10 “クレルの森にて II”

──十月十三日、未明。クレルの森、廃坑前。



 僕はモノクルの竜頭をまわし、二枚のレンズの接合角度を調整する。竜珪石で作られたレンズを通る可視光量がやや減り、それに代わり魔素マナがぼんやりと光るように見える。これで人間の持つ固有魔素を観測し、索敵に利用するわけだ。

 奥には廃坑。その手前左手に丸太を組み合わせて出来た三階建て木造の宿舎。右手にはやや小さめの小屋。窓がある。物置ではないな。管理人の小屋かなにかか。


「それ、ずっとアクセサリだと思ってたけどそういう使いみちがあったのね」

「内戦の前に奮発して買ったものでね、そこそこ高価な魔道具だ」

「ぼくにも見せて!」

「あっコラ!」


 ハナが僕からモノクルをひったくり、右目にかける。


「あれっ何も見え・・・おえっ、きもちわる・・・」

「オーダーメイドで、使用者の固有魔素の波長に合わせて調律チューニングしてあるんだ。だから高くなる」


 僕はモノクルを奪い返し掛け直す。


「まったくもう・・・三階建ての中に十人を越える反応。建物正面に二人、見張りか?あとは奥の小屋に一名の反応・・・ほぼ動きが見られないな。本当に寝ているのか?」

「好都合だな、想定以上だ」


 ベルタがそう言いながら刀に手をかける。確かに。僕は四人以上の見張り、そして残り人数の半分近い別働の警戒部隊に周囲を巡らせているという想定を全員に話しておいた。そうされていたら多少の危険もあったが、まさか本当にこんな程度の相手とは。思わずにやけてしまうが、油断は禁物だ。


「楽勝パターンの作戦Aは覚えているな。征くぞ、“山狗ヤマイヌ”諸君」


 僕は外套をばっと開き、振り返らずに三人に言う。タイレル卿の言った「山狗ちゃんたち」という表現が妙に気に入ってしまっていた。


「いちいち偉そうなのよこのちびすけが」


 フウが水を差す。せっかくかっこよく決めたのに・・・



──────────



 茂みの中から宿舎の裏手に回り込み、僕が「四重詠唱クアドラプルキャスト」の準備を開始する。高度な補助法術のひとつで、ひとつの魔法に本来の数倍のマナを注ぎ込み、威力と範囲を大幅に引き上げるものだ。準備に数分を要するので、戦闘中にはのんきに使えるものではないが、奇襲の一撃としてこれ以上のものはない。

 その間にベルタが正面へ回り込み、見張り二名が悲鳴を上げる間もなく首を刎ねられる。物音に気づいて動く奴もいなさそうだ。いけるぞ。


 準備完了だ。僕は四重詠唱で、三階建ての宿舎全体を包み込むよう「催眠」を発動する。これで起きている者や眠りの浅いものは直ちに深く寝入り、既に寝ている者は数日は目が覚めない、昏睡に近い状態となる。建物の外からでは手応えがわかりにくいが、これは確実を期すための保険のひとつだ。わざわざ成果を確認する必要もない。


「よし、これでほぼ安心だ」

「なによこれ、本当に楽勝じゃない・・・」

「次だ、隣の建物で寝てる、おそらくは“指揮官”を捕らえよう」


 僕は隣の小屋の窓を覗き込む。中で寝ているのは虎髭の男。ベッドの横には傭兵としては少しだけ立派な装飾つきの長剣と鎧が置かれている。指揮官で間違いなさそうだ。

 僕は窓越しに催眠をかける。こいつはあとで起こして話を聞きたいので、今すぐ起き出さなければ、効きは軽めで構わない。


「今だ」


 合図でドアを蹴破り侵入したベルタが、虎髭を縄で縛り外へ放り出した。

 ここまではきわめて順調に推移している。さて、“仕上げ”だ。できるだけ素早く、近くに積まれていた干し草の山を宿舎の正面入口に積み上げる。そこに僕が魔法で火を放った。


