05 “地獄へと至る路”

──ハナの“発作”から数分後。



「まあ、そうは言ってもね」


 フウはベッドに楽な姿勢で座り直して、気が抜けた声で自嘲的に言う。


「さすがにそう簡単な話じゃないってことくらいはわかってるわ。それにこれはわたしの下衆ゲスじみた打算も含まれている。今から断ってもいいわよ」

「見くびるな。さすがに今言ったことを覆しはしない」


 そんな軽い気持ちで出した答えではない。さすがに少し腹が立った。


「あなた、王国貴族の関係者でしょ」


 眉間に皺が寄る。図星だ。僕がどうして、と訊く前にベルタが続けた。


「きみの名だ。エルシダ家被後見人たるユーリエルユーリエル・テス・エルシダシア

「あっそうか、見せてたっけか。身分証」


 酒の席でか。すっかり忘れていた。


「私の知る限り、これは極めて珍しいラストネームだ。貴族は普通、他人に自分の名を分けたりしない。それも、エルシダ家──東方領主ともあろう立場の者ならなおさらだ」

「・・・そこまで気付いていたか」


 つまり、僕の貴族とのコネを使うも辞さない、ということだな。


「・・・・・・だが、期待には応えられない。僕は確かに貴族に連なる者、エルシダ家当主アルフォンソ様のもと第二秘書だよ。確かに寵愛は受けていたが、権限もなにもない。それすらも辞して今は寸前さ」

「やっぱり、そううまくはいかないわね。まあ、それだけを当てにしたわけじゃないからいいけど。やっぱり同じ髪の色で妹みたいに思っているのか、“ハナ”はあなたにすごく懐いているようだし。あなたに会ってからあの子、以前にもまして明るくなったのよ」


 まあ、懐かれる方には若干迷惑な話であるが。


「・・・それに、精神的なショックで子供に戻るだなんて、御用医師に見せて治るものなのかもわからないしね」


 実際その通りだ。悪けりゃ僕らと引き離された上、離島の隔離病院という名の収容所入りや、ブラックバーン博士みたいなのに好き勝手遊ばれる恐れすらある。

 ベルタが続いて口を開く。


「最初に私が、特務の報酬である“王国臣民としての諸権利臣民権”を目的にしていると言ったが、これも事実だ。“ハナ”にアシハラへ帰ろうというと、強く拒否する。帰れない以上、ここで生活基盤を築かねばならない。もし、この子が元に戻らなくても、せめて、心安らかに過ごせるように」


 ベルタの普段の声に、優しさを感じさせるトーンが混じる。二人は心の底から“ハナ”のことを考え動いている。


「臣民権のない外国人には、確かに王国は極めて生き辛い場所だ。ヴィジルくらいしかなかったわけか・・・」


 特に異人ゼノなら、という言葉を僕は口から出しかけたが、避ける。王都にいる異人の多くは、古く奴隷の先祖を持ち、いまだ臣民権を持たない者も多い。そんな彼らが選べる仕事は、極めて限られているのが実情だ。


「メラニーが言うには、特務の発行は腰紐になってから・・・まずはそこが目標になるということだな」


 班としての目標が定まってくる。それは標となり、茫漠とした視界に、一本の道が輪郭を形作りつつあった。

 僕が今後どうするかを悩んでいると、何やらフウがもじもじしながら、ぼそぼそと話し出す。


「・・・全部話したのは、あなたが信頼に足る人間だとわかったから。今はそれで充分」


 顔を赤らめ、そっぽを向く。こんなフウは初めて見る。なんだ、貴族がどうのって長々とした話はただの照れ隠しか。思わず笑みが漏れる。“信頼に足る人間”という表現が、精一杯の褒め言葉って感じで実に微笑ましい。横暴なやつだと思っていたが、まさかこいつがそんなありふれた、なんでもない言葉で赤くなるとは。

 しかし、無理もないか。彼女らは自分たちのほかに仲間の一人もなく、碌な装備もなしに王国を長々と縦断してきた。僕はこっちで初めて出来た記念すべき仲間というわけだ。たった一日で“信頼に足る”。最高の評価だと誇れる。

 にやつく僕を見て、フウは杖に手をかける。こっちに来る。なんで?


