04 “もしもこの世に神がいて、この願いが届くなら”

 ──僕は物心ついたころから、拭いきれない違和感とともに生きてきた。


 書類上なぜか存在しないことになっている、“北方の大飢饉で死んだ”といわれる両親。

 とても優しく、頼りになったが、具体的な話を避ける祖母。

 周りの大人たちが言い聞かせてくる、矛盾をはらむ出生にまつわるエピソード。


 どうして。

 どうしてみんな、僕に何かを隠すんだ。

 やっぱり、僕が“出来損ない”だからなのか。


 ふざけるな、ふざけるなふざけるな。


 みんな、大嫌いだ。



──────────



 ──十月一日、昼下がり。王都、宿屋“鴻鵠亭コウコクテイ”。



 涙。


 手で顔を覆い、寝ている間に泣いていたことを知る。夢の内容は覚えてないが、いい夢ではなかった。


 僕はベッドの上に寝ているのか。ここはどこだ。鹿の頭を吹き飛ばしてからの記憶がない。


 上半身を起こす。右肩に鈍痛が走る。いつの間にか予備の下着に着替えさせられていたらしいことに気付く。そういえば身体も綺麗になって・・・あっ。


「起きたか」


 質素なソファで刀の手入れをするベルタ。


「あの、まさかとは思うんだけど・・・」

「お茶もらってきたよ!あ、ユリちゃん起きてる!」


 ティーセットのトレイを持ったハナと、カップをもったフウが部屋に入ってくる。


「殆ど寝ていたようだから教えておく。ここは組合の向かいにある鴻鵠亭だ。ユリエルの同意を得ずすまないが、ボーナスでもらった野菜を女将にあげたら、ヴィジル用の四人部屋を三日ぶんタダにしてやると言ってくれてな」


 ベルタが現状を淡々と説明してくれる。この子は本当に頼りになる。が。


「あ、うん、それも知りたかったし、野菜もらったことも覚えてなかったから構わないけど、おれをまさか風呂に入れたり・・・」

「おねえちゃんが拭いてあげたの!ユリちゃん汚れてたから!」


 善意の塊。満面の笑顔で得意げなハナ。・・・ああ、うん、そうだと思いました。ここまで情けないことがあろうか。


「安心して、実質十歳児の局部なんてどうでもいいわ」


 触れずにおこうと思った部分をピンポイントに抉る、カップを並べながらのフウによる追い打ち。


「ちんちんの毛もはえてなかったね!」


 涙。止まらない。


「えっ、ユリちゃんどうしたの!?まだどこか痛い!?」

「いいんだ。おれのことはほっといてくれ。死にたい」

「だめだよ!」


 ──もしもこの世に神がいて、この願いが届くなら、どうか。今すぐこの心臓を止めてください。

 そしてハナの後ろでニヤニヤ笑うあの悪魔に、フウに裁きの雷を下してやってください。



──────────



「神様がいるかどうかに関わらず、金の管理は必要なんだ」

「そうだな、四人で行った作戦、初めての報酬だ」


 なんとか気を取り直し、班を結成するにあたり、早めに済ませておきたかった話題を振る。


「異論がなければ我々の資産を、一元的に管理したい」

「しさん」


 ハナが不思議そうな顔をする。


「早い話、持ち物確認だ。何を持ち、何を持っていないかを確認。今後の方針に役立てる。それに金を個人で持つと、分け前とかの取り決めが煩雑になるし、揉めたとき危ない。刃傷沙汰にまでおよぶことがある。だから財布の紐を握る人間を決める。こうすれば、出納も明確になる」

「このメンバーなら刃傷沙汰はないと思うが、まとめたほうが色々とラクなのは確かだ」


 腕を組んだベルタが神妙な口調で同意する。ありがたい。


「そういえば、ベルタはこいつらに王国の貨幣制度は教えてあるのか?」

「・・・いや、見ればわかるだろうと思って」

「結構放任主義だな」

「ちょっと。さすがにひどくない?南東にだってお金のしくみくらいあるわよ」


 フウがあからさまに不機嫌な声でつっかかってくる。まあ、そりゃなあ。


「じゃあ、さっきの報酬でもらったこれ、なーんだ」


 僕は百ミナの“預入手形”を広げてフウに見せる。

 しばらくの沈黙。


「・・・お金?」

正解」


 うっし、とフウはガッツポーズする。褒め称えるハナ。


「といっても、王国の人間も大抵そう考えてる。正確には、王立銀行にこの額面の枚数の銀貨ミナを預けています、という手形だ。実質的にお金と同じように機能する」


 僕は財布の中身を床に出し、その中身をよく見えるように広げた。


「王国で流通しているのは主に銅貨、銀貨、あとはこの手形だ。銀貨一枚で一ミナ。だいたい安パン一斤くらいの価値で、普通はこの単位でやり取りする」

「一ミナでパン一本」

「そうだ。銅貨はそれ以下の小額決済に使うが、大抵は銀貨とこの無記名手形での取引だ。千ミナを超える高額決済は、基本記名入りの小切手になるな。・・・といっても、地方の小さな村や街だと、いまだに天秤と分胴で銅貨の山を測って支払うところもあるけど」