「フウ、お前の出番だ」

「わたしの術は本来、五穀豊穣のためのものなんだけどね・・・」


 フウは南東の文化に根ざしたシャーマンだ。その術の基本は“稲作に向く天候操作”にある。雨を降らせる、風を吹かせるといった類のものだ。人体能力を向上させる類のマナ操作も多少できるようだが、あくまで農作業のための補助的なものなので、そっちについてはそこまで強力なものではないそうだ。

 フウが杖をゆっくりと持ち上げ、不規則に動かす。するとだんだんと周辺から風が吹いてきた。新鮮な乾いた空気を送り込まれ続ける干し草の炎は、瞬く間に建物へと引火し、その勢いを拡大させる。僕はモノクルで宿舎の中の魔素マナを観測し、動きがないことを確認する。この時点で誰も気付いていないのならば、もうあとは起きるか焼死する前に煙で窒息するだろう。


 依頼遂行完了ミッションコンプリートだ。



──────────



 僕は薪割り台のところに置いてあった斧を手に取り、横で見ていたハナに手渡す。


「持っておけ」

「えっ?う、うん・・・」


 にはウォーピックよりこちらのほうが都合がいい。


「・・・しかし、こんなにラクだとはな・・・」


 まさか、戦闘らしいもののひとつも起こらないとは・・・こんなのでいいのか、本当に。四年前の内戦を生き抜いた傭兵団なんだろう?


「ユリエル、そいつが誰かとやりとりしたであろう書類がいくつかあるぞ」


 小屋の方からベルタが声を掛けてくる。


「わかった。ベルタは書類を確認して、面白いものを見つけたら持ってきてくれ」

「・・・ユリエル、ヒゲが起きたわ」


 虎髭の男を見る。うつろに目を開いてはいるが、おそらく状況を把握できてはいまい。


「こんな状況で呑気な奴だ」


 声をかけると、少しだけ身体をよじるのが見えた。


「あなたの催眠が効きすぎたんじゃないかしら」


 フウの一言で、ようやく虎髭の男は状況を悟ったようだ。唾を飛ばしながらこちらへ怒声を吐き、威嚇してくる。


手前てめェら!何モンだ!こんなことをしてタダで済むと・・・」


 後ろ手に縛られながら凄まれても・・・少し腹が立ったので、目の前にしゃがみこんで挑発する。


「さすがに、タダじゃないな。でも、お前ら十五人の首で合わせて三千。一人頭二百か。鹿五頭分とは、やっすい首だ」

「ガキが!ふざけるなァッ!!」


 ほどなく、ベルタが小屋から紙片を持ってきた。


「これを」


 手紙か。・・・えーと、“「E」へ、我々の互恵関係はうまく機能している。引き続き南の客人の世話をする限り、我が主は手を出さないであろう。本日の夕刻にはサントゥールの上物を贈る。祝杯でも挙げたまえ。「T」の使いより”・・・


 ・・・あー、なんだ、そういうことか。ここでいう「T」──タイレル卿はこいつらを手駒として、“南”──エラニアの隊商を襲わせてたけど、切り捨てることにしたってわけだ。大方国王派の貴族かエラニアの連中にバレそうになったんだろう。早いうちに切り捨てたいが、私兵を送り込むのは目立ちすぎる。だからこの話を自警団組合へ持ち込み、タイレル卿と顔見知りで秘密を守れそうな僕に、名指しで引き受けさせなければならなかったんだ。

 タイレル卿は特に南方領エラニアの勢力と険悪な関係の“議会派”重鎮。先の内戦から、様々な税的優遇を得ているエラニアとその業者に対して、個人的にか組織的にかはわからないが、嫌がらせをしていたんだろう。


 このあたりの合点がいくと、こいつらがこれだけ無警戒で寝ていたのにも説明がつく。傭兵団の連中は、王国の貴族、ひいては王国そのものが味方であると、盛大な誤解をしていたんだな。いち貴族の、私的な、ただの捨て駒なのに。


