35 “禁忌の遺産”

 控えめなノックが客間のドアを鳴らす。すっと顔を覗かせたのはグシュタール教授だった。


「おはよう。もうみんな起きているのかな」


 半透明に向こう側の透けて見えるその姿に、ミオが目を丸くする。僕は袖で顔を拭い、教授に報告した。


「おはようございます。現時点では、施術は成功しているように思えます。反応を見る限り、恐らく人格は事件前のミオのものが、記憶は“ハナ”とミオのものが統合されたと考えられる状況です」


 教授は本当に嬉しそうに目を細め、頷く。


「そうか、そうか。君たちの祈りが、神様に届いたのだろうね。バヤル君がお茶を淹れているよ。君たちも準備が出来たら、下へ来るといい」


 神様、か。ピンとこないな。僕が後頭部を掻いていると、フウが“ハナ”の服と装備を出しながら僕に言う。


「ほら、女の子が着替えるんだから出ていきなさい」


 ミオがそれを見て呟く。


「・・・この服、お姉ちゃんが着てた・・・」

「ミオには、この服に見覚えが?」


 ベルタが訊くと、ミオは首を傾げ不思議そうな表情をする。


「・・・よくわかんない。なんか、思い出せそうなんだけど」


 記憶が整理されるまでは多少時間がかかるのかも知れない。まあ、急ぐことなどないだろう。


「ゆっくりでいいさ。時間ならたくさんある」



──────────



「結局お前はあの子の何を治療したんだ?昨日ベルタからもちょっと聞いたけど、よくわからなくてさ」


 ソファで大仰に足を組むバヤルが、先に居間へ来た僕に問う。ベルタは恐らく委細をぼかしてバヤルに教えたんだろう。・・・こいつは特務の関係者で、守秘義務もある。多少細かく教えても構わないか。


「一応、他言無用で頼む。あの子は、三ヶ月前の事件のショックで、精神的な問題を抱えていた。僕らは、特務とは別に、それを治療する方法を探して・・・そして僕自身は、過去の出来事に関係する教授に話を聞くため、ここへ来ていたんだ」

「見てる限り、それがようやく全部片付いた、って感じだな。おつかれさん」

「そうだな。ようやく、だ。治療を行った結果、“ハナ”・・・いや、ミオの人格に多少変化が起こっている。気にせず、普通に接してやってくれ」


 応えずに茶を啜っているバヤルの視線が上がる。上からフウとベルタ、ミオが降りてきた。


「あっ、この香り・・・」


 ミオが茶の香りに反応する。カップの一つを手に持つと、鼻を近付け、湯気をゆっくり吸い込む。・・・嗅覚というものは、視覚とは別に記憶と強い結びつきがあると聞いたことを思い出す。


「・・・やっぱり、そうだ。お姉ちゃんが衛兵ごっこをして遊んでたとき、たまに飲んでたやつだ」


 彼女の発言で、僕はなんとなく理解しはじめる。フウがミオを気遣うように訊く。


「何か、思い出した?」

「あー、えーとね。ちょっと変な話なんだけど・・・笑わないでね?」


 笑うもんか。彼女らはソファに座る。いつの間にか教授もその脇に立っていた。


「・・・とても小さな頃、お姉ちゃんと一緒に衛兵ごっこをして遊んでて・・・この服は、その時にお姉ちゃんが着ていたものだと思ったの。それで、そのとき一緒に遊んでいたのがふーちゃんに、“べーやん”に、“ユリちゃん”」


 この子は、表に出ていないときも、ハナの後ろからその様子をずっと見ていたということだろう。ミオの記憶が整理された結果、それは“子供の頃の記憶”として認識されるに至った。つまり、僕らは最初からずっと一緒にいたのか。


