08 “死者とダンスを II”
──十月八日、午後。旧北方街道、ベルフェリエ領境付近。
「ここまで、明確に別れているもんなんだな・・・」
「なによこれ・・・本当に死の大地じゃない」
僕らの少し先に、低魔量地帯──“死の大地”が広がる。僕らのいる側との境目は、線状と表現するにふさわしいほどくっきりとわかれており、そこから先には立ち枯れた木が墓標のように並ぶばかり。他には一切の植生が見られない。ひと目見ただけで、これはやばい場所だとわかる。こんなところに突っ込んでいくとは、賊どもはよほど焦っていたのだろうか。
「試しにちょっと入ってみるか?数秒程度なら不可逆な影響はないらしい」
「やってみたい!」
ハナが躊躇なしに入っていく。
「なにこれ、すごい!」
手が届くほど近くにいるハナの声が、まるで遠くのように聞こえる。
「すごく静かで、それに・・・色が・・・ない!」
僕も聞いた話ではあるが、内部では環境音が全くといっていいほどしないらしい。また、人間の目に影響を与えるのか、光そのものに影響を与えるのか・・・原理は不明だが、低魔量地帯の内部では色を見ることができないそうだ。
「結構面白いだろう」
「うん!」
「ちょっとわたしも入ってみようかしら」
次々に中へと入っては、外から声をかけたり石を投げてみたりと遊ぶ班員たち。楽しそうで大変結構だけど、テッドが説明してくれた通り、遊び場にするにはやや物騒な場所なんだよね・・・
低魔量地帯がどうして危ないのか。死ぬからというのもまさにそうだが、それ以前に内部の調査自体があまり行われていないのだ。つまり、どちらかというと「何が起こるかわからない」ゆえ危ない、という意味といえる。
北方領の低魔量地帯は二十年近く前に突如として生じ、飢饉で滅びかけていたベルフェリエに事実上の終止符を打った。それまでに環境魔素が薄まるなどという事態が発生した前例はどこにもない。この中で生じることについては、迷い込んだ人、逃げ出せた人からの僅かな証言によるものばかりだ。
・・・このあたりの外縁部ではいくらか魔導院による実験が行われたらしいが、あまりにも“外”との結果が違いすぎて、逆に謎を増やすばかり。解明の手かがりは皆無であった、と学生時代に聞いた。
低魔量地帯の領域に手を入れながら、ベルタが問う。
「成算がある、といったな」
「ああ。僕の体質の話、覚えてる?」
フウが真っ先に答える。
「“毛がはえてない”?」
「うるさい」
「“精神年齢が低い”?」
「余計なお世話だ」
「“ファッションセンスが悪い”?」
「そろそろ、泣くぞ・・・」
「・・・“周辺の環境魔素を使える”?」
「それだ。はあ・・・」
盛大に溜息をつく。なんで僕は罵倒されているんだろう。
「手の届く範囲の数倍程度の距離であれば、僕はある程度環境魔素を扱える。つまり、今いる場所の魔素をその領域内に留めたまま歩けば、まるで水中を透明な瓶を被って呼吸したまま歩くように進めるかもしれない、というわけだ」
「便利な話ね」
「ただ心配もある。人間が低魔量地帯の中に入ると、徐々に体内のマナが減っていく。予想でしかないが、僕が周りにマナを保持して中に入っても、外側からだんだんマナが蒸散するようになくなっていく可能性もあるんだ」
「まあ、どちらにせよここまで来たんだ。やるしかない」
そう言いながらベルタが台車の取っ手を持ち上げる。
「範囲はそこまで広くない。陣形を組んで崩さないように進もう」
──────────
結局、“陣形”はこうなった。
台車を引くベルタが先頭。台車の上に僕が乗り、左右にフウとハナ。
「なんか護衛させられてるみたいで腹立たしい配置ね」
「まあ私は構わないが。大して引く重さもかわらない」
「いいなーユリちゃん。台車の上楽しそう」
「僕が中心にいないとしょうがないだろう。それに、マナの保持をし続けるわけだから、多少の集中は必要だ」
実際はただこれ以上歩きたくないだけなのだが、それっぽい屁理屈で取り繕う。
「それじゃ早速進もう」
・・・が、その謀略は台車が動き始めて数秒で崩れる。
「いてっ、ぬあっ、うふゥっ」
「うるさいわね!」
「ぶッ!」
フウが僕の頭をはたく。ここは長いこと人の往来のない旧街道。路面の状態が極めて悪く、台車がひどく跳ねるのだ。しりが、腰が、痛い。なんだこれ、集中どころじゃない、歩いたほうがマシだ。
「ご、ごめんなさい。やっぱ普通に歩きます・・・」
・・・家が買えるほどのまとまった金が手にはいったら、全員分の馬を買うのもいいかもな。
──────────
それから十分くらい歩いただろうか。“それ”は呆気なく見つかった。
