02 “時がゆっくり流れるところ”
──九月末日、午後。王都郊外。
・・・どうにも結成時はおかしな流れになってしまったが、メラニーの推薦もあって、王国の事情に一番明るい僕が班長扱いということになるらしい。当たり前だ。
「書類上じゃわからないことのほうが当然多い。まず練習のつもりで実際に現場に出て、戦い方を見て、連携する方策を練らないと」
城壁を抜けた田園地帯で、僕は地図を周辺の風景と照らし合わせながら言った。依頼の受注時にも一度言ったことだが、彼女らは本当に理解しているのか若干怪しい。
吹く風は心地よく、歩くにはちょうどいい時期だ。王都を取り囲むように立つうちの一本、“水晶柱”の横を通り過ぎる。とても自然の造形物とは思えない、単体の結晶でできた異様に高く真っ直ぐな柱だ。背後には峻厳な霊峰、モンスベルトラムの斜面へ立体的に広がる王都の姿があった。
フウが周囲を眺めながら訝しげに言う。
「でも鹿狩りなんかして何がわかるのかしら」
「やってみると、意外といろいろわかるもんさ」
・・・と答えたものの、やや自信はない。
「だいじょうぶ、狩りならぼくに任せて!」
木の棒を振り回す、弓すら持たないハナの自信はどこから来るのだろうか。
僕の隣を静かに歩くベルタに、気になったことを尋ねてみる。
「そもそも、お前たちはいつ結成したんだ?何か依頼をこなしてきたのか?」
「少し前から一緒に旅をしてきた。ヴィジルになったのは三日前で、まだ農作業の手伝いを一回しただけだ・・・ユリエル、見えたぞ」
ベルタが指差した先には、一軒の農家。害獣駆除の依頼主のものだ。
──────────
「この時期は森も実りが多い。普通ならこんなところまで鹿が出てくることはないんだがね」
髭面の農夫は全く困った素振りもなく大声で笑うが、彼の後ろの畑には食い散らかされた見るも無残な葉菜が山となっている。
「なるほど。ところで失礼ながらエッボさん・・・」
僕が言葉を続けようと思うと、後ろでハナとフウが「農夫っぽい名前」と言い合いくすくすと笑う。
「コラお前ら!」
だが、僕の心配を他所に、エッボは楽しそうに笑いながら話を続ける。
「構わんよ。うちは王国のはじまりから十代続けて農家だ、褒め言葉として受け取っておくよ」
心の広い方で本当に助かった。胸を撫で下ろす。
「ほんと申し訳ない・・・ああ、続けて失礼な話かもしれないが、我々はヴィジルとして活動するのは今回が初めてで」
「初めてじゃないよ!」
ハナが話に割って入ってくる。ちょっと、さすがにいい加減にしてほしい。少し強めに叱責する。
「もう、収穫一回手伝っただけだろう!ちょっとだけ静かに待っててくれ!」
「そ、そんなにおこらなくても・・・」
「ははは、それで?」
エッボが続きを促す。後ろではしょぼくれたハナをフウが慰めている。
「南西の森の鹿の群れ・・・十頭で三百ミナ、参考までにこの報酬の妥当性を伺ってもよろしいか?」
「なんだって、妥当性?お前さんみたいな細かいことを気にするヴィジルは初めてだ。小さいのに立派なもんだな」
「えっ?あ、ああ、そうかな?」
複雑な心境だ。褒められるのは悪い気はしないが、子供扱いか。だが否定してもどうせ話がややこしくなるだけだ。エッボは数字を指折り数えながら説明する。
「鹿一頭を全部バラして売ると約四十。十頭で四百。そのうち四分の三があんたらの取り分。単純だろう?」
「四分の三も?」
「なに、相場もあるしな。それに、去年まであの森で猟をしてたハンターが死んじまってな、それで余分な鹿がいなくなるなら安いもんよ」
「駆除数による報酬の増減は?」
「んー、十頭ってのはあくまで目安だな。鹿が増えすぎているのに間違いはないから、一頭三十で出来高制、と考えてくれて構わない。駆除した鹿は放血して森の入口の木にぶら下げておいてくれ。あのへんだ。あとで俺達が回収する」
エッボが指差す先にはそれなりに広そうな森が見え、農地との境には小川が流れている。
「その他なにか条件は?」
「そうだな、毛皮と内臓は状態がいいほど高く売れるから、できればきれいにやってほしい」
「承知した。こちらからはひとつだけ頼みたいものがある。野菜の切れ端をいくらか分けていただきたい」
「ああ、お安い御用だ」
十頭の鹿。口にするには簡単だが、素人の僕らが森へ狩りに行ったところで、到底うまくいくとは考えられない。だからここまで歩きながら、簡単な策を考えた。
エッボは小走りで家の奥へ消え、大きな包みをいくつも持ってくる。“作戦”で使うために必要な量の、軽く数倍はあるだろうか。
「こんなもんで足りるか?袋は報告のついでで返してくれればいい」
「こ、これだけあれば十二分だ。ありがとう」
──────────
森との境までの道をゆっくり歩く。先程までと異なるのは、全員が野菜くずをぎっしり詰めた袋を背負っていることだ。なんかどっかのお伽噺でこんな光景を見た気がするな。葉菜って、袋に詰めるとこんな重いものなのか。
「ヴィジルってこういうものなの?」
