31 “再会”

──一月十四日、午後。西方辺境、ウスデンのカルデラ内。



 温暖で、心地よい風が頬を撫でていく。僕らはまるで春の森のようなカルデラ内を歩き、研究所へと近づく。

 気付けば何やら心が落ち着いていき、自然と周囲への警戒が解けていく。この状況下ではありえないはずの心境の変化だ。まずいな。


「既に・・・教授に“何か”されている可能性がある、周囲への警戒を怠るな」

「暖かくて気持ちがいいところね」

「警戒しろっつってんだろ」


 普段はかなり警戒心の強いフウでもこの有様だ。ハナなど歩きながら今にも寝てしまいそうな恍惚に近い表情をしている。ベルタとバヤルはまだしっかりと前を見ているが・・・アシハラの人により強くこの効果は働いているということか?

 僕はモノクルを調節し、魔素の観測に入る。・・・なんだ、これは。


「異常な密度の環境魔素だ。こんなのは見たことがない」

「つまり・・・ここら一帯の環境魔素をカルデラにかき集めた結果、周辺がその煽りをくっているということか」

「そんなところだろうな」


 ベルタもいつの間にか魔導学に対するそこそこの理解が見えるようになってきた。いいことだ。バヤルが片眉を釣り上げ、上空を見る。


「よくわかんねえが、俺はあの竜が不気味だよ。俺たちを食いにきたってわけじゃなさそうだけど・・・」


 竜は雲に大穴を開けたあとも、上空を旋回している。僕はモノクルに映るその姿を見て・・・ただ、驚く。ここまで近づいてはじめて解った。あれは、じゃない。途方もない密度のマナの塊だ。あれが光っているのは、その高すぎる魔素量によるものだったのか。いよいよもって、僕らを観察しているように思えてきたな。


 ・・・館へ近づくと、中にいるであろう人物の魔素が観測できる。フウに頼み整流をしてもらうと、それは徐々に輪郭を帯びてくる。・・・馬鹿な、多すぎる。五人だと?僕がそう思った瞬間、中の人影が、一斉にこっちを振り向く。


「ひィッ!」


 思わず情けない声を出して尻餅をつく。


「どうした?」

「な、中の人間に気付かれた。五人いる」

「観測を見破られたの?」

「こっちから何かを出しているわけじゃない。向こうの持つ魔素を、モノクルの特殊なレンズを介して見ているだけだ。原理的にはありえない」

「原理的には、ね・・・」


 人間の魔素を観測可能な距離まで近付いてのことだ。おそらく、向こうにも魔素を観測するための装備があるのだろう。意を決して扉へ近づき、ノックする。


『ど、どうぞ』


 ・・・頭に直接響くかのような不思議な老齢男性の声。戸惑っているようにも聞こえる。僕が扉を開けると・・・誰も、いない?だが、モノクルは何もない場所に、五人の人影を・・・魔素を捉えたままだ。・・・えっ、うそっ、これって・・・


「おっ・・・おばっおばけなんてぼ僕はしっ信じないぞ!非学術的だ!非魔導学的だ!」

「・・・何言ってるのあなた。誰もいないじゃない」


 フウが呆れ果てた顔で僕に言う。


「いっんだよ!五人!魔素だけの状態で!」

『・・・あっ』『あっ・・・ああ、済まないね』『悪かったね。こうなってから人に会うのは初めてなんだ』『初めてでね。人からは姿が見えないという点すら失念していた』『ようこそ』『ようこそ、私の研究所へ』


 一気に青ざめたハナとフウが後ろから僕に抱きつき、全員が驚きの顔に変わる。出処のわからない人の声に続き、僕らの前に立つ魔素たちのうち、一人の人影をなぞるように、少しずつその姿が実体化していく。


 黒い外套から覗く聖像のアミュレット。白いドレスグローブ。鍔の広い帽子。鳥を象ったマスク。


「グシュタール教授・・・」


 僕が呟くと、教授はとても嬉しそうに両手を広げる。


『もしや』『もしや君は』『ルカ・エト・ベルフェリエ君か!』


 やはり。僕の瞳に敵意が宿る。


『嬉しい』『こんなに嬉しいことはない』『君のマナの波長いろは』『長い時を経た今もなお』『なお、澄みわたる青い輝きを保っている』


 僕を、実験道具にして。


『君のお父上は』『北方領主は』『ベルフェリエ卿はお元気かね?』


 こんな地の果てに、自分だけの楽園なんか作って、のうのうとッ!