「なるほどね。・・・って、うちらの国のこと、文明が遅れてるってバカにしてるでしょ」

「こういうのは必要に応じて生じるシステムだ。ないってことがそのまま遅れてるってことじゃない。それに、この手形、手にとってよく見てみろ。見覚えはないか?」


 フウに預入手形を渡す。ハナがその横からずいっと覗き込む。


「・・・あっ。これって、和紙?」

「そう、アシャラの技術だ。数十年前に金貸しが銀行という新しい商売をはじめたとき、まず困ったのが手形を作るのに必要となった、大量の紙だ。ここらで流通してるものは量も少なかったし、なにより人の手から手に渡るものとしては耐久性も低すぎた。そこでお前たちの国の紙に目をつけたんだ。彼らはそれこそ金に糸目をつけず、アシャラから職人を引っこ抜き、後進を育成し、広大な敷地に原料の苗木を植えて、大量生産に耐える自前の施設を造ったそうだ」

「へえ・・・まあ確かに、あっちじゃ扉とか窓に使われる程度には丈夫だしね」

「・・・えっ、本当マジ?家が木と紙で出来てるって、フィクションじゃなかったんだ。お前の国防犯とかいう観念ないの?」


 異人の防犯意識の薄さについてはまあ置いとくとしても、フウはこのへんの理解が早い。後ろでしきりに頷いているハナは理解しているのか怪しい。・・・そういえば、この二人は。


「ずっと気になっていたんだけど、お前たちは広域語がうますぎないか。もしかしてこっちに来てから結構経つのか?」

「違うわ。ついこの前までアシハラにいたのよ。王国の影響かしらね。神事とか政治の場以外では、もうあまり古語は使われてないわ」


 フウの言葉を聞いたハナの様子が、少し・・・いや、気のせいか。


「なんか耳に痛いな。王国の存在が、アシャラの文化を一つ消しかけているということか」

「そう?あなたが気にすることではないわ。実際普通に言葉が通じて便利だしね。あと“ア・シ・ハ・ラ”!発音はちゃんとして」

「その音節の分け方、難しいんだよ・・・しかし即物的だな。文化は重要だぞ」


 フウに紹介してやりたい本がいくつか浮かんだが、どうせこいつは読まないだろう。話を切り上げ、持ち物確認に移る。



──────────



「さてお待ちかね、持ち物確認の時間だ」


 手をたたくハナ。鳴らない指笛をスヒースヒーいわせているフウ。うるさい。

 大したものは入っていないが、と肩掛け鞄の中身を広げていく。狭い部屋の床はすぐに一杯になった。


「準備がいいな」

「そうか?」


 しっかりもののベルタに褒められると悪い気はしない。

 その中身は応急処置のセット。ポーション二本。王国全土と、王都周辺の地図。方位磁針。獣避けの笛。黒パンと干し肉が少々。鞄の横に吊るしたカンテラ。ベルトで腰の後ろにくくりつける、折りたたみのテントに毛布。同じくベルトに鞘を固定した銀製のナイフ。財布には約百二十ミナ。下着の替えは洗濯中。

 これは一般的、むしろ数日の旅をするにも少なすぎるくらいの中身だ。待てよ、これで「準備がいい」ということは・・・嫌な予感しかしない。


「ポーションってはじめて見たわ」

「ぼくも」


 南東組が食いつく。小さいフラスコに入った薄青い澄んだ液体。見た目にはきれいだ。フラスコを揺らしながら、軽く説明してやる。


「即効性の強い鎮痛作用があるから、いざという時に使うといい」

「具体的には、肩が抜けたときとかだな」


 ベルタが余計な事を言う。せっかく忘れていたのに、思い出してしまった。冗談のつもりか。


「・・・ああ、ただポーションには常習性があるから、使いすぎないように。それじゃあ次、ハナさんの資産を」

「はいっ」


 どっかで拾った戦鎚に、木の枝(みのむし付き)。きれいな石がふたつ。銅貨十二枚。


 ・・・えーと。資産?


