37 “アルテリウス・ドラコ”

──一月十六日、午前。西方辺境。



「良かった、もう移動しているみたいだな」


 バヤルは荷馬車を止めそう言うが、僕にはここが例の大天幕があった場所と思えない。元々土地勘がないことに加え、同じような景色の、薄く雪の積もった高原が延々と続いている。こいつは一体何を目印にしているんだろう。


「まさか。地鳴りが起こってまだそんなに経っていない。早すぎないか?」

「積雪からいって、昨日のうちに移動したんだろう。ここを見ろ」


 御者台を降りた彼が雪を払った場所には、明らかに人の手による、奇妙な形に組まれた石があった。三角形に配置され、そのうちのひとつは三段に積まれている。


「この積んである石の方角に行ったってことか」

「ああ。ほんで積まれた石の数が距離だ。そう遠くはない」

「地鳴りとは無関係に移動したということか。こんな真冬にでも、そう頻繁に移動するものなのか?」


 ベルタが不思議そうな貌でバヤルに訊く。


「普通はしないな、だけど・・・おっ・・・」


 不意に地鳴りがひどくなり、大きく地面が揺れだす。バヤルが言いかけたままの口を止める。


「ねえ、あれ見てっ!」


 ミオが指差した先──ウスデンの山頂で爆発的な噴火が発生する。しばらくすると、遅れてきた轟音が僕らの耳をつんざく。放物線を描き飛んでくる噴石。しかし僕はそれによる命の危機よりも、目の前の光景に目を奪われ続けていた。


 竜頭を戻すことを忘れていた僕のモノクルは、火口から夥しい量のマナが溢れ出ているさまを映し出している。そして、天に向け真っ直ぐと立ち昇るマナは、まるで糸を撚るかのようにある形を作る。“竜”。彼らは火山から生まれ、火山へと還るのか。


 ・・・以前聞いた講義を思い出す。魔法学比較論、だったか。極東の魔法学──“フォンシェイ”の教典には、地中をはしるマナの奔流についての記載があるという。“地動脈アルテリウス”と称されるが、これは広域語訳だ。現地語で言い表すと“竜脈ロンメイ”。

 竜は、竜脈を刺激し、地中からマナを放出することで環境魔素密度の均一化を成し遂げようとしているのか。僕らの様子を伺っているように見えたのは、刻印が破壊されるのを待っていたということか?そんな知性が、ただのマナの塊である竜に存在するものなのだろうか?いや、待て。僕らの知性や心だって、ただの有機体を流れるマナの流れから生じているに過ぎない。つまり・・・


「バカっ!早く行くわよ!!」

「ウゴぇッ!!」


 フウに後ろから襟を掴まれ、首が絞まり思考が止まる。僕が放り込まれると、すぐに荷馬車は積石が指し示す方角へと勢いよく走り出す。幸い、火口から既にそこそこ離れているお陰で、噴石は軽めの小さいものしか届いて──


「ひィッ!」


 ──荷馬車と同じほどの大きさの岩が、凄まじい勢いで僕らのすぐ横の地面に突き刺さる。これは・・・いかん。一刻も早く離れないと、本当にみんな死んでしまう。


 僕はひどく揺れる荷台で舌を噛まないよう気をつけながら、みんなに伝える。


「竜は、災厄を呼ぶんじゃない。環境魔素の分布を狂わせるほどの災厄が起こるとき、それを均質化するために来るんだろう」

「火山は、地中からのマナの噴出孔・・・」


 ベルタが呟く。その横ではミオが、少しぼんやりとした表情で噴煙のあがる空を見上げる。


「なんか・・・まだ、夢でも見ているみたい」


 その横では、フウが心配そうな貌でミオを見ていた。



──────────



 緩い稜線から大天幕が姿を現す。そこに辿り着く前に、ついに僕らの荷車を牽く馬が力尽きた。倒れるように横たわり、その全身から湯気が立ち昇る。荷台から降りた僕は馬に手を当て、マナを観測する。凄い体温だ。死にはしないだろうが、完全に体力を使い果たしているな。回復にはそれなりの時間がかかるだろう。


