03 “おれを、なげろ、しかに!”

(註:当作品は未成年の飲酒シーンを含みません。健全です。)



──九月末日、宵の口。王都郊外。



「だからねぇ、言ってやったんだよぉ、僕は!人を見た目で判断するクソ野郎だお前は!ってね!」


 このときの僕は、すっかり出来上がっていたと思う。真っ赤な顔に、完全に据わった目をして言った。すぐにまた盃を傾け、飲み干す。


「いいぞいいぞーユリちゃん!そういう奴にはガツゥーン!と言ってやるに限るんだ!ガハハ!」

「ユリちゃんって言うんじゃねェー!」


 杯を振り回す。すかさずおっさんが手製の果実酒を注ぎ足す。おばちゃんが鍋をスープ皿にとりわける。


「完ッ全に素が出てるわね・・・もうかっこつけて“おれ”とか言ってないじゃない」


 フウが呟き、革袋から水を飲む。隣ではハナが木のおたまで鍋の野菜をつつく。ベルタはただ静かに杯を傾け、微笑んでいる。酒が足りてないんじゃないのか。


「そういえばずっと気になってたんだけど、ユリちゃんっていくつなの?」


 ・・・来た。無邪気なハナの質問に、盃を持つ手がピクッと反応する。酔いが回りながらも僕の心に葛藤が走る。ついにこの質問が来たか。年齢を答えるのは本当にいやだ。


「・・・・・・」

「え?聞こえない・・・」

「・・・二十一」


「・・・えっ?」

「いま、なんて?」


 やっぱりだ。空気が凍る。ちくしょう。またか。お前たちも見た目で判断するのか。くそ、みんな同じじゃないか!


「二十一歳だ!悪いかぁ!証拠もあるぞちくしょう!」


 僕は鞄のポケットからさっと身分証と魔導学院の修了証を出す。それを見たフウは、普段から持ち歩いてるのね・・・と呟いた。受付長と同じこと言いやがって。


「なんだユリちゃん!おめえ立派な大人じゃねえか!」

「いいぞー!ガハハハ!」


 農家のみなさんはなぜか大喝采だ。

 その中で、ハナが恐る恐るなにかを尋ねようとしている。


「ユリちゃん・・・あの、お、怒らないで聞いてほしいんだけどね」

「え、ああ、な、なんでしょう」


 静まり返る宴席。ただならぬ態度に思わず敬語が漏れる。一体何を訊かれるのか。鼓動が高まる。生唾を飲む。


「ユリちゃんはたぶん、子供扱いしてほしくなくて、大人な男性として人に接してもらいたいんだよね」


 身も蓋もない言い方。だが、有り体に言ってしまえば・・・


「・・・そういうことに、なるか」

「それなのに、なんでそんなかわいい格好してるのかな、って不思議で」


 ・・・かわいい?


「えっ・・・正装に近い魔導院のシャツに外套、それにこの帽子、渋くない?」

「・・・えっ?」


 あれ、僕はコレ、すごくかっこいいと思ってコーディネートしたんだけど・・・もしかして、これは、世間的には、かわいい格好になるのか?


 ・・・僕はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。たまに「かわいい」と言われることはあったが、それは大人が子供を見たとき特有の反応だと思い、腹は立つが気にしないようにしてきた。・・・が、まさか、まさかこのファッションをして、かわいいと評されていたというのか。それを僕は、得意になってそんな格好で外を出歩いていたというのか!鏡の前でポーズを決めていた今朝の自分を殴ってやりたい!


 元から酒で赤らんでいた僕の顔が、耳の先まで赤くなる。


「その帽子もケープも本当にかわいくて、声もきれいで高くて、髪も長いから、最初ずっとぶっきらぼうな口調の女の子だって思ってて・・・その、妹みたい、だなって・・・」


 本当に申し訳なさそうにハナが続ける。その後ろではフウが頬をいっぱいに膨らませて笑いをこらえている。全員が真っ赤になりながら俯く僕の回答を待つ。その中で僕は言葉を見つけられずにいる。どう言い訳をすれば。死ぬほど恥ずかしい。誰とも目を合わせられない。


「・・・知ってたし」


 一瞬の沈黙。


「あはははははは!知ってたしだって!それはないわ!」


 まず堪え切れなくなったフウが僕を指さして爆笑する。


「いいじゃねーか!探偵みたいで!ガハハ!」

「まあこれはこれでいいんだが、大人の男というにはな!」


 続いて全員が大笑いする。俯いてただ震えることしかできない僕。


「ご、ごめんね、ユリちゃん・・・」

「もうお前らみんなうるさい!ばーか!ば──────か!」


 恥も外聞もなく喚き散らす僕は今年で二十一歳。どうしてこんな目に遭っているんだろう。僕はどこで間違ってしまったんだろう。こんな辱めを受けるいわれがあるのだろうか。おそらくその問いに答えはない。