 ・・・虎髭がまた何かを喚く。人が考え事をしているときに、うるさいやつだ。


「いいか手前ェら、俺らの背後バックには王国貴族が・・・」


 何を今更。


「タイレル卿か?」


 虎髭の表情が凍りつく。まさか、こちらが気付いてなかったとでも思っていたのか?完全に優位な立場からの会話ってのも、たまには楽しいものだな。


「ああ哀れに、ご主人様に捨てられたんだな」


 話を訊こうと生かしておいたが、この一通の手紙だけで知りたいことは全部わかった。特にタイレル卿の目論見がわかったのは大きい。これで対策も立てられようというものだ。こいつは、用済みだな。


「良い事を教えてくれて大変ありがたい・・・が、卿は全員の首をご所望だ。正確には左耳を持って帰るんだが、まあそんなことはいいか。ハナ!」


 ・・・さて、時間だ。これからのことを考える限り、ハナにはどうしても“人を殺すこと”に慣れてもらわねばならない。今はきついかも知れないが、結果的にそれが彼女の人生を良い方向へ導くんだ。僕は自分にそう言い聞かせる。苦い顔になりそうなところを、堪える。


「・・・ユリエル、やはり、今じゃなくても・・・」


 ベルタがささやくように言った。


「僕はたとえ自分が地獄に落ちてでも、本人から恨まれようともあの子らを救う。そう決めたんだ。決めたことは責任を持ってやり抜く。そのためなら喜んで悪役にでもなる」

「どうして、そこまで・・・」

「・・・すれ違っただけの彼女らを、その人生ごと救おうと決断したベルタには敵わないさ」


 これは本心だ。おそらくこの子らに会う前の僕が奴隷商の馬車なんかを見かけたところで、何も思わずに素通りしていたことだろう。その時、偶然にもベルタが通りがかったという幸運だけが、彼女らの運命を大きく変えた。ベルタに出会えなかったは今頃、日の当たらないところで名前も知らない物好きの金持ちに買われ、悲惨な人生を歩んでいることだろう。・・・この子たちを再び同じレールに戻すなんてこと、今の僕には到底できはしない。


「ユリちゃん、やっぱり、やらなきゃ駄目・・・?」


 ハナの震える声。彼女には事前に、最後の敵のとどめを刺すよう、その意義も含めて伝えてある。訴えかけるような視線に、僕の決意が早くも揺らぐが、それを声に出してはならない。同情心を押し殺し、可能な限り無感情な声で答える。


