07 “死者とダンスを”
──十月八日、朝。王都、自警団組合本部。
掲示板の前に立つ僕ら。おとといまでと違うのは、ハナとフウの格好。あとは、周囲に何名もの他のヴィジルがいることだ。
朝早く来てみたら、意外と人がいるもので少し面食らった。誰も見かけなかったってのは、僕らが来ていた時間が今まで遅すぎたってことかな。
彼らの格好は様々だが、少しその・・・あまり清潔とはいえない作業服のヴィジルが多い。はじめから“自警団”としての仕事をすることを考えていないであろう人たちか。異人も何人かいるな。目立った武装をして班を組む者も数人いるが、彼らはカウンターで、メラニーじゃない受付からなにかを見せてもらっている。だいたい彼らの腰には紐がついている。くそ、うらやましい。・・・しかし“受付長”メラニーの部下、本当にいたんだ。
一方、作業服の彼らは物珍しげに僕らを一瞥すると、ひそひそ何かを言い合いながら次々に農作業手伝いやドブさらいの依頼書を外し、カウンターへと持っていく。そうそう、持っていくがいいさ。そんな依頼は僕らに相応しくない。
僕は、みんなが明らかに避けている一通の依頼に目をつけていた。
“旧
低魔量地帯──普通薄く均等に広がるはずの環境魔素が、何故か極端に薄まっている一帯だ。「低環境魔素量地帯」の略ってところか。
内部では生命活動が低下することに加え、物理現象も外とは異なる。熱量を力へ変換しにくい──何もかもが“動きにくく”なる場所。たとえば、人間がひとり中へ進入したとする。最初は体内の固有魔素があるから問題ないだろうが、次第に身体が重くなっていく。徐々に固有魔素が減じていくからだ。長くとどまれば命に関わる。しかも気付いたときにはだいたい手遅れだ。植物も育たず、気温も低い。一言でいうと「死の大地」ってやつだ。
「本当にやるのか?」
ベルタが僕に訊く。
「ちょっとした成算があってね。それに、依頼主を見ろ。これだけ明らかに格が違う」
依頼主の欄には“王立魔導院 第八研究室長 バルトリア博士”とある。ふと僕は自分の外套の留め具に光る魔導院の紋章を見る。・・・僕も魔導院出身なのだが、教育機関である魔導学院のほうにいたわけで、同じ敷地内ではあるものの、魔導院の研究棟には殆ど足を踏み入れたことがない。この博士も知らない名前だ。
なぜ“民間依頼”の掲示板に貼ってあるのかはわからないが、魔導院という公的な機関の依頼、しかも衛兵司令部が関わる、その上危険を伴うものであれば評価も高くなろう。軽くみんなにそう説明し、依頼書を取る。
・・・それに、魔導院の“できるだけ偉い人”には、個人的に確認したいこともある。
──────────
「本当に、これを受けるんですか!?」
受付の男はずり落ちた丸眼鏡を戻しながら問いただす。
「受けさせてくれないならなんで貼ってあるのよ」
フウが不服そうに言う。
「いやですね、受けさせないとかそういうのじゃなくて、これ、ほぼ自殺に近いんじゃ・・・」
「だいじょうぶ!ぼくたちに任せて!」
出た、ハナの根拠なき“だいじょうぶ、任せて”。なんかもう、本当にこいつなら大丈夫なんじゃないかって気すらしてくる。
その時、書類の束を抱えるメラニーが男の後ろを通りかかった。
「テッド、この子たちなら大丈夫よ」
「でも、チーフ・・・」
「たぶん、ね」
本当にメラニーは僕らのことを信頼しているようだ。鹿退治と農作業しかしてないのにな。一応スリもとっ捕まえたか。
「ああ、わかりましたよ。どうなっても知りませんからね・・・では」
テッドと呼ばれた男は神経質そうに眼鏡をずり上げ、依頼の詳細を話し始める。
「魔導院の博士の依頼ですね。
「自分たちじゃ中に入れないから、金のためなら死んでも構わないと考えてそうな連中に行かせようってことか」
僕がわかりやすく要約する。端的にいえばそういうことだろう。
「決してそんなわけじゃ・・・いや、うーん・・・そう、いうこと、なんですかね」
「で、“調査”の具体的な内容は?」