「じゃあ次は・・・」

「えっ、何も言ってくれないの!?」

「何をコメントするんだ!そこらへん走り回ってるクソガキと同じ持ちもんしかないぞ!」


 すねて棒のみのむしを振り回すハナ。ええい鬱陶しい。


「えーと、じゃあ、フウさんどうぞ」

「ないしょ♡」

「そうか。じゃあ」


 本命のベルタに移ろうとしたところで、フウが腕をがっと掴んでくる。


「そうかじゃねーよ。食い下がれよ」


 ちょっとやだなにこの子、怖い!


「明らかにヤブヘビってやつだろう!」

「うるさい!女心を理解しない奴には、しりにこのヘビ突っ込むわよ!」


 フウが蛇の装飾をあしらった杖を持ち、僕のズボンをおろそうとしてくる。ついでといわんばかりに、ハナまで僕にのしかかってくる。


「やめっ・・・やめろ!杖をしまえ!人のしりに刺した杖使う気かお前は!次だ次!」


 なんとか二人をなだめて座り直す。

 静かになった頃合いを見て、ベルタはすっと刀二本と、腰のポーチに入っている刀の手入れ道具を出した。なにかの油にパウダー、布巾のようなもの・・・財布の中身は先の報酬、三百九十ミナ。

 次に何か出てくるか待ってみる。そのまま数秒が経った。


「・・・おわりか!」

「武器と手入れ道具以外に何がいるんだ」

「まじかお前ら、よく南東からここまで来られたな・・・前回の報酬は?」

「使った」

「そうか・・・」


 「しっかりもの」ね。前言撤回だ。

 実質、合計五百十ミナと、僕の持ち物がすべてということになる。はあ。


「財布は、この中で一番金銭感覚がありそうなユリエルに任せたいと思うが」


 そうベルタが提案してくるが・・・


「そうなると思ってたけど、お前たちはいいのか?こんな昨日知り合ったばかりの人間に財布の紐預けて」

「別に構わないわ」

「いいよ!」


 即答。少しは警戒心を持て、と言いたい。まあ実質こいつらは一ミナたりとも出していないわけだが。

 班の資産管理か。大した金額ではないものの、少し疑問が湧いた。


「・・・税金って、どっかで取られるのかなあ」

「私達浮浪者から取れるものなんてないだろう」

「ふろ・・・ッ」


 ベルタがさらりと言う。あまりに自然過ぎて、言葉の意味を理解するのに少しかかった。浮浪者。確かに、今はギリギリ仕事をして宿に泊まれているが、浮浪者との違いはそう多くない。なんだか泣けてくる。

 人探しに、国の発行する特務。いつか本当にとりかかれる日がくるのだろうか。



──────────



──数時間後。夜。



 ──眠れない。当たり前だ。明け方から昼過ぎまでずっと寝ていたのだから。だが横になって目を閉じているだけでも疲れは取れる・・・はず・・・いや、月明かりがまぶたの上から目を刺してくる。他人の寝息が、ベッドのきしみひとつが耳につく。何もかもが、自分を眠らせないようにしているとすら感じる。ついでに身体もむず痒くなってくる。


 ため息をついて少し目を開けると、窓の外、空高くに光るものが見える。それは月ではなかった。


 ──竜だ。


 きしむベッドをなるべく鳴らさないように、ゆっくりと降りる。窓を開け、身を乗り出し空を見上げる。淡い光を引きながら、高空を飛ぶ竜。西に向かっているのか。


「眠れないのか?」


 ベルタが起きあがり、小さな声で訊いてきた。起こしてしまったか。僕が小さく頷くと、彼女は隣にきて同じように空を見上げる。


「“災厄を呼ぶもの”か」

「あれくらい自由に生きられたら・・・」


 ・・・人から評判も、いやな渾名も、何も気にしなくて済むのかな。

 みんなは竜を悪し様に言う。災厄とともに訪れると。おとぎ話でも神話でも、いつも悪役だ。だけど、僕は竜が好きだ。人の噂など何も気にしないかのように、百年近く姿を消してみたり、また唐突に現れて、高空を優雅に舞ってみたり。僕も、あのように泰然と、自由に生きたい。

 ふと横を見ると、ベルタがいたずらっぽく微笑む。


「あれでいて、彼らも悩みの多い人生・・・竜生なのかも知れないぞ」


 この子はこういう表情もするのか。つられて僕も微笑う。


「かもな」



──────────



 どれほどの時間そうしていただろうか。

 後ろから、うなされるハナの声がしてきたことに気付く。そして、それはどんどん大きくなってきているようだ。悪い夢を見ているのか?