「ユリちゃんって言うな。それにこれは必要なことだ。練習できる機会なんてそうそうないぞ」


 それを聞いた虎髭がわめく。


「何だ、何をする気だ!」

「悪いけど、うちのお姫様の練習台になってもらいたくてね」

「おいやめろ!やめてくれ!お願いだ!」


 たかが蒸留酒アクアヴィタのために他人を殺す人間が、自分だけは殺されないとでも思っていたのか。


「あまり動くな。死にそびれると苦しいぞ、たぶん」


 僕は燃える宿舎に目を移し、ハナに命じる。


「やれ。目は閉じるなよ」


 動揺を悟られないよう、軽口を叩き続けなければ・・・


「ああ。そういえば、さっきの何者かって質問、答えてなかったな。・・・“ヴィジル登録自警団員”だ」


 鋭い金属音。・・・首を刎ねた音ではないな。振り返ると、ハナの振るった斧をベルタが刀でいなし、外させていた。そのままベルタは男の首へ音もなく刀を刺す。


「・・・こんなの、見ていられるか・・・ッ!」


 僕は若干の安堵を感じつつも、不機嫌な表情を保つ。これでは、問題を先送りするだけだ・・・。



──────────



「で、こいつらがタイレル卿の手駒だってのはわかったけど、それでどうするの?卿を脅すつもり?それとも密告?」


 フウはやはり強いな。十五人の人間を手に掛けたというのに、動揺が見られない。


「まさか。こういう秘密の共有こそが、こと貴族との関係においてはの深さに繋がるんだ。握った上で有効活用させてもらうさ」


 僕は先の“手紙”を、燃え盛る宿舎の中に投げ込む。


「ハナ、気分はどうだ?」

「ん・・・だいじょうぶ・・・」


 そうは言っているが、顔色が良くない。これ以上あまり無理はさせないほうがいいだろう。


「・・・ベルタ、済まなかった。君が止めてくれた時、僕は少しほっとしたんだ」

「そうか・・・」


 ・・・いずれこうせざるを得ない時が来ると、ハナが考えてくれればいいか。僕はそう思うことにする。

 僕らの背後では、燃え続ける宿舎が大きな音を立てて崩れはじめた。



──────────



──十月十四日、午前。王都中央特別区。



 タイレル卿の屋敷が視界に入る直前の曲がり角。僕はそこで足を止めて振り返る。


「・・・フウとハナはここで待っていてくれ。もし屋敷の方から大きな音や叫び声がしたら、後ろを振り向かずに逃げろ」

「ちょっと、なにそれ」

「口封じが行われる可能性が若干ある。僕らは二人を外に残すことで、それに対する何かしらの手を打ってあるよう見せかける。ブラフってやつだな」

「・・・ユリちゃんとべーやんは、それでだいじょうぶなの?」


 ハナが僕の高さに目線を合わせ、心配そうに言ってくる。僕はその頭を撫でた。


「なに、念の為だ。はったりは得意な方だ」



──────────



──十分後。タイレル卿の屋敷、応接室。



「──一人残らず、建物ごと灰にしてきました。予想以上に簡単でしたね」

「でしょう!?傭兵団なのに、無警戒にもほどがあるわよねェ!・・・それで」


 卿の声のトーンが急に下がる。無感情な、極めて冷徹な声。


「連中は何か言ってた?」

「いえ、。閣下」


 ・・・数秒の沈黙。対応は間違っていない、はずだ。


 卿がニッ、と笑う。


「そうよねェ!殺されかけた賊が恐怖と混乱で何を口走ったかなんて、忘れちゃうわよねェ!」


 ・・・この口ぶり。依頼遂行中の僕らの近くに、手の者でも潜ませていたのか?やはり油断は出来なかった。卿が三回手をたたくと、応接室のドアが開き、完全武装の私兵数名が入ってくる。おそらく、手をたたく回数がサインなのだろう。冷や汗が首筋を伝う。まだ、彼に僕らは殺せない、はずだ。


「ご褒美、奮発しちゃった」


 卿がそう言うと私兵の一人が、蝋印のついた封筒を僕に渡す。・・・三千の厚さではない。


「ユリエルちゃん!あなたやはり、かわいいだけじゃなく素晴らしいわァ!これからもよろしく頼むわねェ!」

「・・・ありがとうございます」


 ・・・終わった、か。ふう、疲れた・・・



──────────



──二十分後。王都中央特別区。



「・・・な?」


 僕は可能な限りの得意げな顔でみんなに封筒を見せる。


「なにが“な?”よ。冷や汗ダラダラで膝も笑ってるじゃない」


 困ったことに、殺されたかもしれないという恐怖は今になって僕に襲いかかってくる。表情は作れるが、生理現象はどうにもならない。ハナが心配してハンカチで拭いてくれた。

 ベルタが僕の手から封筒を取り、中身を検める。


「・・・八千か。事前の約束の倍額以上。それに加え、王国議会派とのコネ。・・・貴族の下らない裏稼業に手を貸す後味の悪さを我慢しただけの報酬ではあるな」

「それに僕らは“ただの自警団員”だ。彼の部下じゃない。よしんば卿が失脚したところで、そのあおりを食わない立場ってのは、悪くないもんだぞ。用済みと切り捨てられることもない」


 うまく立ち回れば、僕らはさほど大きなリスクを負わずに、この国で悪くない立場まで行くことが出来る。その予感は、今回の依頼で確信に近くなった。


「大丈夫、僕らにならできるさ」

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