40 “悪魔の貌”

──一月二十一日、午後。王都東区、自室。



「・・・くそッ、どうしてこんなことになった」


 何がなんだかわからない。僕らはただ特務の指示どおりにウスデンへ行き、低魔量地帯に対処してきただけだ。王からこのような仕打ちを受ける謂れがない。ベルタが椅子へ深く座り、口を開く。


「はじめから、王の目的は遺産の回収であったと考えるのが自然か」

「そう、だろうな・・・それにしても、こそ泥みたいなやり方で僕らから遺産を掠め取る理由がわからない。立場上、僕らは命令されれば提出せざるを得ない。これじゃ僕らが・・・」


 自分で言った言葉に自分で納得してしまう。そうだな。おそらくは逆、か。


「ああ、畜生。王は僕らに命令しても、状況を考慮して、破棄や隠蔽を行う前に確実な回収方法をとった・・・ってことか。ははっ、はぁ・・・よほど信用されていないんだな」


 乾いた笑いが漏れる。顔を上げると、心配そうな顔でこちらを見るフウとミオが、ベッドに横並びに座っている。僕が次の手を考えていると、ベルタは後悔が入り交じったような、苦々しい表情で僕に言う。


「王都の政治情勢が今、急速に転換シフトしつつあることに、きみは気付いているか」


 今そんなことを話している場合では・・・と少し思ったが、思慮深い彼女が今この話を出すということには、それなりの理由があるのだろう。それにしても、ベルタは貴族の事情にそこまで詳しかったっけか。僕は不思議に思いながら、続きを促す。


「政治情勢・・・貴族間の力関係パワーバランスか?」

「派閥だな。国王と、古くよりそれを支える国王派貴族。諮問機関として設立され、近年では政策提言からいくつかの実務までを執り行う賢人議会と、急進的な彼らに与する議会派貴族。王国貴族は概ねこの二派に分かれて、そのバランスがこの国の政治を安定させていたが・・・即位からこのかた、新王はタイレル卿との個人的な関係を軸に、議会側へと急速に、大きく傾いている」

「政治をする人たちが一丸となるなら、悪いことじゃないんじゃないの?」


 フウが口をはさむ。僕は簡単にそのメリットとデメリットを説明する。


「王と議会の二大巨頭が同じ方向を向くんだ。意思決定は早くなるだろう。しかし、仮に暴走をはじめたとき、押し止める勢力が弱すぎる、あるいはいないということにもなる」

「もうひとつの問題である、王の後ろ盾を失うことになる国王派だな」


 国王派筆頭は、大征服戦争でベルフェリエとともに立ち上がったエルシダの領主・・・アルフォンソ様だ。だんだんとベルタの言いたいことが見えてくる。僕はベルフェリエの嫡子として生まれ、エルシダの食客として育った。特務受注時に触れていたが、王はその生い立ちを全て存じ上げていたようだ。政治なんかにはほとんど興味がなかったが・・・傍から見れば立派な“国王派の子”に見えることだろう。


「なるほどな。何が起ころうとしているのかまではわからないが、少なくとも僕らはその政治の潮流タイドに呑まれつつある、ということか・・・」


 ベルタが重々しく頷く。これは間違いなく王国の問題だ。フウやミオを巻き込むわけにはいかない。僕は椅子から降り、全員に向かって声を上げる。


「幸い旅荷はほとんど解いていない。お前たちは今すぐ、可能な限り早い便で東へ向かい、エルシダ卿の保護を受けるんだ。特務の報告は明日、僕だけで行う」

「そんな、ユリちゃんひとりで・・・!」

「あなた、またわたしたちを・・・!」


 ミオとフウが食い下がる。僕は少し強めの口調で続ける。


「頼む、わかってくれ!僕は自分の生まれなんかのせいで、お前たちをこんな下らない政争に巻き込みたくないんだ!」


 ベルタも立ち上がる。


「・・・私も、ユリエルと行こう。私も王国の家の出だ。この件については、私の責も大きいと思う。フウ。乗合馬車の駅はわかるな。ミオを頼むぞ」


 説得は無駄だと察したのか、フウは数秒押し黙ってから、僕らに言った。


「・・・・・・ひとつだけ、約束して。出来るだけすぐ、東方領へ迎えに来るのよ」

「もちろんだ」


 僕とベルタは力強く頷いた。



──────────



──翌日。一月二十二日、午前。王都、自警団組合本部。



 ・・・この建物が、こんな不気味に感じられたのは初めてだ。僕はベルタと組合のドアを潜り、カウンターへ顔を出す。僕のために用意されているカウンター横の足踏み台へ乗ると、メラニーが意味ありげな笑みを僕らに向ける。