「・・・あなたに、伺いたいことがあります」


 可能な限り感情を抑えた声で僕は言う。


「まずは、顔を見せていただけますか」


 教授の動きがぴたりと止まる。歓迎の挨拶を無視することになったが、顔も見せない相手に礼を尽くす義理はない。


『そうか・・・』『そうだった。君は私と会ったときのことを』『あのときのことを、覚えているはずがなかったね』『あのとき、君はまだほんの赤子だった』


 教授の幻影が寂しげにそう言いながら、帽子の幻影を律儀に脇のラックへ掛け、マスクを外す。その顔を見て、僕は今まで途切れていたいくつかの線、その殆どがつながったような錯覚をおぼえた。憂いを帯びた、どこかお人好しそうな目。白い髪と体毛。垂れた長い耳に、長いマズル。


「・・・異人、だったのか」


 彼は病弱であると偽り、博士の子として人種を隠し魔導院に通っていたのか。・・・とはいっても、そんなこと完全に隠しきれるものじゃない。その能力を買い、魔導院も黙認していたと考えるのが自然だろう。魔導院への入門が異人には許されないというルールだって、監督する者が知らないフリをしているわけだから破ったことにはならない。

 魔導院へ入った彼は華々しい研究成果を上げるが、それは他の由緒正しい王国貴族出身の研究者が出した成果として発表される。関係する誰もにとって、有能だが名誉欲に欠ける教授の存在は都合の良いものだったんだろう。当人の名で成果を発表できない理由である、その人種も含めて。

 ・・・クソだな。クソのような話だ。ルクセンハイザー教授が異人への門戸の解放を目指しているというのが、当然のことと思えてきた。同じことを主張した自分でも、何度か荒唐無稽で無益な博愛平等主義かもしれないと疑ったりしたが、とんでもない。組織にとって都合の良い部分だけルールを無視し、制度を利用して他人の成果を食い荒らすような真似が公然と許されることなんて、あっていいはずがない。その是正を行おうとするならば、門戸の解放は最低の必要条件だ。


「教授のお父様って、王国の貴族じゃなかった?」


 フウの言葉に、教授は顎を撫でながら答える。その声は複数の同じ声が反響しているように、だが少しずつ違う内容でこちらへと伝わってくる。


『私は養子だよ』『養子、だったんだ』『赤子の頃、教会の脇に捨てられ、死にかけていたところを』『死にかけていたのだけど、ピエール・グシュタール博士に拾われたのだ』『当時、私達の種は法的に“人”ではないとされていたゆえ』『法的には養子と認められないゆえ、爵位などは継げなかったがね』『ああ、どうにも並列化していると』『ああ、並列化は、人との会話に向いていないようだ』『向いていないようなので、同期するとしよう』


 モノクルに映る五人の人影が、教授の幻影にすっと吸い込まれる。僕はそこで、教授がどのような状態にあるのかをようやく理解できた。


「・・・馬鹿な。そんな、馬鹿な。有り得ない。人間を魔素に還元して複製の上、並列パラレル化だと!?」

『おお、よくわかったねルカ君!残念ながら、意識インスタンスが・・・ああ、個別の意識体のことを私がそう呼んでいるだけだが・・・複数生成され、並列化してしまったのは予期せぬ作用であった。正確に言うと、私はジャンピエール・グシュタールというかつてあった個人の魔素流動モデルを複写して、この場に固定したものだよ』


 に戻った教授は人差し指を立て、講義のような口調で楽しげに補足する。


『主観的に見た場合“私”は確かに“私”であるわけだが・・・人間存在に不可欠な連続性という点が致命的に欠如していてね。それに、肉体からの生理的なフィードバックがないという点も、少なからず人格に影響を及ぼしているはずだ。生前の本人と同一の存在であるとは、とても断言しきれない。“ジャンピエール・グシュタールという個人の複製時点における記憶と思考様式、人格を受け継ぐ別個の存在”というのが正しいかな』


