30 “至天”
──一月十四日、午前。西方辺境、“冷涼なる月光”一族の大天幕。
「久しぶりだな、おっさん」
「族長様と呼べと何度言ったら判るんだ、この
口の悪さとは正反対に、満面の笑顔をした、異人ばりに毛むくじゃらなおっさんがバヤルの肩をばんばんと叩く。
「後ろの子らは?」
「今、国の仕事の最中でな。こいつらをウスデン山頂まで送るところなんだ。水と食料を少し分けてくれ」
紹介に与った僕は帽子をとり、手を差し出す。
「王都の認定ヴィジル、ユリエルだ。よろしく頼む。支払いは無記名手形でいいか?」
「こりゃまた偉そうな糞餓鬼だな。俺様は冷涼なる月光、ツェヴェンの息子、アマルツェヴェンだ。アマルでいいぜ」
こいつは絶対に月光なんてイメージじゃない。差し伸べた手を無視し、バヤルにした以上の力で僕の頭をばんばんと叩く族長アマル。今より背が低くなると困るな。僕が「子供じゃない、二十一だ」と言いながら鞄のポケットに手を突っ込むと、身分証を提示する前にアマルは唾を飛ばしながら大笑いした。
「年齢の問題じゃねえよ、糞餓鬼は糞餓鬼だ。高原の子らからカネなんか毟れるか、持ってけ持ってけ!」
タダで補給してもらえるなら助かるが・・・少々不愉快だ。僕はガキでも高原の子でもない。まったくもって論理的ではないな。その横ではバヤルが愕然とした表情でこっちを見つめる。
「・・・えっ、ウソ、
「そうだったのか。バヤルの年齢はもうちょっと上に見えてたけど」
「ほら、それより冷えてんだろ、茶ぁ飲んどけ、茶ぁ!」
──────────
僕らは大天幕を区切った一角、客間のような場所へ案内される。絨毯の上に置いたふわふわのクッションを椅子代わりにして座るのか。文化の違いを感じるな。どのように焚き火の熱を行き渡らせているのか知らないが、この天幕の中はどこへ行ってもかなり暖かく感じる。
「ただの熱いお茶がこんなにおいしいだなんてね・・・」
フウがしみじみと言う。確かに。寒さで強張った身体が溶けていくようにほぐれる。そんな僕らを、今度はひどく怪訝な表情でバヤルが凝視する。
「お前ら、本当にその茶平気なんだな。ベラン物産で言ってたことも全部が全部嘘じゃなかったのか」
「ん?ああ、よくシナモン入れて飲んでたよ。変わった香りだけど、飲んでるうちにクセになってきてね」
「王都で飲むものとはちょっと味が違う気がするわね。こっちのほうが甘くておいしいわ」
「はー、ホント変な連中だな。味が違うのは当たり前だよ。甘味の強いベラニエの葉が一緒に煮出してあるからな。それが本来の味だ」
僕らの動きが固まる。
「・・・ご禁制の?」
「こっちじゃ大丈夫だよ。それに、蕾や種子と違って、葉を茶として飲む限り毒性はない、らしい」
・・・らしい、か。まあいい。それならそれで、王都では飲めない味ということだ。今のうち堪能しておこう。ベラニエの蕾の効能は確か・・・“意志強度の増長”。それは葉にもあるのかな。体感ではよくわからない。
「・・・ハナはどこへいった?」
ベルタが少し焦った様子で辺りを見回す。・・・天幕の中には見当たらない。やばいな、外へ出たか?僕は茶を座っていたクッションの横へ置き、天幕の布を捲る。
「うわあ、すっげえ元気」
外には、寒風と少しの雪が舞う中、一族の子供らと走り回るハナの姿があった。・・・僕は彼女らの上空、分厚い雲の中に淡い光を引く特徴的な影が見えるのに気付く。
「あれが・・・」
いつの間にか横にいたフウが言葉を漏らす。僕は以前、王都の鴻鵠亭であれを見たときのことを思い出した。
「竜だ。以前見たときよりずっと低く飛んでる・・・」
ハナとベラティナの子らも気付いたようだ。空に手をかざして竜を呼んでいる。・・・まさか、僕らを追って・・・いや、観察・・・あるいは監視している?なんてことはないか。もし追ってきているのだとしても、アレが本当に“災厄を呼ぶ”のかどうか、もう少しすればわかる。僕は少し諦めの入った表情で微笑った。ここまで来たんだ。ウスデンのカルデラへ行ってみるしかない。
──────────
「なんだもう行くのか。もっとゆっくりして行けよ」
アマルが残念そうに言うと、バヤルが肩をすくめる。
「山頂まではそうかからない。泊まれそうな状況じゃなければ今夜には戻ってくるさ」
僕は紙片にオズボーンの所属と名前を書き、アマルに手渡す。
「手間をかけさせて済まないが、三日・・・いや、五日間、僕らが戻ってこなければ、ここへ連絡をやってくれ。“特務は失敗”だと。くれぐれも、絶対に、ウスデン山頂まで助けに行こうなどとは考えないでくれ、いいな」
アマルの表情が変わる。
「・・・ああ、知ってる。あの山へ入って、帰ってきた者は、ここ二十年で一人たりともいない。貴様らも、くれぐれも、絶対に、死ぬんじゃねえぞ。年寄りより先に死んでいいのは、もっと年寄りな奴だけだ」
やはり、この人もぶっきらぼうに見えて、とんだお人好しだな。数時間前に初めて会っただけの僕らを、これほどまでに親身に心配するとは。