「その“優位に立ってやった”って顔・・・・・・やっぱこのヘビ、しりに突っ込んでおくべきだったわね」


 あっ。



──────────



「そうそう。あと二点だけ気をつけてほしいことがあるわ」


 しりを防衛した僕はズボンをはきながら涙目でフウに聞き返す。


「何にだよ」

「今のハナを、“ミオ”って名前で絶対に呼ばないで。すぐにあの発作が起こるわ。あと、アシハラの話もあまり良くないみたい」

「やっぱりか・・・広域語の話をしていた時、なんとなくハナから変な感じがしたんだ」

「話を不自然に切り上げてたものね。目ざとくて大変結構だわ」

「お褒めに与り光栄の極みにございます・・・と。はああ、疲れた」


 話がようやく一段落し、僕は大きなあくびをする。緊張が解け、ようやく少し眠くなってきた。

 それを見計らったようにベルタが言う。


「さあ、明日も仕事だ。そろそろ寝よう」


 仕事。もう農作業手伝いしかないのかな。めんどくさいなあ。



──────────



──十月二日、夕方。王都、自警団組合本部。



「・・・ご苦労さま、みんな」


 メラニーの労い。まったくだ。泥だらけで組合に帰ってくる僕ら。体力の尽きかけた僕はやはりハナの背中に背負われていた。農作業手伝いがこんなにつらいだなんて。農家の人たちは偉いんだな。これで一人頭五十、四人合わせて二百ぽっちとは。


「おや、きみらは新入りか」


 年季が入ってはいるが、丹念に手入れされたカービング入りの黒い革鎧、その下には鎖帷子。飾り気のない細身の長剣を左に佩き、右にはナイフと“腰紐”。白髪混じりの無精髭をはやしたおっさんが声をかけてきた。印象を一言で述べるならば「プロフェッショナル」。鎧のちょっとした装飾以外に一切の無駄がない。


「ねえ、ぼくたち以外の人がいるよ!」


 相変わらず空気を読まないハナ。昨夜の騒動を感じさせない、いつものアホの子だ。


「ははっ、言われてるぞ受付長」


 おっさんはハナと僕の頭を撫でながらメラニーに言う。ええい、その手をどけなさい。


「あとひと月半もすれば人であふれるわよ」


 メラニーが手をひらひらさせながら言う。

 ハナに頼んで背中から下ろしてもらう。専業のヴィジルに会ったら聞きたいことが僕にはあった。おっさんに手を伸ばす。


「一昨日ヴィジルに登録したユリエルだ。よろしく」

「よろしく、俺はフランツ。君の話はメラニーから聞いているよ。随分気に入られているようだね」

「そのようで」


 メラニーを見ると、ニコニコしながら手を振ってくる。僕はぎこちない笑みで返す。


 このおっさんのようなタイプには、言葉を濁すことは逆効果だろう。握手を解き、僕はきわめて単刀直入に切り出す。メラニーには届かないよう、少し小さめの声で。


「一つ伺いたい。手っ取り早く“腰紐”になるにはどうすればいい?」


 “腰紐”──逮捕権を持つれっきとした“認定ヴィジル”。“特務”発行の前提条件。

 フランツを名乗るおっさんは一瞬きょとんとするが、すぐに質問を理解しにこっと笑う。


「ストレートだな。気に入った。メラニー、応接スペースを借りるぞ」


 うまくいった。

 鎖帷子をしゃらしゃら鳴らしブースに向かうフランツと、その後ろを左右に蛇行しながら追う力尽きる寸前の僕。服の色合いも含めて、おっさんについていくカルガモみたいだなこれ・・・



──────────



 とりあえずぶーぶー文句をいうハナとフウの二人を先に鴻鵠亭へ帰す。あいつらがいると進む話も進まない。


 ブースの椅子に普通に座る。机の上に顔がギリギリ出るだけだが、毎回隣からお子様椅子を借りてくるわけにもいくまい。


 まずフランツは自らの素性を話してくれた。三十五年前からの専業。十五で王都に入ってからずっとヴィジル一本で食ってきたそうだ。班は組まず、常に単独。少数の賊を相手にする任務を主として請け負う、まさにプロフェッショナルだ。やだ、超かっこいい・・・。こういうおっさんに、僕はなりたい。隣に座るベルタも興味深そうにフランツの話を聞いている。そして、本題。