「賊の遺体を探し、状態のスケッチと詳細をレポート。可能であればそれを回収。遺体がない場合はどこまで調査したかを報告、だそうで。賊の進入地点から最低でニミール(約四キロメートル)くらいまでは調査して欲しいそうです」
「依頼書にはだいぶ言葉を濁して書かれてたな。ちょこざいな。大方、後始末をしたい衛兵司令部と、“研究材料”の欲しい魔導院の利害が一致したってとこだろう」
フウとハナがあからさまに嫌そうな顔をする。
「うえっ、死んで二週間経った死体を、持って帰る・・・?」
「ええー、きもちわるい・・・」
さっきの“まかせて”ってのはなんだ、と言いたいところだが、正直気持ちはわかる。僕も気は進まない。
「・・・定説が正しければ、そこまでは“気持ち悪い状態”になっていないはずだ。安心しろとは言えないけどね」
テッドが続けていいですか、という顔でこっちを見る。どうぞどうぞ。
「最後に報酬が、成果により千五百から三千。最低額は何も発見出来なかったとき、最高額が遺体すべての回収に成功したとき、とのことですね」
「農作業ッ・・・」
「十、五、回、分ッ!」
フウとハナが固まる。数秒経ち、フウがくるっとこっちを向いて僕に凄む。
「いいこと、絶ッ対に死体全部持ち帰るわよ」
「・・・そ、そうだな」
──────────
──一時間後、午前。王都学術区、魔導院。
「ユリちゃんはここでお勉強してたんだね」
「ああ、たった三年前までだけど、少し懐かしく思えるな」
厳粛な雰囲気を漂わせる、いかんせん大げさすぎる門をくぐる。門扉には読み飽きたありきたりな標語が彫刻されており、無駄に大きい学舎まできれいに整備された庭と小路が続く。何も変わっていない。
「ぼくもユリちゃんと一緒にお勉強したかったな」
「ああもう、ユリちゃんっていうな」
と、言いながら少し思いを巡らせてみる。もし彼女らと一緒に魔導院へ通っていたとしたら。ありえないことだが。
「・・・そう、だな。一緒に通えたら、少しは学院での生活も楽しくなったのかもしれないな。でも異・・・ッ」
“
彼女らを見る。一週間生活をともにしてきたが、耳が多少大きい以外は、同じ人間だ。実際異人らは自らも王国の人も等しく「人間」と呼び、その区別をつけない。それを考えたとき、なにか自分が、とても偏狭な価値観を持つように思えてしまう。
・・・王国の人も、“アシハラの人”も、等しく通える学院か。
「・・・いつか、そうできる日が、来るといいな」
なんか、しおらしい事を言ってしまった。
「きみは四年前の内戦にいたんだろう?その時学院はどうしてたんだ」
ベルタが僕に訊いてくる。まあ、もっともな質問か。
「その間は休学さ。僕は主人の厚意で、使用人にも関わらず通わせてもらっていたが、他の学生はほぼ貴族の子女。みんな地元に帰って、多くは初陣として自分の領地から出陣した。豪華な鎧に身を包んでね」
そういえば、南方出身の連中もいたはずだ。彼らはどうしてたっけな・・・などと思いながら、寮の横を通り抜ける。五年間も過ごした場所。当時は牢獄のように感じたが、今改めて外から見ると、なんてことはない、普通の──というか、かなり豪華なつくりが目を引くだけの──ただの寮だ。あたりを歩く学生どもが、ちらちらとこっちを見ては何かを話している。少しフウの機嫌が悪くなる。
「嫌な感じね」
「こんなとこに住んでいると、嫌でもほぼずっと同じ毎日を過ごすことになる。珍しいものを見に来たがるのはしょうがないさ」
「見世物ってことね、ダンスでもしましょうか」
「悪くないな、相手してやろうか」
しかし、遠い。ここの敷地は相変わらず広すぎる。ようやく寮の陰から王立魔導院の研究棟が姿を見せた。
「べーやん、あれ?」
「そのようだな」
「思ったより普通の建物ね」
魔導院をなんだと思っていたんだ、フウは。
僕は依頼書を再確認する。
「第八研究室、バルトリア博士だったな。よし、行くぞ」
──────────
うわあ、うわあーっ、魔法使いだ!