 この人は・・・人?人と言っていいのか?それすらもわからない。完全に理解を超越している。他の連中を見ても、ハナ以外は唖然として言葉を失っている。僕も、先程まで確かにあった怒りは完全に揮発し、ただ呟いた。


「・・・それって人間、なのか・・・?」


 思わず口をついて出た言葉だが、僕は以前フウに同じ質問をされたことを思い出し、はっとした。教授はやはり楽しげに、その場を歩き回りながら講釈を行う。


『私が人間であるかどうかを答えるには、人間という言葉の定義を確定せねばなるまい。人間とは果たして何か。非常に興味深い質問だね。哲学はわたしの専門ではないが、やはりそういった疑問に思いを馳せるのはとても楽しい。生物学的なヒトと、人間という存在。これらは同一であると、君たちは考えるかね?そこの・・・きみはどう思う?名前は?』


 教授は僕の後ろに立つバヤルを指す。


「俺はバヤルだ。・・・いや、なんつうか・・・同じじゃねえの?違うの?」

『ふむ。生物学的にヒトであることが、人間であることの前提という考えだね。バヤル君。そうすると、私は既に人間ではなくなっているわけだが・・・。ああ、法的に人間ではなかった七十年前の話は少し趣旨が異なるから除くよ。しかし困ったことに、現在の私の状態を示す言葉というものが存在しなくてね。一番近いのは、そうだな。ルカ君が言っていた“おばけ”という言葉になるか』


 からからとご老人らしい笑い声を上げる教授。いや、冗談じゃない。こんな談義をしに僕らはここまで来たわけではない。僕は教授に対する怒りを思い出し、なんとかそれを維持しようと試みる。


「ねえ、ユリちゃん・・・」


 うっかり、敵意を帯びた視線をそのままハナに向けてしまった。彼女は怯えて言葉を止める。


「す、すまない。つい」


 すかさず横からフウとベルタが口を出す。


「少し落ち着きなさい、ユリちゃん」

「そうだぞ、ユリちゃん」


 ・・・こいつら、その呼び名を教授に刷り込もうとしてないか?教授がまた楽しそうに頷く。


『今はユリちゃんと呼ばれているのかね?なんとまあ、可愛らしい名だろう』

「えっちょっと違っ・・・いや、違いもしないのか・・・?ああめんどくさい!」


 ハナは頭を抱える僕を諭すように言う。


「おねえちゃんにはね、このおじいさんがどうしてもわるい人には見えないの」

『善と悪、正義と不義、味方と敵。これらの言葉は極めて主観的、そして相対的だね。ゆえに私は君たちから“善人であるか”と問われても、自らをただ善人や悪人と分類カテゴライズし、回答を出すことが出来ない。君たちにとって私が善人であるか、悪人であるか。それは君たちにしかわからないことだ』


 教授は相変わらずその場を歩き回りながら、言葉に合わせてしきりに手振りをする。そして、ぴたっと止まり僕らの方を向く。


『そうだ。こうしよう。私は嘘偽りなく宣言する。私は私の善意に依って行動することを信念としている。これでどうかな』


 教授の言葉に、フウが肩をすくめた。


「ものすごく回りくどい言い方だったけど、いい人ってことね」

「おいおい、この特務、“悪の大魔法使いを倒してハッピーエンド”じゃないのか?どうなってんだ?」


 バヤルが頭を掻く。その動きと声には苛立ちが滲んでいる。


「僕だってそう思って・・・と思っていた。ここに死の大地を作った明確な元凶があって、僕たちがそれを解決する。そうすれば・・・」

『・・・死の、大地?』


 僕のぐずりに含まれた単語を聞いた瞬間、教授の目つきが変わった。はあ。話がまとまらない。このまま本題に入ろう。僕は一回深呼吸をして、仕事の声で彼に告げる。


「・・・ご存知、ありませんか?グシュタール教授。あなたには、北方領一帯、及び西方辺境領ウスデン一帯の環境魔素を操作し、内部における生命維持が極端に困難な領域、通称“低魔量地帯”を出現させ・・・北方領を滅ぼした嫌疑がかけられています」


 僕の言葉を聞いた教授は、胸元に下がるアミュレットを固く握りしめた。

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