39 “揺れる天秤”
──一月二十一日、午後。王都東区。
少し離れている間に、王都も薄く雪化粧をしていたようだ。ちらちらと舞う雪を手に取り観察してみる。まだ火山灰は混じっていないようだな。
僕らは荷馬車を家の前に止めてもらい、ぞろぞろと降りる。その最後に僕は、当然のように足を滑らせた。
「うわっ・・・グヘェっ!」
べしゃっと音を立てて路上に倒れ込む。あまりにも、なお約束。元より足が短く運動神経が悪いことに加え、摩擦係数の低い石畳、歩きすぎてすり減った靴底、長い馬車旅で硬直した筋肉という組み合わせは、細心の注意をもってした上で、いとも簡単に僕の足を掬い取った。
「ユリちゃん!」
ミオが僕に駆け寄り、起き上がらせ服を払う。
「ああ、ありがとう、ハナ・・・あっ」
あまりに自然なその流れに、思わず僕は口を滑らせた。彼女はそれに気付くこともなく、泥まみれの僕の服を、ベルタから受け取った布巾で拭いている。そして小さな子供に言い聞かせるよう僕に言った。
「気をつけなきゃ駄目だよ」
「あ・・・ああ、ごめん」
この感じ、ハナに似ているな。やはり姉妹ということか。いや、それ以前に、あのハナも決してハナ本人ではない。ミオの人格をベースに“ミオが解釈したハナ”として後天的に作り出されたものだ。やはり、根は同じということなのかな。
「ああー。やっと帰ってきたわね。疲れた。だいたい二週間ぶりかしら・・・」
その横ではフウが十代前半とは思えない重い息をつきながら愚痴る。こいつはもう人のことなど構っていられないという様子だ。
「そうだな。とりあえず今日は部屋に戻って休もう。報告は明日でもいいだろう」
さらに対照的に、全員分の荷を軽々と降ろしながらベルタの一言。このタフさを少しわけてもらいたい。
「おし、忘れもんはねえな。ほんじゃお疲れさん」
「ああ、ちょっと待った」
僕は財布から無記名手形を六枚出し、まるで遊びから帰るかのように軽く去ろうとするバヤルに渡す。
「・・・なに、この金」
「僕らにはベランに行く用事がそうそうない。だからお前が仕事で西へ行く時にでも、その金でマカロンと蒸留酒、あと・・・多めに菓子でも買って、例の一族に届けて欲しいんだ。お前たちも異存はないよな?」
僕が振り向くと、みんなそれぞれに笑顔を向けてくれる。
「コワッパにしては気の利くことするじゃない」
よし、
バヤルは手形を手にしたまま片眉を釣り上げる。
「にしては多過ぎる。高級品で揃えても半分近く余るぞ」
「なに、ただの運賃だ。余ったらその金でおいしいものでも食べてくれ。僕らもそうだけど、お前たちも身体が資本なんだろう」
「律儀な野郎だ」
彼はふっと微笑い、ようやく手形をポケットに突っ込む。外套を翻すように軽々と御者台へ飛び乗ると、何やら複雑な表情を見せた。目を逸らし、一言だけ呟く。
「・・・悪いな」
こんな感傷的な言い方をする奴じゃないと思っていたが。それなりに別れを惜しむ程度には仲良くなれたという理解でいいのかな。僕にとっては、初めて出来た同年代で同性の友達といえるかもしれない。
「じゃあ、またな」
「ああ」
目抜き通りのほうへ消えていくバヤルの馬車を見送る。一抹の侘しさを感じながらも、僕らはそれぞれの荷物を持った。そして僕とフウは真っ赤な顔に青筋を立て、唸りながら最後の試練、三階までの階段を登り始めた。
くそ、旅の最後の余韻も台無しだ。これなら多少じめじめしてても半地下のほうが良かった。
──────────
──二時間後。
フウが茶を淹れ、僕は道中読んでいた本を棚に戻しつつ整理し、ベルタは念入りに“宗碧”の手入れをする。こうしていると、いつもの日常がようやく戻ってきた気がする。その中で、ミオは自分のベッドの周辺に散らばる謎の抽象画を眺めて不思議そうな貌をしている。
「・・・それ、あなたが描いたのよ。何が描かれているのかよくわからないけど」
ティーセットを持って現れたフウがやや呆れ気味に言う。ミオは絵を手に取り、一枚ずつベッドに置いていく。
「えっとね。これがぼくでしょ。それでこれがふーちゃんとユリちゃん、これがベルタさ・・・べーやん」
“ベルタさん”と言われかけた瞬間の、ベルタ本人の反応の素早さと衝撃的な表情は筆舌に尽くしがたい。ミオもこれから大変だな。
「わかるのね、この色違いの毛玉にしか見えない絵が」
「ふ、ふーちゃんさすがにひどくない?」
「・・・あなた、ちょっとこの余白にバヤルの顔描いてみて」