・・・あ、いや、僕もそうなんだけど。
案内された部屋の戸をくぐると、そこには滝のように長く真っ白な髪とヒゲをはやした、薄灰色のローブのご老人が座っていた。すぐ横の帽子のラックには、だいぶ年季の入った、同じ薄灰色の三角帽。机にはまた年季の入った、太い枯れ枝のような杖が立てかかっている。まるでご老人まで含めて、一枚の絵であるかのような佇まいだ。
彼は長い眉の間からクイッと目を見せ、これまた年季の入った椅子から立ち上がろうとする。
「おお、おお。お客さんかな・・・あ・・・あ・・・」
ど、どうしたんだ。
「あいたーっ、いたたたたたたたた」
立ち上がりかけた状態で腰を押さえるご老人。全員で駆け寄る。
「ちょ、ちょっとご無理なさらず!」
「おじいちゃん大丈夫!?」
「座ったままで結構だ」
なんとか座らせる。彼が・・・バルトリア博士か?死体を欲しがるくらいだから、もっと白衣の医者のような感じを予想していたんだが・・・
「わたしは・・・デナリオ・レスティオン・ガルシア・ランス・テル・バルトリア。ようこそ、ようこそいらっしゃい。君たちは・・・その、学生・・・かね?」
間違いないようだ。僕の制服を見て学生と思ったのか。紛らわしい恰好だったかな。
「僕は“組合”のヴィジル、ユリエルと申します。ご依頼の詳細を伺いに参りました」
「おお、おお。よくいらっしゃった。わたしとしたことが、お茶も出さずに・・・あ・・・あ・・・」
あっ。立ち上がっちゃ・・・
「あいたーっ、いたたたたたたたた」
「はかせーッ!」
──────────
「ねえ、大丈夫なの・・・?」
「ぼ、僕にそれを訊くな・・・」
小さい声でフウが問う。そんな事をいわれても。
「おお、おお。かわいいお嬢ちゃんだ」
「おじいちゃんおいくつなの?」
初対面に強いハナ。
「ひゃ・・・ッ、ええと、きゅ・・・いや、・・・・・・」
生唾を呑む。
「七十九に・・・なるね」
「すごい!長生きだね!」
まじかこの爺さん。
「おい、いま二十以上サバ読んだぞ」
「ていうか百歳超えてるほうが、普通に凄くて尊敬できるんだけど・・・」
ハナが場を和ませてくれたおかげで、少しは話しやすくなったような気がする。バルトリア博士がいつ立ち上がろうとするのかわからないので若干ヒヤヒヤするが・・・。細かい話を聞くよりは、こっちから確認をとる形のほうが早く済むな、これは。
「ご依頼の内容を確認させていただきます。低魔量地帯に進入した賊の遺体を捜索し、詳細をこちらへ報告。可能であらば回収、でよろしいですね」
「すごいユリちゃん、本当に大人みたい」
「こういうゲスは権威に弱いのよ」
「おだまり」
・・・博士の反応を待つ。
「・・・おお、おお。そう、そう。わたしの教え子が、検死を行い、衛兵司令部に伝える、といっていたね」
「わかりました。では遺体を回収した場合は、この研究棟までお持ちすればよろしいですか」
・・・反応を待つ。
「・・・そう、だね。あの子たちには、あなたたちが、そうしてくれると、伝えておこう」
・・・ふう。終わった。疲れる。
「ところで、グシュタールくん・・・」
誰だ。
「杖を、杖を、とってくれるかな・・・」
本当に大丈夫かな・・・と思いながら、杖を手渡す。
博士はなにやらモゴモゴ唱えながら、杖の先を円形に回し続ける。宝玉がマナを受け発光する。基本的に魔法はマナを飛ばし、意志による干渉をかけるだけだが、旧来の“魔法使い”の中には、精神集中のため、儀式としての詠唱を使う人らもいたと聞く。僕も初めて見た。
・・・僕らの周りを覆うマナの“
「乙女四人を、斯様な、危険な場所に送るのだ。ちょっとした、まじないだよ。神の、ご加護を」
「・・・僕は男です」
──────────
──二十分後。王都、第二西門守衛所。
「ああ。この門を出て、そのまま北上。“大断崖”を走る旧街道を登り・・・ちょっと歩いたあたりから“低魔量地帯”だ。賊は道沿いに逃げていったね。・・・もしかして、危険だって知らなかったんじゃないのかな」
若い衛兵は、僕の持つ王都周辺の地図を指でなぞりながら当時の状況を説明する。
「ここからそんなに追いかけたのか?」