「依頼にはいくつか種類がある。そこに貼ってある依頼。特定のヴィジルに開示される衛兵司令部からの依頼。そして、ヴィジルや班を指定して発行される依頼」

「“特定のヴィジルに開示される、衛兵司令部からの依頼”?」


 メラニーの説明にはなかったぞ。・・・いや、なんかうっすら聞いた気がしないでもないが、細かく説明されてはいないはずだ。賊を相手取る依頼は民間からは上がりにくいだろうとは思っていたが・・・


「俺が普段受けているのはその“衛兵司令部の依頼”が殆どだ。内容は危険な地域の巡視パトロールと、賊の討伐がメイン。民間とは比較にならないほどの報酬のものも多い。開示条件はひとつ。対人の実戦経験があるかどうか。班の場合は全員に、だな」

「なんの準備もない農民四人が賊退治なんか引き受けたところで、被害者を増やすだけだしな・・・」

「そういうことだ」


 薄々考えていたことだ。その類の依頼が、あまりにも無さすぎた。


「ちょっと複雑なんだが・・・まずは流れで話そう。新たにヴィジルが登録しにくる。まずは民間からの依頼を数多くこなさせ、忠実さを見極める。そして腰紐を渡す。ここまでに普通、数カ月から一年はかかる。“腰紐”となったヴィジルには、目前で発生する明確な犯罪行為への対処義務が生じる。対処報告を組合にすると、実戦経験と見做されることがある。そうしてようやく、賊を相手取るような“衛兵司令部の依頼”を閲覧できるようになる。そこで初めて説明する。そういう導線を組合は描いているんだろうと考えられる」


 本来その“衛兵司令部の依頼”ってのは、腰紐になった後で受けることが想定されているのか・・・


「そこで思い出せ。主に腰紐が受けるこの“衛兵司令部の依頼”だが、この閲覧と受注の条件に“腰紐であること”は含まれない」


 ああ、なるほど!


「・・・“民間からの依頼を数多くこなす”という数カ月以上に渡るステップを大幅に短縮するためには、腰紐並みの難度である“衛兵司令部の依頼”をこなして見せればいい。それを受注するためにはまず、全員の実戦経験が必要、と。・・・制度の抜け道ってやつになるのか?」

「頭の回転が早いな。メラニーの言っていた通りだ。・・・だがこれは、組合が実力を把握する前に、ほぼ自主的にランクアップをするということに他ならない。腕に自信がなければ勧められない」


 おや。メラニーは思いの外、僕を高評価してくれていたようだ。てっきりかわいいだの子供みたいだの吹聴してたんだと思っていたが。プロに褒められると少し照れくさい。

 あ、いやちょっとまて、これは鶏と卵のジレンマってやつじゃないか?


「だがそのためには人間を相手にする任務が必要、と・・・堂々巡りじゃないか?」

「問題はそこだな。近隣の村邑からくる山賊討伐依頼でも運良く当たれば、儲けもんだ」


 ああー、極稀に簡単な人間相手の依頼が一般からもくるわけね。山賊か。まあ僕もこれで一応魔導士。素人相手に木こり斧を振り回す食い詰め者くらいなら、あしらえる方法はいくらでもある。本当だよ?