「でも、ぼく以外はみんな今と同じ姿で・・・いや、ちょっとなんか変な話だよね。忘れて」


 そう言って少し照れくさそうに笑うミオの顔は、ハナだった時の同じもののはずなのに、まるで別人のものに見える。でも、“赤の他人”という感じはしない。姉妹、か。


「変じゃないさ。いろいろ納得がいった。話してくれてありがとう」

「ふむ。経過は良さそうだね。安心したよ。何か問題が発生した場合は、ユリちゃんに言うと良い」


 にこやかに教授が言う。


「僕にですか?」

「なに、この調子なら予後も明るいだろう。それに、私はそろそろ消えてしまうからね」


 僕の眉間に皺が寄る。僕らはこれだけ教授の世話になっておきながら、最終的には、そうせざるを得ない。


「教授、僕らは・・・」


 教授はぴっと人差し指を立て、僕の言葉を止める。


「いいかい。私は大罪人だ。王国の法に照らしてもそうだが、神の意図を理解するために編み出した魔導学を利用し、世界の一部を書き換えようとした結果、大設計グランドデザインを大きく歪め、その隙間から死の大地のようなものが溢れ出してしまった。同情はありがたいけれど、私を存続させるためにこの状態を維持するわけにはいかない」


 教授は言葉を一旦止め、ソファに座り直す。そして、目を閉じた。


「ただ、消える前にもうひとつ、解決せねばならない問題があってね。私がこんな姿に成り果ててまで自らをこの世に留めた理由・・・それは、死後も研究を続けたいということだけではなかったんだ」


 隣の研究室から、ふわっと紙束が飛んでくる。それは音もなく教授の前に置かれた。


「・・・私の研究の一部だ。これはその中でも、悪意ある者の手に渡った場合・・・破滅的な事態の発生が予測される、危険性の高いものでね」

「恐らく、それを狙っている者がいるでしょうね」


 僕は口を挟む。魔導院本院、ヴィルシュタイン主任。彼が“遺産”と呼んだものは、これに間違いないだろう。


「私はこれを、私の目の届く場所で安全に保管する必要があった。破棄しても良かったのだが・・・困ったことに、これが“必要になる事態”ということもありえるかと思えてしまってね」


 僕は教授に渡された紙束をぱらぱらと捲る。俄には理解の及ばない内容、膨大な量の構想と予測、推論。・・・しかし、その内容が少しずつ頭に入ってくるごとに、その危険性にまで理解が及ぶ。


 自発光するまで極圧縮すると、魔素は自らエネルギーを発する。臨界に至ったそれを利用し、巨大な爆発を発生させ、甚大な威力の攻城兵器として利用する構想・・・。臨界反応を環境魔素へ連鎖させ、既知世界に存在する全生命の活動を終了させてしまう“最終兵器”構想・・・。


 僕の手が震え、冷や汗が首筋を伝う。生唾を呑む。これは、ものだ。教授は・・・そうか。思いついたことを形にせずにはいられない人なのか。確かにこの才能でその性質。特級に危険な人物であるという認識に相違ない。


「私は長年研究を続けるうち、極圧縮した魔素の放つ光に曝されすぎてしまい、この研究所に来た頃には、身体中の臓器が弱ってしまっていた。これは死後の研究でわかったことだが、魔素を極圧縮した際に生じる光、あれは人体にとって害となるようでね」


 現在の魔導学では言及されていないことだ。そもそも、魔素を人為的に極圧縮するなどという行為そのものに言及がない。その方法と想定される結果が、僕の持つ紙束に記されている。そしてそれは、恐らく軍事的用途に限っては極めて有効だと考えられる。こんなものが終末論を唱えるカルトの手にでも渡ったら大変なことになるだろうな。あくまで構想・初期研究段階であり、実現性は決して高くないものの、世界を終わらせる方法が書かれた紙だ。ああいった手合いは、ここからの研究を続行し、世界を道連れに喜んで自分らのを実行しようとすることだろう。僕は汗を滲ませながら教授へ問う。


「・・・これを、どうすれば?」

「無責任な発言ということは理解しているが・・・君たちに、託したい。君ならば、この内容と、その危険性を理解できるだろう。君たちが去ったあと、誰が漁るかわからないこの場所に放置することだけは避けたいのだ」


 重いな。重すぎる。しかし、教授が僕らを信頼して託したものだ。放り投げる訳にはいかない。


「・・・わかりました」


 僕の返事を聞いた教授は、これを書いた人とはとても思えない柔らかい笑顔で僕に頷いた。

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