草原に生き、命を育み、命を喰らう昔ながらの生活をしている連中だ。カネと権力の世界である王都に暮らしている連中より、よほど命の重さを識っているのだろう。
「今日死ぬつもりはないよ。それじゃ、また」
「ああ、また数日後にな」
淡々と別れを済ませる僕らの横で、ハナが涙と洟でぐしゃぐしゃになりながら子供らへ手をふる。早い早い。数時間遊んだだけだろうお前たち。
──────────
──三時間後。西方辺境、ウスデン死火山。
北方と同じだな。ウスデンの六合目・・・綺麗な線上に分かたれた低魔量地帯より上には、一切の植生が見られない。山頂まで続くゆるやかな斜面には、点々と岩が転がり、遠目にはわかりにくいが・・・おそらくは死体が見える。違いは、それらの上に薄っすらと雪が積もっていることくらいだろう。
僕が環境魔素を保持出来る範囲は、ちょうど荷馬車一台が収まるかどうかというあたりだ。念の為モノクルで魔素観測を行いつつ、バヤルに荷馬車を前進させる。
・・・やっぱり、来るか。干からびた死体のようなものが、僕の保持する魔素領域に近づいた途端、極めてゆっくり、ずるずると這い寄ってくる。減衰されてなお風は強く、声が通りにくい。バヤルが大声で荷台へ叫ぶ。
「おいおいおいおい!ふざけんなよ!こんなん
死体・・・と呼んで良いものなのか。それらはうめき声を上げ、理性を感じさせない動きをしている。助けを乞うているようには見えない。人種はベラティナか。“度胸試し”をしていたという連中かな。
ひとつ気になるのは、北方領で動いた死体は意識を辛うじて保っていた一つだけだったということだ。見た目から完全に死んでいるこいつらとは違う。この動く半死体は、素体が死に、ある程度の時間が経過することで完成するのだろうか。
「理性の無い半死体が本能だけで、動くものか魔素を感知して追ってくるのならば・・・取れる手段はひとつしかないな」
「ただ山に入ると死ぬ。“気”を保持したまま入ろうとすると、動く死体が兵隊となってそれを襲う。それで死ぬとまた次の兵隊になるってとこかしらね」
「とんだ
フウとベルタがそう推測するが、果たしてどうだろう。“城を守る兵隊”としては少々脆弱にすぎる気がする。所詮ただ動くだけの死体だ。・・・いや、低魔量地帯ならそれだけでも十分ということか?驚いて逃げれば良し、逃げ出さなくとも、足止めさえできれば普通はそれで相手が勝手に消耗して死ぬ。
「済まない、僕はマナを保持していると魔法を使えない。対処は頼めるか?」
今更だが、僕は普通の人と魔法の発現方法が根本的に異なる。
僕の体質は一言で言い表すと、環境魔素と固有魔素の境界がないということだ。 通常、魔法は体内の固有魔素を、その出口たる宝玉を通して投射し、意志干渉をかけ発現させる。僕の場合は周辺の環境魔素をそのまま扱えるため、環境魔素を練って投射し、それに意志干渉をかける。だから出口たる宝玉も必要ない。つまり、僕が今魔法を使うということは、領域内に保持している環境魔素を外へ放出するということであり、それは例えるなら、呼吸のための限られた空気をむざむざ使ってしまうようなものだ。死体の対処は他の連中に頼むしかない。
ハナは死体が怖いようなので荷馬車に留めておくしかない。ベルタとフウが荷台から飛び降り、近付いてくるモノに止めを刺してまわる。そのまま馬を興奮させないようゆっくりと坂を上がっていく。・・・そのうちに、寄ってくる死体の人種が変わる。王国のヴィジルと衛兵だ。
「前回の特務の連中・・・二十名規模、と陛下は仰っていたか」
「ユリエル!これはどうする?」
ベルタが斬首した死体の懐にあるものを見つけ、取り出す。書簡か。僕は荷台の上からベルタに向かって叫ぶ。
「彼らは・・・公式の記録上では“任務中行方不明”のままになっていたはずだ!身元の証明になるだろう!持って帰ろう!」
灰色の世界で色を留める魔素の
「くそっ、なんて光景だ!デンスに話してやりたくなってきたぜ!」
「悪いが、我慢してくれ!せっかく生還しても機密漏洩で首吊りじゃ割に合わない!」
「ははは、畜生め!解ってるよ!ああ、凍傷に気をつけろよ!せっかく生還しても、耳と鼻がなくなるぞ!」
僕は応えず、襟を鼻まで上げる。
・・・どれほどの時間が経っただろうか。一瞬にも感じたし、とても永くも感じられた。ベルタとフウが四十近い半死体を始末し、僕らはカルデラの
「・・・ははっ、なんだ、これ」
思わず乾いた笑いが漏れる。常軌を逸した光景・・・カルデラの内側には、周囲から完全に隔絶され、周辺の植生を完全に無視した、“静謐な泉のある森”が広がっていた。小鳥と蝶が舞い、木々のたもとには花が咲き乱れる。泉のほとりに建つのは、蔦の這う一軒の白い建物。あれがグシュタール教授の研究所だろう。
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