早くも汗だくのフウ。
「森までもうすこしだよ」
通りすがりの老人からもらったキャベツを、表面から一枚ずつ剥がしぱりぱりと食べているハナ。一番重いであろう根菜のかけらを大量に背負っているのに、汗のひとつもかいていない。
「ちょ、ちょっと、多すぎた・・・やっぱり、半分で、よかったかな・・・」
一番辛そうなのは、やはり僕だった。顔を真っ赤にし青筋を立てながら一歩一歩大地を踏みしめるように歩く。鼻の下の汗を拭うと、薄く血が混じっている。力を入れすぎて鼻血が出たか。
「少し貸して、私が持とう」
それを見かねてベルタが僕の荷を半分預かってくれる。
「べーやんやさしい!ぼくも持つよ!」
ハナも僕とフウの荷をいくらか預かる。べーやんとはベルタのことか。
「あ、ありがとう、だいぶ、軽くなった・・・」
僕が一息つくと、ベルタが尋ねる。
「ユリエル、テントを張るのは川のほとりでいいか?」
「ああ、そうだな。もう、そろそろか・・・?」
「落ち着いて深呼吸しろ、もう少しだ」
顔を上げるとだいぶ傾いてきた陽が目に眩しく映る。そろそろ日が暮れるか。早いうちに準備を整えなければ。
──────────
──同日、夕方。
影が伸び、小川のせせらぎに乗せて虫の合唱が響きはじめる。風が本格的に冷え始めてきた。ハナがエッボから借りた毛布を配っている。羽織ると多少寒さは和らぐが、じっとしていると地面の冷たさが足に染み込んでくるようだ。
「鹿は夜になると畑の作物を食べにやってくる。勝負はそこからだ」
小川のほとりに張ったテントの脇で円陣に座り、僕は木の枝で地面に周辺の略図を書いた。
「連中、草食動物は火を恐れる。そろそろ十月だし、夜は冷えるが焚き火は厳禁だ。それでおれたちはテントに潜み鹿を待つ。・・・ここ、テントから少し離れた川の農場側に数箇所、
「王国にはそんな術があるの?“気”で地面に罠を張るなんて、なんかとても出来そうに思えないんだけど」
フウが話を遮ってきた。理解できる範囲内で説明はしておいたほうがいいか。
「あー・・・厳密には、王国でも多分ちょっと特殊な体質のおれにしか使えない魔法だ。教典にもない。場に満ちる環境魔素・・・南東の言葉でどういうのかわからないが、これを自分の身体の延長みたいに扱えると考えてくれ。罠以外にも、マナを身に纏って擬態に使ったりできる」
「えっなにそれキモい・・・。そういえば魔法使いなのに杖も持ってないし」
「ひどい言い草だな・・・杖、というか宝玉がいらないのもその体質のせいだ。ともかく作戦の続きを言うぞ。といっても、罠で体内のマナを放出され動けなくなった鹿、これにベルタとハナがトドメを刺しに行く。以上だ。フウは二人が突撃する直前に、脚力の強化をしてくれ。野生動物は油断ならないからな。多少のマナを奪ったところで、走って逃げられるかもしれない。質問は?」
必要事項をまくし立ててから全員を見回すと、思ったとおりハナが首を傾げている。大丈夫か・・・?
「ハナはそうだな、鹿が動かなくなったら戦鎚で殴りに行くだけだからそれを覚えていてくれればいい。合図するよ」
「わかった!ユリちゃんのいうとおりにする!」
「ユリちゃんって言うな!・・・ああ、戦鎚で殴る時、骨が硬いから頭は狙ったらダメだ。頸か、位置がわかるなら心臓を突き刺すように狙うんだ」
「詳しいんだな、鹿狩りをやってたのか?」
僕は得意げに「本で見た」と答える。だがその途端、ベルタとフウの顔に不安が色濃く浮かんだ。なぜだ。
「マナってなあに?」
不意にハナが手を挙げ質問する。僕は二人が王国の人でないことを思い出した。
「そういえハナとフウはアシャラの出身だったな。少し長くなるが説明しよう」
僕はゆっくり手を広げる。
「まず、おれたちの身体に循環している、かつて“生命力”といわれていたもの。これがマナだ。学術的には“魔素”という表現を使うが、同じものだ。同様に、
鞄から本を取り出しながら続ける。図解が欲しい。
「そして、どうやらこれは“生命力”いわば“エネルギーそのもの”ではないらしいということが、魔導院の研究によりわかってきたんだ。生き物にとってエネルギーは食事で摂れる。それではマナとは何か。実際には生物が活動する際、食物から摂取した熱量で肉体を動かすときに“触媒”として使われていた。さらには、生物だけではない。あらゆる物理現象に対し、熱量を力に変換する際の触媒として作用することがわかってきたんだ」
だんだん楽しくなってきた。みんな魔導学のおもしろさをわかってくれるかな。僕は言葉を途切らせることなく本をすばやく捲る。図解はどこだ。
「王国魔導院がマナの存在を検知できるようになったとき、それを立証するかのように、生物の体内だけではない、この世界の遍く場所に薄いマナの“場”が広がっていることが判明した。大気中だけじゃない。地中、水中構わず。それこそが“環境魔素”だ!この発見を以て、生物の体内を循環するマナは“固有魔素”と呼ばれるようになる!」
絶好調だ!僕は今輝いている!