「遅かったわね。お迎えがお待ちかねよ」


 来ることがわかっていたのか。ただの衛兵ではない。ブースから立派な重鎧を纏った禁衛隊の二名が、金属的な足音を響かせながら僕らの方へ歩み寄ってくる。僕は思わず、一言だけメラニーへ問う。


「全部、知っていたのか?」

「私はただの役人よ」


 どうせこう答えるだろうとは思っていた。ただの役人、ね。


「ハナちゃんとフウちゃんはどうしたのかしら?」


 以前なら純粋に彼女らを心配しての発言と受け取れただろうが、今の僕にはとてもそうは思えない。こちらを探るような視線に空恐ろしいものを感じ、つい表情に出てしまいそうになる。一呼吸置き、意識的に穏やかな笑顔を保つ。心情と真逆の表情をするのが、これほど疲れるものだと僕は初めて知った。


「彼女らはまだ子供だ。長旅で疲れてるんだ。部屋に置いてきた」


 そう言い適当に誤魔化す。嘘は僕に任せておくよう、ベルタには言ってある。思った通り、彼女は表情に差す影を誤魔化せていなかった。

 僕らは禁衛隊に連行されるように、組合をあとにする。



──────────



──二十分後。



 僕は城門前の光景を見て、思わず頭に血が昇る。バヤルの馬車。その荷台に乗っているのは、以前捕らえた売人たち。そして・・・衛兵を前にバヤルと並んで立つ、デンス。

 やはりそうか。あいつは仲間の釈放を条件に、王から別の依頼を受けていた。バヤルは僕とベルタの姿に気付くと、気まずそうに目を逸らした。今更だ、クソ野郎が。いつか殺してやる。デンスは彼の視線を追い僕らに気付くと、蔑むような表情を見せる。


 僕は彼らの存在に気付かなかったふうを装い、堂々と城へ入っていく。何も疚しいことなどしていない。あとは自分のやったこと、考えたことを洗い浚い陛下へ上申するだけだ。それでなお密室で僕らを始末しようとするなら、もう僕らに打てる手立てなど皆無だろう。僕らが殺されるのだとしたら、その理由は遺産の内容を知っているという一点以外には考えられない。そしてその事実について、恐らくバヤルからの報告で既に陛下はご存知だ。しらばっくれたら、それこそ新しい“罪状”を増やしかねない。



──────────



 僕とベルタは黙々と禁衛隊員についていき、見慣れつつある衛兵司令部の会議室へ入る。奥座には紙束を捲る陛下。その脇には・・・ああ、クソが。こちらを向き大きな目を細める、本院のヴィルシュタイン研究主任。その他に見知らぬ・・・恐らくは本院の研究者二名がいた。


 陛下は特務の受注時と何ら変わらぬ笑顔を僕らに見せる。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。かけたまえ」


 僕らが入口に近い席に座ると、禁衛隊員が外へと出ていく。僕はそれを見届け、昨日のうちに書いておいた報告書と“書簡”を、机越しに陛下へ手渡す。


「特務は成功しました。火山活動により、地動脈から大量の魔素の流出を確認。それはウスデンの低魔量地帯へと広がり、領域内の環境魔素密度は回復したものと考えられます。事後の検証は、魔導院に任せるのが宜しいかと」


 陛下は僕の報告書を読み、楽しげに笑う。驚いた素振りなどはない。やはり事前にある程度の話をバヤルから聞いているんだろうな。


「竜が死火山へ飛び込みそれを活性化、噴火を促して“大地のマナ”を回復した・・・まるで神話のような報告書だね」

「僕も驚いています。竜はウスデンの環境魔素を整えるために、この辺りを旋回していたようです」


 僕の報告を聞いて、本院の研究者たちが小声で何かを話し合う。


「火山活動が王都へ及ぼす影響は?」

「皆無とは言えないでしょう。現在は北東方面、北方領北部の山岳地帯から北氷洋に向かって噴煙が上がっていますが、風向きによっては王都に火山灰が降ってくることも有り得るかと」