僕も整理の手を止め横目で眺めていると・・・新しい、赤黒い毛玉が横に描かれていく様子が見えた。・・・絵の腕前は、別に幼児期に戻っていたわけではなかったようだ。ミオはハナより幾分繊細なようだし、僕はコメントしないでおこう。
「
「それって褒めてるの?」
なんとも言えないやりとりが交わされる中、玄関からノックが響く。出ようとするミオを手で制止し、僕がドアを開ける。
「邪魔するよ」
左手に杖を突き、私服に少しくたびれた帽子を被る、右腕の先がない初老の男。あまりに鎧姿とのイメージがかけ離れすぎてて一瞬誰だかわからなかった。
「フランツか!上がっていってくれ」
「いい部屋じゃないか。俺の家より綺麗だ」
彼は玄関に杖を置き、左脚を庇うような歩き方で部屋へ入る。
「あら、珍しいわね。いらっしゃい。お茶はいかが?」
「うっ・・・あ、ああ、気を使わなくて結構だ。ちょっと伝えることがあって来ただけだからな。長旅から帰ってきたばかりなのに済まない」
フウがベランの茶を差し出すと、フランツは絶妙に歪んだ笑顔でそれを丁重に断る。おいしいのに。
フランツは円卓の椅子に座ると、少し乗り出し気味の姿勢をとる。この一瞬で、彼の顔からは柔和さが消え失せていた。
「手短に言う。・・・命の恩人にこんなことを言うのはとても憚られるが・・・オズボーンから伝言だ。“これから会う人間を信用するな”。それだけだ」
僕らの間に流れていた空気が急に冷え・・・何かが蠢くような気味悪さが背筋を這い上がってくる。
「・・・なんだって?」
「俺もなにか嫌な予感がする。見えないところで何かが動いているような・・・ともかく、あいつは何か、お前たちに関係する企みを、確証を持てないものの嗅ぎつけつつあるんだろう」
右手で口を覆うベルタが、“これから会う人間”を推測する。
「・・・まず一次報告のために会う組合の受付、メラニーにテッド。その後恐らく案内の衛兵。あるいはオズボーン本人。その後の報告会議で会うのは、護衛の禁衛隊員と・・・」
嘘だろ。さすがに信じたくない。
「・・・まさか、陛下まで」
この国で王を敵に回すなんて、そんな状況に陥った時点で、完全に詰んでいる。
「お前たちは間違いなく、ここ半年の働きで、王都にとってそれなりの功労者となっているはずだ。もはや衛兵司令部においても、久方ぶりの示範ヴィジルである“山狗班”の通り名を知らぬ者などいまい。もしも陛下が何かしら考えておいでだとしても、おいそれとは手が出せないとは思うが・・・あのオズボーンの言うことだ。的を大きく外してはいることはないとも思う」
フランツの言う通り、僕らには何らの非がない。そのように行動してきた。でも何か、何か引っかかる・・・
・・・そうだ。特務の受注時、陛下からグシュタール教授について聞いた時に僕はこう考えていた。国を預かる立場の者にとって・・・
「一個人の存在よりも優先されるのは・・・“国家の安全保障”・・・!“教授の遺産”かッ!!」
僕は転ぶように椅子から降り、鞄の底板の下にある隠しポケットを開く。他のポケットを漁る。逆さにして中身をぶち撒ける。ない!遺産の紙束が、どこにも!
「君の鞄は、帰り道で地図を取り出す時に何度か開けていた。私とユリエル、あと・・・」
あいつの最後の声が頭にリフレインする。あまりの悔しさに、骨が軋むほどの力で床を殴る。
──「悪いな」ってのは、感傷的な礼なんかじゃない!そのままの意味だ!何が友達だ!僕は、なんで自分で豚箱にぶち込んだ人間なんかを心の底から信用してしまっていたんだ!
「ああああッ!くそッたれェ!バヤルだッ!あいつは王から、僕らを監視する任務を別に受けていたんだ!!」
頭を掻き毟る。浅薄な自分をぶん殴ってやりたい。どうする。ここからどうすればいい。
「・・・なんてこった。心当たりがあったか・・・」
ああ、そうだ。フランツ。せっかく引退して穏当な生活を手にした彼を、こんな泥沼に巻き込むわけにはいかない。僕は拳を力一杯握り、歯を食いしばり、深く、とても深くひと呼吸し、なんとか落ち着きを取り戻す。
「・・・フランツ、伝えてくれてありがとう。今すぐにここを去ったほうがいい」
「・・・力になってやりたいが・・・」
「その気持ちだけで十分だ。ここからは、僕がやらねばならない」
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