遺体はすべて、“こちら側”に向かって倒れていた。つまり、引き返そうとしたが間に合わなかった、といったところだろう。奥に行ったまま死なれていたら、下手すると片道一時間は歩くことになったかと考えると、戻ろうと決断した彼らには感謝すべきか。
「思ったより・・・その、なんというか、普通ね。多少顔色が悪いだけで、道端でただ寝てるようにも見えるわ」
「そこがおかしいんだ。温度と湿度が低いから腐敗はしなくとも、干からびてすらいない」
「やはりか」
ベルタの指摘どおり、遺体の状態は“良すぎる”。あらゆるものが動きにくくなるという低魔量地帯においては、腐敗や乾燥などといった現象も同様なのだろう。
僕らは状況のスケッチとレポートをまとめ、終わったものから順に麻袋で包み、台車へ積んでいく。フウは「三千ミナ、三千ミナ・・・」と繰り返し呟きながら頑張って手伝ってくれるが、ハナはやはり状態が悪くないとはいえ死体そのものが恐ろしいようなので、横で待機させる。少し離してあげたいが、僕が保持しているマナの領域外に置いておくのはさすがに危険だ。
「この分ならすぐ終わるな。あとはあの崖を・・・」
「ユリちゃん!」
「ユリちゃんってい・・・」
「後ろッ!」
後ろ?僕は振り向き、身の毛がよだつ。台車に積んだ“遺体”のひとつが麻袋からゆっくりと這い出しつつあり、こちらへ動いてきていたのだ。
「なあああああああッ!」
僕はパニックになり、尻餅をついて後ずさる。ベルタが刀を抜き付けるが、首筋に当てたところでぴたっと止めた。
「どうした!なぜ止める!」
「この死体、今・・・」
「み・・・ずを・・・」
死体が喋った・・・!いや、違う、馬鹿な、生きている!?二週間経っているんだぞ!
──────────
男の口に革袋から水を含ませる。この男からなんとか話を聞いておきたかったが・・・残念なことに水をふた口ほど啜ると、男は満足そうに、とてもゆっくりとした溜息をひとつつき、本当に死んでしまったようだ。瀕死の人は助けられた安心感で緊張の糸が切れ、事切れてしまうことがあるというが、そういうことだろうか。
「二週間も倒れたまま助けを待ち続けていたとは・・・」
「そういうことって、ありうるものなの?」
「“普通”ならまずないけど、なんせここは低魔量地帯だ」
可能性として考えられるのは、倒れてからずっと冬眠のような低代謝状態にあり、僕のマナの影響を受け目が醒めたってところだろうか。
「お兄さん、亡くなっちゃったの?」
ハナが横から問う。僕はゆっくり頷く。
彼のポケットをまさぐり、“何か”を探す。・・・これか。手に触れた小瓶は、ご禁制の
「ユリエル。気のせいかもしれないが、冷えてきていないか・・・?」
ベルタが左腕をさすりながら言う。僕はどきっとして周囲を見回す。目に映る色が、明らかに薄くなってきている。周りに纏わせた魔素が薄くなってきているようだ。こころなしかベルタの声もやや遠く聞こえた気がする。
「まずい、時間切れだ、走って戻るぞ」
走りながらふと思う。・・・あー、もしかして・・・この人が動いたときに僕がびびって、でマナの保持を弱めてしまったせいかな?みんなには黙っておこう・・・
──────────
──十月八日、夕方。王都学術区、魔導院。
「──報告は、以上です」
「おお、おお。なんと・・・生き物の“死”までもが、遅く訪れる場所とは・・・やはり想像を絶するところだね、“低魔量地帯”というのは」
僕らは遺体を研究員に引き渡し、バルトリア博士に報告した。そして、この依頼を受けたふたつめの目的。それについて博士に切り出す。
「・・・ご依頼の件とは別に、相談があるのですが、よろしいでしょうか」
博士は長い眉の間からクイッと目を見せる。
「ふむ。君たちは、立派に職務を遂行した。・・・わたしに答えられることであれば、何なりと」
博士の言葉が途切れなくなっていることに気付く。声のトーンも低い。今までになく真剣に聞いてくれているようだ。ありがたい。
僕はベルタに目配せする。察してくれたようで、ベルタはハナを連れて部屋の外へと出ていく。
「まず、教授の専門分野をお伺いしてよろしいでしょうか」
「専門・・・?とりあえず、一番得意なのは人体治癒術の類だよ。今のことばで言うところの・・・」
「魔導医学・・・!」
「おお、おお。お嬢ちゃん、よくご存知だね、そのとおり」
フウが身を乗り出す。そして僕を見た。僕はそれに頷いて、続ける。
「僕のある友人がショック状態から幼児退行・・・というんですかね、精神的に子供へと戻ってしまい、もとに戻す手段を探しています。魔導医学でそれは可能でしょうか」
