38 “帰路”

──一月十六日、正午。西方辺境、“冷涼なる月光”一族の大天幕。



「糞餓鬼ども、いつでも来いよ!」


 アマルが毛むくじゃらの手を振り、僕らを送り出す。その横で、アマルには似ても似つかぬ赤髪の小さい子どもらも僕たちに両手を振っている。


「おねえちゃんのおねえちゃんも、またね!」


 その言葉に僕は首を傾げる。おねえちゃんの、おねえちゃん?僕は横を見てその意をなんとなく汲んだ。少し困惑した表情のミオが、控えめに手を振っている。彼女はあの子らと遊んだ“ハナ”ではないんだ。

 先の爆発的な噴火も大方収まり、もうもうと噴煙を上げるウスデンを左手に、僕らは王都への帰路につく。一族の大天幕がだいぶ小さくなり、僕がフウに声をかけようと思ったその時。


「あの噴煙が流れているのはどっちだ?王都に火山灰が降り注いで無いといいが・・・」


 ベルタが心配げに言う。そうだ。あまりに多くのことが起こりすぎたせいで、僕はそんなことにすら考えが及んでいなかった。このあたりの風は概ね西より吹くものだとなにかの本で読んだことがある。偏西風だったか。せっかくマナを均質化しても、その副作用である火山活動が、王都の農業に壊滅的な影響を及ぼしてしまったらえらいことだ。コンパスを取り出し、噴煙がたなびいている方向を大まかに推測する。


「・・・北東、だな」


 ベルタは借りるぞ、と言い僕の鞄を開ける。取り出した王国全図の、ウスデンから北東方面を指でなぞった先は・・・


「旧北方領・・・のさらに北部、山岳地帯。低魔量地帯の北部をかすめるな。元々人口希薄地帯だったあたりか。その先は北氷洋だ。今のところ大きな問題にはならなさそうだが、風向きによっては直接王都や他領に降り注ぐことも起こりうる。報告は必要だろう」

「そうだな・・・僕らの責任じゃないことは明確にしておきたいけど・・・いや、僕らの責任なのかな?」

「・・・竜のやったことだからな。そこを信じて貰えるかどうかもわからない。竜が噴火を引き起こしたのが環境魔素を均質化するためでも、それは私たちが刻印を破壊したからこそ可能になったと、きみは推測しているんだろう」

「その言い方だと実際僕らの責任が少なくないように思えてしまうけど・・・そのあたりはうまくぼかして伝えたい。曖昧な憶測で、噴火なんて自然現象が発生した全責任を僕らに押し付けられるのは困る」


 それを聞いたベルタは溜息をつき、火山に目を戻す。


「全員が正しくあろうと努力しても、正しい結果が得られるとは限らない。そしてそれが意図的ではなかったとしても、結果的に発生してしまった事態の責任をどう取るか・・・。きみの気持ちが少し解ったよ」

「不吉なこと言わないでくれ」


 さすがに大丈夫だとは思うが・・・心配になってきた。せっかく荷を殆ど降ろして軽くなった肩が、また重くなってくる。話題を変えよう。


「フウ。さっきあの一族の子らが言ってた“おねえちゃんのおねえちゃん”って・・・」


 ミオと話をしていたフウがこちらを向く。彼女は少しミオの顔を見てから僕に言った。


「ミオはあの子たちのことをうっすらとしか憶えていないわ。だから、“双子の姉妹”だって言って誤魔化しておいたの」

「・・・あのね。三ヶ月間意識が戻らなかったって、最初に聞いた気がしたけど、あの子達はこの前話をしたばかりだって言ってて・・・」


 不安げな貌を僕らに向け、ミオが尋ねる。フウは声をひそめて僕に耳打ちする。


「・・・王都でも、“ハナ”を知る何人もの人にこれから会うでしょう。見た目がハナと一緒なのに、人格だけが変わっているという状況は、私たちだけでフォローするにも難しいし・・・何より、知らない人から次々と声をかけられるミオはひどく不安になると思うわ。今のうち“別人格のハナ”のことを本人に説明したほうが、ミオのためにならないかしら」


 ミオの顔を見る。・・・きわめて伝え方が難しいが、ミオがこの三ヶ月間、“ハナ”であったこと・・・王都に戻るまでに、それを理解させておくべきか。


「そうだな。・・・ミオ、僕とフウから、話がある。ベルタもいいか」


 僕は火山を眺めるベルタを引っ張る。



──────────



「ミオ。あなたがお姉ちゃんとしていたっていう“衛兵ごっこ”。あれは子供の頃の話じゃなくて、今までの三ヶ月間にあった話なの」


 静かにフウを見つめるミオ。彼女は何かを言いかけるが、言葉を詰まらせフウから目を逸らした。混乱しているんだろう。当たり前だ。こんなこといきなり言われたら、誰だって混乱する。僕は横から口をはさみ、話を慎重に補足する。