「ハルザン。お前にも、無理させちまったな」


 バヤルが初めて聞く優しげな声で馬のたてがみを撫でる。ハルザンと呼ばれた馬は、横たわりながらも頷くように首を動かし、鼻息を荒らげた。そのさまをベルタも横から心配そうに覗き込む。


「大天幕までもう少しだ。水を貰ってこよう」


 しかし、バヤルは振り向きもせずに言う。


「いや、こいつの世話は俺の仕事だ。お前らはおっさんと話をしてこい」



──────────



「ああ、なんにせよ、無事で良かった」


 疲れた顔をした族長のアマルが、樽に腰掛けながらため息をつく。


「お前たちが天幕を出た直後だ。ババアの占いで、すぐにウスデンの反対側に半刻分、天幕を移動しろと出てな」

「占いで場所を決めているのか?」

「途方も無い昔からそうしている。それで俺たちは生き延びて来たんだ」


 一族の命運をそんな曖昧模糊とした迷信に委ねるなんて、と少し呆れかけもしてしまったが、実際今回は見事に的中している。いやまあ、考えてみればおかしな話ではないか。むしろ、宗教の影響力が瓦解して、その手のものが“あやしげな民間伝承”に堕してしまった王国が特殊なんだろう。


 僕らの声を聞きつけて、天幕の仕切りをまくりあげシワシワのご老人が姿を現す。


「こンのドラ息子が!誰がババアかえ!お前がこの子らが心配でメシも食えねえちゅうから占ったったんだろうが!」

「母ちゃん!大事な話の最中に出てくんじゃねえよ!」


 ・・・ああ、このパターンか。僕はすぐにマーヴェリックとルクセンハイザー教授の二人を思い出す。家庭の女性はどこもこう強いものなのかな。しかし、族長が疲れた顔をしていたのは、僕らの心配をしていたからってのもなんだか意外だ。見た目より随分繊細な人なのか。

 言い合う彼らに僕らが口出しするのを躊躇っていると、後ろからバヤルが天幕に入ってくる。


「ああ、風の。お前の馬ハルザンはどうだ?」

「明日には普通に歩ける程度になりそうだけど、完調になるまで五日は必要だろう。それに、見た感じ後脚の腱が少し不安だな」

「うちのシラルを連れてけ。あれなら王都まで余裕だ。次にこっち来る時までにはあいつも治ってるだろ」

「ありがたい、本当に助かるよ」


 特務はあと報告を残すのみ。ベランで数日足止めを食らうとしたら、困っていたところだ。・・・謝意を表したいが、金は受け取ってもらえないんだよな。


「次来るときは、おいしいものでも持ってくるよ」

「おっ、そいつぁ良いな!アレだ。昔コグニティアで食った甘くて丸っこいアレ持ってきてくれ!あんな旨いもんは他にねえのに、何故かこっちに入ってこなくてな!」

「甘くて、丸い、コグニティアの・・・?」


 バヤルがそれを聞き、声を上げて笑う。


「おっさん、相変わらずだな。確かに、マカロンは日持ちしないからな。隊商じゃ仕入れて持ってくるまでに傷んじまう」


 にかっと笑い、頷くアマル。・・・マカロンかよ。てっきり酒とか頼まれるかと思ってたけど・・・。


「あたしにはあの火酒持ってきてくんな。名前忘れたけど、王都の一番アッツいやつさ」


 酒はババアのほうか。名前くらい言ってくれないと困るけど・・・まあ、この様子なら度数が一番高い蒸留酒アクアヴィタを持って行っとけば間違いなさそうだ。


 僕はもう一言礼を申し述べ、出発準備のために天幕の外へ出る。フウとミオ、一族の子供らが見上げる先には、噴煙をたなびかせるウスデンの姿があった。前王以上の壮麗な葬送だ。あの様子なら、複製の教授たちも竜に導かれ、無事に天へと還ることが出来たのではないかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る