──────────



「べーやんも楽しそう。よかった」

「そうだなハナ。最初は心配していたが、ユリエルのことも少しずつわかってきた」

「うん」

「プライドが高くて自己肯定感の薄そうな・・・とてもめんどくさい奴だと思っていたが・・・」

「いい子だよね」

「ん、ああ、そうだな」


「月が綺麗だ。ユリエルには悪いが、いい夜になった。・・・鹿は、来ないだろうけど」



──────────



──数時間後。



 ──寒い。死ぬほど頭が痛い。それにトイレにも行きたい。

 頭痛とともに尿意を感じ起き上がる。辺りでは酒盛りをしていた全員が、適当に敷かれた布切れの上で熟睡している。そのいびきの中に妙な、きしむドアのような音が交じる。

 音の出処が気になり、頭を押さえながら周囲を見渡すと、離れた野菜塚に集う鹿の群れが。


「いる─────────ッ!!」


 血圧が一気に上がり、頭痛が吹っ飛ぶ。まさか、本当にこんな罠にかかるものなのか。しかも離れているとはいえ、これだけ人間が雑魚寝してるのに。うっかり大声を出してしまうが、殆どが倒れているかひどく身体を震わせて頼りなく歩いているため、今のところすぐに逃げ出しそうな鹿はいなさそうだ。罠がうまいこと効いたようだ。凄いな僕。完全に策が当たった。きしむドアのような音は、苦しさから出る鹿の鳴き声か。急いで全員を叩き起こす。


「起きろ。おい、寝てる場合じゃない、全員起きろ。鹿が来てる」

「鹿ぁ?」


 目も開けずに言葉を返すハナ。


「まだ夜じゃない・・・」


 すぐ寝なおそうとするフウ。


「ふざけんな!起きろ!」


 ハナとフウの毛布を引き剥がして回る。ベルタはその間にすっと立ち上がり、刀に手をかける。フウは辛うじて座ったが、毛布の端をしゃぶったまま動かない。ハナは起き上がる気配すらない。

 やむを得ない、プランBだ。僕も鹿のトドメに・・・と、思ったところで、僕の視線はベルタの異様な動きを捉えた。アレは、なんだ。


 ベルタの身体が重力を感じさせない揺れ方をすると、ただ歩くかのように、人混みを避けるかのように自然に鹿の間を通り抜ける。腕がしなり、最後に小気味よい金属音が響いた。“居合”というやつだろうか。四頭いた鹿の首がぼとぼとと音を立てて地面に落ちていく。


 こいつは、本物だ。なんでヴィジルになって鹿狩りやってるんだ。そう思い呆けていると、真下で寝ているハナが突然起き上がり、僕の顎を下から頭で突き上げる。


「げゥッ・・・ハナ、お前もすぐ戦鎚を持て、鹿が来てるんだよ!」

「え、あ、うわほんとだ」


 すべての髪の毛が総立ちする凄い寝癖を振り回しながら周囲の状況を確認するハナ。目は寝ぼけたままで、ふらつきながら戦鎚を握り、振り回す。その一撃は鹿の頭を外れ、殴られかけた牡鹿はなけなしの力を振り絞ってハナの腹を角で突く。こいつも、ある意味本物だ・・・


 とりあえずハナの腹の状態を見て、大事ないことを確認した僕は、倒れたまま頭を振り回す牡鹿の胸部に手を当てる。接触対象の固有魔素操作。基礎的な魔法の一つだ。接触点からの操作により、マナを通じて体内に直接ダメージを与えられうる、魔導士最後の攻撃手段でもある。今回は僕が仕掛けた罠で鹿の固有魔素はかなり薄くなり、瀕死状態だ。マナが集中する脳と心臓から別の器官へと移せば、すぐに活動を維持できなくなり、停止するだろう。つまりは死だ。牡鹿の動きは完全に止まった。これでベルタと合わせて五頭。あと半分。


 ふと僕が横に目をやると、いつの間にか起きたおっさんが酒瓶で鹿の頭をぶん殴ってるところが目に入る。おばちゃんも起きており、その武器は鍋だ。爺さんは酒瓶を抱えたままいびきをかいている。・・・まあ仕方ない。これで七頭・・・いや、おっさんたちも依頼主だったよな、カウントしていいんだろうか?・・・まあいいか。

 その間にもベルタはいくつかの頭を落としているが、最後の鹿の首に食い込んだ刀が取れなくなっている。ついに刃が欠けたか。だがこれでおそらく十頭は超えた。


「ユリちゃん、一頭逃げる!」


 ようやくちゃんと目が覚めたのか、ハナが覚束ない足取りで必死に逃げる遠くの鹿を指差した。既に川を越え、森に入っている。抜けない酒で軋んでいた僕の思考も、音を立てて回り始めた。