「それで、実戦経験ってのは、戦場上がりも含まれるのか?」

「ああ、自己申告すればな。だが戦場上がりの連中も、大抵最初は民間の依頼を受けて数カ月を過ごす。組合は推奨していないから、腰紐になるまで説明そのものをしないんだ」

「だから僕も教えてもらえなかったのか。しかし、なんでルールの穴を塞がないのかな」

「敢えて開けてある、とも考えられるな。要領のいいやつは自分で気付くこともあるし、なにより裏口ってのは作っとくと便利なもんだ」


 出た、大人の理論。


「しかし、実戦経験か。僕は四年前の内戦で一応実戦を経験しているけれど・・・」

「ほう、そうなのか」

「そうだったのか、ユリエル」


 静かに話を聞いていたベルタも反応する。


「私もいたぞ。エルバ河の戦い。南方エラニアの軍にいた。アシハラの義勇兵としてだが」


 まじかよ・・・


「えっ、僕は王国東方エルシダ軍麾下で・・・主人の旗持ちとして。敵同士か。その時会わなくて本当に良かった」


 鹿狩りの時に彼女が見せた剣筋を思い出し、身震いする。


 ──王国と南方領の内戦。ひどいもんだった。独立を嘯く南方領エラニアに対して王都は懲罰的に軍を差し向けるが、南方はそれを待ち伏せて奇襲を行った。数倍の兵力を持ちながら初手で痛恨の一撃を食らった王都は、たった四ヶ月で講和を申し出て、南方領に多くの優遇を許すことになる。更に悪いのは、もとより南方の狙いは独立なんかではなくその“優遇”にあったとさえいわれる。早い話がはめられたんだ。王はあれから四年経つ今もその時に負った傷で伏していると聞く。僕が無事だったのは、運が良かっただけだ。

 あの一戦は王国建国の礎たる不敗神話、それに泥の塊をなすりつけた。


 ふっとフランツの顔から笑顔が消える。身を乗り出し、ベルタに囁いた。


「あまりその話はこの辺でしないほうがいい。たった四年前の、王国が実質敗けた戦いだ。南方エラニアについて参戦した者を敵や仇と思う者は少なくなかろう」


 俺は王都の警備をしていただけだから関係ないがね、と微笑むフランツ。素直に礼を述べるベルタ。確かに。今のは僕も不注意だった。


「アドバイスだ。どんな仕事でもな、情報はあって当たり前、コネってのもきわめて有用だ。空気を読んで先手を打て。使えるものは使え。今のうち、汚い大人の手口を覚えておくといい、若造ルーキー


 大声でそう言い残し、フランツは席を立った。物語に出てくるような言い回しだ。かっけぇ・・・

 衝立の向こうからメラニーの声が響く。


「ちょっとフランツさん、新入りの子に変なこと教えないでね!」


 残念、ちょっと遅かったな。

 ・・・いや、あの人のことだから、ひょっとして黙認してくれているのかな。



──────────



 ・・・彼が組合を出ていくのを見届ける。僕は、敢えてここまで一つの問題を口にしないでいた。ベルタと、二人で解決せねばならない問題を。

 不意にベルタが呟く。


「“全員の、対人実戦経験”か」

「・・・あの二人を、人殺しに育てろってことだよな・・・」


 話の最中、ずっと隠してきた思いがにじみ出る。溜息を付き、自嘲的に笑う。


「どうするベルタ。僕らは地獄行きだそうだ」

「あくまで“戦闘経験”だ。殺さないように・・・」

「できるか?・・・僕だって、できればそうしたいさ・・・」


 わかってたことだ。僕らは自警団員。いつかはそうせねばならない。


「・・・このまま農作業の手伝いを続けることも・・・」

「来月まではな。それに、農業しかやってない班に国が“特務”を発行すると思うか?」


 冬には今貼られている農作業の仕事もその多くが消える。その上半農の連中が大挙してやってくるという。


「・・・いっそ、ヴィジル以外の道を・・・」

「臣民権のない異人が王国でどういった“仕事”をしているか、知らない訳じゃないだろう」


 僕はもう、覚悟を決めつつある。乗りかかった船だ。ハナとフウを救うためなら、何でもしてやる。


 ・・・ベルタが静まってしまう。勢いに任せて悪いことを言ってしまった。


「すまない。今苛ついてもしょうがないのにな・・・はあ。“その時”が来たら決めればいいさ」

「・・・そうだな。鴻鵠亭に帰ろう」


 足が付かないので椅子から飛び降りる。


「ぃよっと・・・っと・・・おわぁ!」


 だが、筋肉がそろそろ限界だ。膝も笑っている。僕はバランスを崩し、べしゃっと音を立ててすっころんだ。モノクルは無事か。


「ほら」


 ベルタが手を貸してくれる。くそ、またこんな情けないことに。僕はベルタに手を引かれながら、よろよろと鴻鵠亭まで帰っていった。事情を知らぬ者から見れば、姉に手を引かれる、遊びから帰りたがらない弟といったところか。すれ違う全員が微笑ましく僕らを見てる気がする。くそ、そんな目で見るな。僕はヴィジルの班長様だぞ!

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