「わかった。この書簡は?」


 陛下は横の書簡を手に僕へ尋ねる。


「ウスデン山頂への道中にあった遺体より発見したものです。二十年前の特務に携わった兵士か、ヴィジルのものかと。封がそのままだったため、中は確認していません」


 彼はペーパーナイフで封を切ると、その中身を軽く流し読む。


「懐かしいな・・・私が書いたものだ。あの山で二十年間もそのままの状態にあったのか」


 彼はそれを置き、一呼吸して“本題”に入る。既にその表情には一片の柔らかさもない。


「この報告書には・・・欠けている点が、あるようだ。教授の“遺産”について」


 来たか、畜生め。“あなたに盗まれました”なんて書けるはずがないだろう。僕は順を追って話す。


「それに加え、低魔量地帯が発生した原因について、です。事態が複雑なので、直接口頭で報告しようと考えていました。グシュタール教授は・・・自らの魔素流動パターンを複写し、場に固定。生前の人格を保持したまま、遺産を守っていました」


 それを聞いた研究者たちは目を丸くする。陛下の眉間に皺が寄り、彼らへ尋ねる。


「・・・まさか、あの話は本当だったのか。そのようなことが可能なのか?」


 陛下の口から零れた言葉。あの話ってのはやはり、事前に報告を受けたバヤルの話ってことだろうな。ヴィルシュタイン主任は二、三、他の研究者と言葉を交わし、その内容とは裏腹に、興奮した口調でまくし立てる。


「不可能だと断言出来たら、どれほど良いでしょうか・・・現有する技術上は有り得ないと考えますが、理論的には否定しかねます」


 彼はすぐ他の研究者と下卑た笑みを浮かべながら小声で話す。「人間を肉体と本能、死までもから解放してのけるとは」などと聞こえるが、下らない。その結果出来上がるのは、魔素を観ることしかできないあの地縛霊だ。教授ほどの・・・少し人でない限り、あんな状態で終わることのない生に堪えられる者がそう多くいるとは思えない。

 僕は研究者の言った言葉の内容に補足する。


「教授は肉体を持たず、魔素だけの状態で個を保つため、人体に近い、極めて高密度な環境魔素を必要としました。そのため刻印を使いカルデラ周縁部から環境魔素を収集。低魔量地帯はその結果出現したと考えられます。・・・彼の遺体が研究所から回収されたときは、まだ環境魔素が個を形成するのに必要なだけ集まっておらず、複写が完了していなかったものと、僕は推測しています」

「原因もやはり、彼によるものか。複写されたグシュタール教授は今どうなっている?」

「彼は既に消滅しています。環境魔素を収集するための刻印を施された宝玉を破壊しましたが、それは教授が個を保つためにも必要なものであったため、“環境の復元”と“複製体の維持”は両立し得ませんでした」

「直接話をしたのか?」


 僕は頷き、遺産について切り出す。


「はい。教授の持っていた研究資料・・・“遺産”。あれは、彼の遺言で僕個人に託されたものでした。陛下が望まれたならば、僕らは間違いなく提出したでしょう」

「私がそれを知り得なかったとしたらどうするつもりだった?」

「当然、報告してその後の対応を仰ごうと考えていました」


 意地の悪い聞き方だな。そもそもが僕らの手には余る代物だ。あれを持っていたとして、僕らだけでどうこう出来るようなものじゃない。

 陛下は手を二回、二回と叩く。合図か。


「ならば何故、仲間を逃がそうなどと考えた?」


 僕の身の毛がよだつ。扉が開き、フウとミオが禁衛隊員に連行され入ってくる。それを見、怒りに震えたベルタが大声を上げる。


従兄上あにうえッ!あなたはこんな汚い手を使う人ではなかったはずだッ!!」

「黙れベルティリア!自ら塵芥ゴミのように捨てた家名を、都合の良い時にだけ拾って使うほど、お前は浅ましい女か!」


 ・・・ベルティリア。王族の長男のみに名付けられる“ベルトラム”と同じく、その長女のみに名付けられる、特別な名。

 僕の脳裏に様々な憶測が大量に浮かんできたが、それをどうこう考えている暇はない。今はとにかくこの場を切り抜けなければ。ことここに至っては、隠し事は逆効果だろう。僕は、絞り出すように言う。