 たった三十ミナ、されど三十ミナ。逃してなるものか。遠隔武器は誰も持っていない。とはいえ自分の魔法で火を放つと、鹿の毛皮が焼けて価値が下がる。いやそれどころか、下手をすれば森林火災だ。


「仕方ない、ハナ、おれを投げろ!」

「はいッ!?えッ!?」

「おれを、なげろ、しかに!」


 焦りでだいぶ怪しい文体になるが、意味は通じたようだ。ハナが僕を抱える。その腕に手を当て、腕力を強化するようマナの流れを調節する。助走がはじまる。小脇に抱えられた状態から、握力だけで掴まれる持ち方に変わる。痛い。だがハナの筋力が強化された証拠だ。ふりかぶる。視界が揺らぎ、僕は鹿に向かって投擲された。


 思惑は当たり・・・、ようだ。見たことのない速さで風景が流れる。目が乾いて痛い。あらん限りの叫び声を上げる。開けた口が風圧で塞がらない。鹿が恐るべき速さで近づいてくる。


 あっ、これ、死ぬかも。

 クソのような人生のピーク時の映像が見えかけるが、こんな鹿狩りで走馬灯なんか見てられるか。


 かつてない極限状態。鹿狩りなのに。僕の目にはすべてが遅くなったように映った。こんなのはじめてだ。恐怖を噛み殺し、凄まじい速度で近づく鹿の首になんとか腕を引っ掛ける。幸い、ハナの投擲は極めて正確だった。だが、やはり力は強すぎた。僕の身体は鹿の首を支点に半回転し、その肩には体重の数倍におよぶであろう張力がかかる。聞いたことのない鈍い音が肩から全身に響く。同時に鹿が、僕に引かれた方向へと倒れはじめた。


 やばい。だがまだ接触している。細かい調整は無理だ。


 鹿の全身に流れているマナをすべて、接触箇所に近い極点へと圧縮する。つまりは脳だ。人間に比べ自意識の薄い動物はマナの誘導が容易だ。接触点から干渉をかけ、鹿の体内に弱い火炎を発現させる。動物に対する得意技のひとつだ。次の瞬間、ぱん、と鈍い湿った音を立てて鹿の頭が破裂した。


 勝った!


 僕の身体はそのまま地面へと投げ出された。



──────────



「ユリエル、大丈・・・・・・うわあ・・・」

「ユリちゃん、だ・・・うわあ・・・」

「あああ!ひいいいい!僕のっ!肩がっ!なにこれっ!折れっ!死ぬっ!?」


 僕の落着地点に近づいたベルタとハナが見たものは、痙攣する頭部のない鹿の死体と、その内容物の上でのたうつ失禁した僕の姿だった。

 肩が、変な方向に、腕が、なんか、おかしい。僕は完全な恐慌状態となり、泣きながらベルタに縋る。


「脱臼しただけだ。この程度じゃ死なない。ちょっと待て・・・フッ!」


 ベルタは僕の肩を元の位置にはめ込むように処置した。

 ごりっ、と鈍い音が身体に響く。

 かつて味わったことのない異様な感覚、痛みに、僕は声帯と肺活量を限界まで使った悲鳴を上げた。


「ンニ゛イィイィィィェェェェェァァァァァァァ─────────・・・・・・」



──────────



 怪鳥めいた声が遠くこだまし、薄く白みつつある東の空に鳥の群れが飛び立つ。

 川のほとりには、変わらず毛布をしゃぶる座ったままのフウの姿。彼女はその光景を眺めながら大きなあくびをし、二度寝についた。



──────────



──さらに数時間後。十月一日、午前。王都、自警団組合本部。



 “組合”のドアベルが鳴る。受付長のメラニーは読書の手を止め、カウンターの向かいに目を移した。


「いらっしゃ・・・」


 視線の先にはベルタとハナ。その背中にはそれぞれ寝こけるフウと、血まみれで朦朧とした様子の僕。両手には野菜を一杯詰めた袋を持っている。


「・・・い。あ、あなたたち、鹿狩りでどうやったらそうなるの・・・?」

「へへ・・・」


 照れくさそうに笑うハナ。


「まあ、色々あって。レポートだ。依頼は達成。駆除十三頭。野菜はボーナスだ。ポケットから報告書をとってもらいたい。・・・それと、ユリエルはただの疲労とひどい二日酔い。服についてる血は鹿のものだから安心してくれ」


 淡々と説明するベルタ。彼女がいなければこの班はどうなっていたのだろう。僕はただ、虚ろな目で彼女らのやりとりを眺めていることしかできなかった。


「ご苦労さまでした、本当に・・・」


 メラニーが精一杯の笑顔で言った。まったくだ。

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