「まずい」


 ベルタがハナのベッドに歩み寄る。僕もそれについていき、横から覗き込む。もう、“うなされる”どころではない。明らかに何かを言おうとしている。あの低血圧のフウも気付いたのか、起き上がり、ばっと毛布を払い走り寄ってきた。


「ああ、あああ、ああ!」


 ハナは目を見開き、飛び起きる。そのままベッドの上で頭を抱え込んだ。目の焦点が合っているようには見えない。口の端を涎が伝う。抑制を欠いた声で譫言のようにあるフレーズを繰り返す。僕は急いでランプの灯りをつける。


「ちがうの、ぼくは、ああ、あああ、そんな、しら、あああ!」


 フウがベッドに飛び乗りハナを抱きしめるが、状況はあまり変わらない。耳元で何かを言い聞かせているようだ。


「催眠は使えるか?」


 ベルタが僕にささやく。意図を察した僕もベッドに乗り、ハナの首筋に手を当てる。ゆっくり、可能な限りゆっくり、魔素調整を行い、自然な睡眠に近い形で寝かせる。


 ・・・そのまま一分ほどが経つ。おさまったか。今の“何か”でだいぶ汗をかいてはいるが、ハナはすうすうと寝息をたてはじめた。

 フウがハナを横にする。彼女は僕に目を合わせないまま、静かに言った。


「ごめんなさい。わたし達はユリエルに言っていなかったことがいくつかあるわ」


 僕も二人に聞きたいことがいくつかできた。


「だろうな」



──────────



「わたし達の生まれた村は、武装奴隷商に滅ぼされたの」


 武装奴隷商・・・時代錯誤にも聞こえるが。


「まだそんなものがいたのか・・・」

「“小さい村を襲い、一定の年齢以下の異人ゼノを拉致して残りは皆殺し”という手口の共通する奴隷商が、今もごく稀に現れることがある。私は国境近くで偶然出会った連中の馬車を襲い、この子らを保護したんだ」


 ベルタが二人を連れていたのはそういう事情からか。

 異人を奴隷として使役することが王国で非合法化されたのは、もうだいぶ昔の話だ。だが、少し考えればわかる。非合法化されれば、数を絞って裏ルートでもっと高くやりとりされる。どんな禁制品だって同じだ。


「あなた、この子について気になっていたことがあるでしょう」


 フウが僕に問いかける。思い当たることは一つしかない。


「年齢の割に幼すぎることか」

「元から子供っぽい子ではあったけど、ここまでひどくはなかったわ」


 苦虫を噛み潰したような顔のフウ。


「この子にはお姉さんがいた。普通の姉妹以上に・・・とても仲が良かったわ。お姉さんも年齢的には、奴隷商のになりえた。でも、この子の家から連れ出されてきたのは、この子ひとり」


 中で何があったか。考えるまでもない。おそらくは妹を庇って・・・いや、憶測は良くないか。


「それから、しばらくは喋ることもできないほど弱っていたわ。ベルタに助けられて、少ししてからになるわね。この子がようやく話し始めたのは」


 フウの目に涙がたまる。


「この子の心は、小さな子供に戻ってた。何も覚えていなかった。そして自分は“ハナ”だと言ったの。・・・“ハナ”、これは、この子のお姉さんの名よ」


 フウは裾で目尻を拭い、話を続ける。僕は言葉を失ったまま。


「壊れかけた心を守るためにそうしたのか。もう、とっくに壊れてしまっているのか・・・。わからないのよ。何も。これからどうしたらいいのか。どうすれば救ってあげられるのか。そもそも、この子は、救われることを望むのか」


 ベルタがフウの肩に手を置く。少しの間を置いて、フウは僕を見据えた。


「でも、立ち止まってても神様が助けてくれるわけじゃない。この子の本当の名はミオ。わたしは、ミオを助けるため、この王都にまで来たの。ユリエル。あなたの目的の合間でいい。手を貸してほしい」


 フウに気圧され、僕は顔を歪ませる。

 ・・・僕なんかに、そんな資格は。


 僕はクソ野郎だ。この子たちに会ったとき、なんと考えた?

 “やばい奴だ”、“関わりたくない”、“面倒ごとの種だ”、“どうせ南東アシャラからの観光客だ”。

 クソが。何が“見た目で判断するクソ野郎”だ。それは他ならぬ、僕自身のことじゃないか。


「おれに、そんな・・・」


 “おれ”。こんな形だけのかっこつけにどんな意味がある。人嫌いを気取って、片や人からの評価ばかりを気にしていた結果が、こんな客観性のないクソ野郎な自分だ。


 歯を食いしばる。本当の意味で、大人にならなければ。屋敷を出た理由を思い出せ。


 僕は、僕自身で決断し、責任を負い、恥じることないように行動したい。彼女らにはまだ会ったばかりではあるが、出来ることなら力になってあげたい。間違いなくそう思っている。その思いに資格なんか要るものか。


「・・・いや・・・わかった。是非、僕にも手伝わせてくれ」

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