教授がしきりにひげを撫でる。フウは両手を合わせ回答を待つ。
「・・・残念ながら、わたしたちには難しい。なにせ、肉体的な傷病にかけての専門家だからね」
「そう、なの・・・」
「おお、おお。落ち込まないでおくれ、お嬢ちゃん」
そう簡単にはいかないか・・・。続いて“ふたつめ”の質問。
「では・・・例えば“北方壊滅の言い伝え”にあるような、人間にその土地の環境魔素を注入するような芸当が出来る人間をご存知ですか?」
「なかなか、興味深い質問だね。常識的には“存在し得ない”と断言するべきではあるが・・・あるいは、そうだな、グシュタールくんなら・・・」
「グシュタール・・・」
午前中にも聞いた名だ。博士は“グシュタール”という男について滔々と語りだす。
「彼は、またなかなか偏屈な男だったが、いわゆる・・・天才、というやつでね。今の“魔導学”、あれの基礎理論の大部分を、独力で作り上げてしまった。・・・例えるならば、それまでひとつずつの点として研究されていた魔法を、“魔素”という面で捉え、体系化せしめたのだ」
魔導学を独力で?おかしい、魔導院がその知見を結集して生み出したもの、と聞いていたが・・・
「僕もかつて魔導学院にてご指導賜りましたが、そのグシュタールさんという方の名はお伺いした覚えが・・・」
「おお、おお。やはり君もまたわれわれの教え子、だったんだね」
博士は嬉しそうな顔をして話を続ける。
「グシュタールくんの名を聞いたことがないというのも仕方ない。彼は研究と教育にきわめて熱心な男だったが、世間的な評価というものには一切目もくれない男でもあってね。生涯“
・・・生涯?いま、生涯といったか?
博士の表情が陰りを帯びてくる。
「こんにちの魔導学を築く多くの論文、多くの実験結果、それを残した多くの
バルトリア博士は天井を仰ぎ、目を瞑る。
「やはり、“魔法使い”としての経験だけでは、限界が見えた。そして望む成果は、とても芳しい餌のように眼前にぶら下がっている。・・・最終的には、彼の理論に縋ることになってしまった」
この博士は、今とんでもないことを言っていないか。魔導院の今の隆盛と、その礎を成す魔導学の確立。それは実質ある一人の男の手によるものであった。今の“権威”たちはただ彼の研究を剽窃して、自分らで作り上げたように見せかけている、と。肝心のグシュタール教授本人にその気がなかったようだから、その業績を広める一助にはなった・・・と考えられなくはないが、無理があろう。
僕は思わず、外套の留め具についている魔導院の紋章を握る。
「ただ、彼はね・・・疲れてしまった、ようだ。二十数年前に、ふと姿を消してしまった。ただ、親しかったわたしとエーリカ・・・エーリカ・エメ・ルクセンハイザーにだけはしばらくの間、伝書鳩を飛ばしてくれたよ・・・」
バルトリア博士の言葉が途切れる。僕は気になっていたことを尋ねた。
「博士、先程“生涯”とおっしゃいましたね。もしかして、グシュタール教授は、もう・・・?」
天井を仰ぐ博士の視線がこちらへ移る。その目に涙が光った。
「・・・正直なところ、わからない。わたしは今年、百と三歳になる。彼は、私より五つ歳下の・・・そう、最も仲の良い、同僚・・・いや、親友、だったんだよ」
そうか。これは、嫉妬にかられ、親友を利用して成り上がったことへの、懺悔でもあったのか。
「ご存命であれば、九十八歳・・・」
・・・厳しい、か。博士も、グシュタール教授が生きているとは思っていないのだろう。
「最後に手紙が来たのは・・・十数年前、だったと思う。彼の“研究所”には、おそらく、それまでの彼の軌跡が詰まっていることだろう」
グシュタール教授の研究所。それだけ他と隔絶した技術を持つ人ならば・・・
「・・・最後の手紙には、確か、どこかの死火山、カルデラ湖畔にある別荘を研究所として使っている、とあった。・・・彼を追ってみたまえ。答えが見つかるやも知れない」
博士は顎に手を当てて付け加える。
「そうだね、グシュタールくんならば、もしかしたら、“固有魔素を操作し、精神を治療する術”などということも・・・」
僕はフウと顔を見合わせる。
「・・・大変参考になりました。ありがとうございます」
「おお、おお。お役に立てたのなら、良いのだけれど」
僕らは礼を言い、部屋を後にする。そのとき、どこか寂しげなバルトリア博士がかけてくれた言葉が脳裏に焼き付く。
「・・・さようなら、わたしの、かわいい教え子たち」
・・・さようなら、博士。あなたも、どうかお元気で。
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