ向く脅威となる。強力な統治体制による引き締め以外に、この状態を解決する手段は・・・僕には、思い浮かばない。
「これから、どうなるのかしらね」
溜息をひとつつき、心を落ち着かせる。フウの言葉に、僕はシニカルに微笑みを返すことしか出来なかった。
「皇帝陛下のみぞ知る、か」
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