「さすがにこっからじゃなくて、旧街道の歩哨中さ。王都の方から来る怪しい連中を止めようとしたら、走って逃げるからさ。追いかけたんだ」
“ならず者”という話だったが、犯罪者というよりは、何らかの容疑者の段階なわけだ。衛兵司令部が死体の回収を命じるのも少し理由がわかった。そもそも彼らが何をしでかしたかすら、わからないんだ。
「でもさすがに体力を使い果たして、戻ってきたのはもう夜遅くだよ。で、それから報告書を書いたりの書類仕事だ。あのときは本当に疲れた」
「ご苦労さま・・・ありがとう、助かったよ」
やっぱり、こういう普通の人とのやり取りのほうが疲れなくて済むな。
「いやいや、かわいい女の子たちとの話なら、いつだって歓迎だよ。帰りもぜひ寄って・・・」
「・・・・・・僕は、男だ」
「えっ?」
だからこんなに距離を詰めてきたのか・・・前言、撤回。
──────────
──二時間後、正午。旧北方街道、“大断崖”。
──王都のある霊峰“モンスベルトラム”。それを突っ切るよう東西に断崖が走っている。高さにしてゆうに数百ブーティ(長さの単位。一ブーティは約三十センチメートル)はあるそれは、二百年前の現王朝成立に関わる大征服戦争時、覇王ベルトラム一世が宝杖を使い火山を造成、敵軍を壊滅せしめた際に隆起してできたと伝えられる。
杖の魔法で火山を造成し非常識な断崖を作るなど、おとぎ話だとは思いたいが、なんせたった二百年前。おそらく何かしらの事実の一片を含んでいるのだろう。偶然の大噴火が起こったとかはあったのかも知れない。
だがそんなことはどうでもいい。問題はその大断崖を削って作ったこの北方街道だ。延々と崖に沿い左右に反復する坂道。ただそれを登っていくのが、これほどきついとは思わなかった。あの衛兵、こんなところを日常的に歩哨するとか、すごい体力だな。
・・・だが、体力ならうちのベルタとハナも負けていない。第二西門の守衛所から借りた、遺体運搬のための台車を引きながら、こんな坂を平然と登っている。
「まだ続くのか・・・くそッ・・・」
「ユリちゃん、きたない言葉を使ったらだめですよ!」
「頑張れ、あと少しだ」
「ベルタ、あと少しって何回言ったよ・・・」
「三回だが、もう頂上はすぐ先に見えている。下を見ろ」
促されるまま視線を横に移し、“下”を見る。・・・これは、すごい。記憶にある限りはじめて大断崖を登ったが、王国を構成する
「・・・北方には、ある言い伝えがあってな」
疲れ果てた顔をした僕とフウを気遣ってか、ベルタが話を始める。
「
フウが横槍を入れる。
「おとぎ話でよく聞くパターンね」
「ああ。領主が老齢に差し掛かる寸前、待望の嫡男が生まれる。だがその子はすぐに死にかけてしまう。焦った領主は、最初は有名な医者を、次は王に頼み込み典医を、最後は怪しい術師にまで頼って子供を治そうとした」
「かわいそう・・・」
ハナは心底同情しているようだ。感受性が強すぎると生きるのが辛くなるぞ。
「試みは、うまくいった。だが、怪しい術師のかけた魔法は、大地のマナをその子供に注ぎ込むというものだった。子供の命と引き換えに、北方の領土は枯れ、かつてない大飢饉が襲う。殆どが死に絶え、わずかに残された者たちも逃げ出した。──そして、北方は死の大地となったそうだ。・・・さあ、登りきったぞ」
やっと“上”の平野が目に入る。
「あああ・・・疲れた・・・次は、もっと楽しい話を頼む・・・」
「えー、べーやんの話おもしろかったよ。かわいそうだったけど」
「すまん、ストックが少なくてな」
やっぱりハナとベルタは凄いな・・・多少の汗はかいているようだが、少し立ち止まるとすぐ元気になる。
「じゃあ、次は私が南東の話でもしてあげるわ・・・息が、続けばね・・・」
「じゃあ・・・息が切れたままでいい。・・・ここまで口数の少ないフウを・・・僕は初めて見たよ」
「今すぐその口縫い付けてあげるから・・・息が整うまで少し待ってなさい」
フウと僕は、どうでもいい話をしながら息を整える。さっきの衛兵は目標の地点まで、ここから“ちょっと歩いたあたり”と言っていたな。
・・・いよいよ、低魔量地帯だ。
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