「お前は三ヶ月前に発生した事件のショックで、人格が・・・剥離していたようなんだ。自らを“ハナ”と名乗り、僕のことを“妹”だと言って可愛がっていた」


 この状態のミオに奴隷商の話で追い打ちをかけるのは、いくら無神経と評される僕でも憚られる。少しぼかして話を伝えた。フウが続ける。


「ベルタとユリエルはね。そんなあなたを助けるために、あなたを治せる可能性のあるグシュタール教授のところまで連れてきて、治療を成功させてくれた・・・かけがえのない恩人なのよ」


 珍しい言葉に、思わず僕はフウのほうを見る。彼女は少しだけ恥ずかしげに視線を逸らした。人を褒めるのが苦手・・・なんじゃないな。褒めるのが苦手なのは今になっても変わらない。


 一方、いっぺんに話しすぎたのがまずかったか、ミオの顔がみるみる赤くなっていく。体調に異変が出たかな。僕が声をかけようとすると、ミオは俯いたまま、伏していた視線だけを上げ、おずおずと口を開いた。


「・・・あの、あのね。・・・お風呂に・・・」


 風呂?

 ミオは辛うじて聞き取れるほどの、かぼそい声で続ける。


「・・・ぼくが、ユリちゃん・・・あ、ごめんなさい。ユリエル、さんの、お風呂に、はだかで飛び込んだのって・・・まさか、子供の頃の話じゃなくて・・・」


 ・・・ああ。あの時か。フウも察したのか、少し表情を緩めいたずらっぽく言った。


「数日前の話よ。ユリちゃんとおふろにはいるって言い出して、服を脱ぎ散らかしながら、部屋を飛び出していったわ」


 それを聞いたミオは顔を真っ赤にして、涙目で小さく声を漏らす。


 ・・・なんだ、これ。あけっぴろげに風呂に闖入してきた“ハナ”を見たときは何も感じなかったのに、今ここで恥じ入る彼女を見ていると、なんとも言えない気持ちになってくる。いけないぞ。僕は彼女らとは種族が違う。これは倒錯的だ。種族倒錯だ。


「・・・種族なんか、関係あるか?」


 にやにやと笑い、僕を肘でつつくベルタ。こいつ前も言ってたな。つられて赤面する僕はどうにもいたたまれなくなり、顔をそむけ頭を掻く。そんな僕の様子を見ながら、フウは軽いため息交じりに言う。


「それに、ミオ。あなた“ユリエルさん”って、こんなコワッパになに遠慮してるのよ」

「えっ、だって、歳上のお兄さんだよ?」


 僕は荷馬車の外に視線を移したまま言う。


「今更だよ。“ハナ”だったときのお前は、僕を妹呼ばわりし、ぬいぐるみのように撫で回し、服をひん剥いて身体を拭き上げ、全身全霊を尽くし守ろうとしていた。そんなよそよそしい関係でもない。“ユリちゃん”で結構だ」

「ホントはそう呼ばれなくて寂しいくせに」


 フウまでにやにやと笑いながら口を手で押さえる。くそ、遊んでやがるな。僕は話を無理やりレールに戻す。


「ああ、なんにせよ、“ハナ”だったときの記憶は、些細な部分も含めて、順調に戻ってきているようだな。安心したよ」

「ミオ。あなたは王都に戻ると、おそらくはっきりとは憶えてない多くの人に声をかけられると思うわ。会話を合わせられなさそうならわたしに言ってね。さっきみたいに、“双子の姉妹”って話で押し通すから」


 ベルタがふと真顔になり、打って変わって真剣な口調で割って入ってくる。


「ああ。ミオ、私も・・・」


 少し迷って、ミオの目を見据え、続ける。


「・・・私のことも、べーやんって呼んで、一向に構わないから、な」


 深刻な表情で詰め寄られたミオは少し驚き、「ひゃい」と噛みながら返事をした。・・・そう呼んで欲しいのね。お前も。



──────────



 御者台で静かにやりとりを聞いていたバヤルは、ひとり呟く。


「・・・まったく、俺がいることを少しは気にしろよ。むず痒くて聞いてられねえや。なあシラル」


 芦毛のシラルはリズミカルに歩きながら、鼻息を荒らげる。

 ずっと緩やかな下りが続くこともあり、荷馬車は往路以上のペースで東へと進んでいる。雲の切れ間からは、薄い陽光が差し込みつつあった。

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