「そうして、ついに、ついに我々が“魔法”と呼び漠然と行使していた力も、“魔素の出口”としての効果を持つ宝玉を使った固有魔素の投射と、“意志”の干渉により発現するものであると定義されるに至った!これこそが最新の魔導学の基礎だ!」
あった!鼻息荒く、固有魔素と環境魔素のわかりやすい図解についてのページを開き、三人に見せつける僕。
よほど興味がないのか、先程までよりさらに表情を感じないベルタ。寝かけていたのか、はっと座り直す質問者ハナ。意外にも興味ありげに聴いているフウ。・・・それを見て僕は、瞬間的に熱が引くのを感じた。
あ。しまった、やってしまった。熱中しすぎたか。
「・・・あー。まあ、つまり、あれだ。上に乗った者のマナを大気中に放散させる刻印を、罠として地面に施す。その上に乗った鹿は体内のマナを奪われ、まともに身体を動かすこともできなくなるってわけだ」
「・・・・・・ユリエル」
「な、なんだよ」
「今のは私もちょっとキモかった」
「わかってるよ!言うなよちくしょう!」
まさかのベルタからの指摘に少し涙ぐむ。僕らの間の溝はまだまだ埋まりそうにない。
──────────
「──おぉーい!」
「──ヴィジルさんやぁーい!」
遠くから響く極めて牧歌的なおっさんと爺さんの声。作戦の前準備も終わり、ぼうっと膝を抱え座っていた僕がそれに気付く。肩にもたれかかって寝ていたハナも目を覚まし、気持ちよさそうに伸びをする。
「あなたらも依頼者か?」
僕が訊くと、二人は食べ物かなにかが入っている包みをいくつも放り投げながら笑う。
「そうそう!ヴィジルさんが来て下すったってんで、労いに来たんよね!」
「そこの野菜塚はなんだ!アレで鹿どもをおびき出そうってか、ガハハハ!」
声がでかい。しゃべる時につばがいっぱい飛ぶ。悪い人ではないがあまり相手にするのが得意な人種でもない。こういう場合は曖昧に笑って茶を濁すに限る。ハナがぴんと耳を立て爺さんに話しかける。
「おじいちゃん元気だね!キャベツおいしかったよ!」
「嬢ちゃんも元気だ!いいことだぞ!もっと育ったらうちの曾孫んとこに嫁にきてくれ!」
「爺さんとこの曾孫まだ四歳じゃねえか!このエロジジイが!ガハハハ!」
「ぼくにはユリちゃんがいるからー!」
「ユリちゃんって言うなオイ!」
すっかり溶け込むハナ。爺さんとおっさんのターゲットが再び僕に向かう。勘弁してくれ。
「そうかお前ユリちゃんってのか!子供はもっと食わなきゃダメだぞユリちゃん!でっかくなれねえぞ!」
「そうだそうだ!自警団だって身体使う仕事だろう!なあユリちゃん!」
「子供じゃねえよ!それにユリちゃんって言うな!」
「ガキはみんなそう言うんだ!ガハハハ!」
子供扱いされるのは慣れているが、やはり腹は立つ。すぐに、川で水を汲んでいたベルタとフウが何事かと戻ってきた。さらに、農場のほうから今度はおばちゃんが色々持って現れた。手には鍋。そして明らかに酒の入った瓶を両脇に抱えている。
・・・おいおい、ちょっとまて、こいつら酒盛りする気か?ここで?
人に頼んでおいて、鹿を駆除する気は本当にあるのか?
ああくそ、火まで焚き始めた!このままじゃ作戦も台無しだ!
「ユリちゃん、どしたの?」
「あっ・・・いや・・・」
不意にハナから声をかけられ、少しだけ気が抜ける。
すぐに大声で笑い合うハナと爺さん、おばちゃんとおっさんに絡まれているフウとベルタ。
彼らが呑気なのか、僕に余裕がないのか。
「ユリちゃーん!お鍋だよ!はやくおいで!」
・・・まあ、いいか。
作戦が失敗しても世界が滅ぶわけでもない。今すぐこの森すべての鹿を全部狩り殺さねばならないわけでもあるまい。
ため息を一つつき、ぎこちなく笑う。
「ああ、今行く」
かつて僕のいた場所とこの農場では、時間の流れが異なるのかも知れない。
こんなのもいいか。たまには。
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