「・・・僕は遺産の内容を知っています。超常の力を持つ兵器の研究資料。あの内容は王国の安全保障にとって極めて重大であるとも理解しています。僕は・・・」


 目を強く閉じる。滲んだ脂汗が粒となり、顎から滴る。心の底からの思いが、口からにじみ出る。


「・・・口封じされる可能性を考えました。ですが、僕には、王国の事情で、彼女らに危害が及ぶことが堪えられません。東方へ行き、エルシダ卿に保護を求めるよう彼女らに指示しました」

「ユリエル・・・」


 フウが僕の名を呟く。静まり返る会議室。遠く王城の外郭から、訓練中の衛兵の掛け声だけが小さく届いてくる。しばらくすると、モノクルをかける見知らぬ研究者の一人が、陛下へ耳打ちした。


「・・・そうか」


 陛下は足元の鞄から遺産の紙束を出す。


「概ね、あのベラティナの青年による報告と合致する。横で彼に魔素観測を行わせていたが、嘘もついていないようだ」


 陛下は軽く溜息をつき、椅子に座り直す。


。きみが気付いていない可能性を考え伝えておく。実を言うときみは法的に父親から全権を継承している。つまり、現役の北方領主なんだ。ただ、治めるべき領民がいないだけで」


 僕は顔を上げ、陛下を見る。その顔に薄く笑顔が戻っている。ああ、切り抜けたか。僕は顔を拭い、ようやく大きく息をついた。


「私はきみがこの資料を回収してくることを見越していたが、同時にこれを使い暴力的に王国から領土、領民を切り崩し、自らの手に取り戻そうとする危険を回避する必要があった。何かあってからでは遅い。先手を打たねばならなかった。だからあの青年を利用した。彼には、きみたちをウスデンまで送り届けることとは別に、“教授の研究資料の回収”を命じてあったんだ」


 そんなことをするはずがない。僕は疲れ果て、うなだれながらただ話を聞いていた。横ではベルタが怒りを含む声のまま陛下につっかかる。


「あんまりだ!こんな扱い、容疑者そのものではないか!」

「いい、いいんだベルタ。疑いが晴れて、誰も傷つかなくて済むなら僕は構わない」

「しかし・・・!」


 陛下はそれを無視し、全く表情を崩すことなく続ける。僕はその顔を見ているうちに、奇妙な違和感を覚え始める。


「ただ、この資料・・・“遺産”の内容を知り、理解しているという事実。それは世を滅ぼしうる知識を持っているということに相違ない。それに、あの青年の話を信じるならば、きみは他人の心を覗き見る術までをも教授から教わったそうじゃないか」


 彼は話を続けながら、資料をヴィルシュタイン主任に渡す。彼らは大金をせしめた詐欺犯のようにそれを大事に抱え、とても立派な革鞄に詰め込む。


「つまりだ。このままきみたちを、野に放っておくわけにはいかなくなった。そして、双方にとって幸いなことに、“山狗班”は極めて優秀だ。きみたちには、今後私の直属として、機密性の高い任務に当たってもらうことを考えている。書類上は軍属ということになるだろう。もはや自警団員ヴィジルではない」


 当たり前のように話すので疑問にも思わなかった。・・・陛下は・・・いや、陛下とは、なぜ“遺産”の存在を、その内容まで含め事前に知っていた?

 そして教授にも聞きそびれた、最後に残った疑問。なぜ、教授は失踪したのか?本当に、ただ、魔導院にいるのが嫌になっただけなのか?


「・・・陛下」


 僕は無意識に彼を呼んでいた。。僕の自制心が強く警告するものの、口が勝手に動く。


「・・・まさか、陛下は二十年前、個人指導という名目でグシュタール教授に兵器を研究させていて・・・彼はその実現を確信してしまったため逃亡したのでは・・・」


 陛下の顔がひどく醜く歪む。満面の、笑み。僕は不敬にも、陛下の表情に本当の悪魔の貌を見た。人の満面の笑みを、これほど理解できない気味の悪いものに感じたことは、かつてない。僕の蒼白の顔を滝のような汗が流れる。陛下は僕の問いには応えず、優しげな声をかけた。


「では、これからもよろしく頼むよ。くん」


 背を向け、研究者を伴い立ち去る陛下を前に、僕は膝から崩れ落ち、その意識は白く飛んだ。

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